第2話 私たちの近況
季節は春である。
花粉の飛来が少なくて、珍しく鼻水ズブズブの講師・生徒さんがいないけれど、それでも春である。
桜が散ったばかりのゴールデンウイーク前なのに、温暖化のせいか、いきなり真夏日が来たけれど、それでも春である。
我が庭野ゼミナールでは……いや、石巻界隈の学習塾業界では、ちょっとしたパニックの嵐が吹き荒れていた。ズバリ、東北大学の都道府県別入学者数で、初めて宮城県が2位に落ちたからだ。1位は東京都で、3位の埼玉県も宮城県に肉薄しているという状況である。
県内の学習塾界隈では、いつかはそのうち来るだろう……と予想していたことだけれど、実際にその「いつか」が来てしまうと、重苦しい雰囲気が漂う。
高校受験生の人数比を考えれば、ある意味、仕方ないことではある。
私たちがそれでも危機感で焦っていたのは、仙台の高校が合格者数で検討しているという事実があったからだ。
「負けたとは言え、仙台市内の高校は頑張っている」イコール「仙台以外の高校が頑張ってない」イコール「仙台市以外の最大都市(宮城県2位)石巻地区の高校が頑張っていない」イコール「石巻界隈の学習塾には指導教育の力がない」……という構図になるから、だ。
全県一学区になった今、私たちに愛想を尽かして石巻市内の中学生が皆仙台にいっちゃったらどーしよう……という悩みで、私たちは頭を抱えていうというわけだ。そんなのは当事者の生徒さんや高校の先生たちが頑張ればいいだけの話じゃないか……と言ってしまうのは、簡単だ。
でも、皆「のほほん」というか「のんびり」というか「おおらか」というか、危機感の「キ」の字も感じられない。まあ、合格実績が奮わなかったとしても、高校が倒産したりはしない。恨み事を言えば「自分の指導力のなさを棚に上げて、なに愚痴ってんのよ」と言われるのが、オチである。
講師連中のスキルアップ……話し方教室は、この冬から既にやっている。
我が篆刻の兄弟子にして仙台カルチャースクールの講師、妹尾先輩を招き、レクチャー方法をレクチャーしてもらっているのだ。アマチュア漫才師でもある彼は、「しゃべくり」ならピカ一。懇意な指導のお陰で、講師陣は皆、教壇に立つのが楽しくなったという。けれど悲しいかな、それが生徒さんの成績アップに結びついてはいない、今日このごろなのである。
「苦しい時こそ、神頼みよ」
我が姪が、ネット通販で怪しげな開運グッズをかき集め始めたのは、この春休みからだったろうか。
中に大きな目玉の入ったピラミッド、絶妙なリズムで腰を振るダンシング招き猫、そして見事なトグロを巻いた金のウンコ。よせ、というのに勝手に塾長室に置いていくのだ。
そんなのにカネを費やすくらいなら、一時間でも二時間でも余計に、生徒さんに勉強させるよ……というグチが喉まで出かかったけれど、よしておいた。桜子は桜子なりに心配してくれてのことである。揚げ足とれば、「授業の下手さを棚に上げて、文句言わないで」とか何とか、何倍にもなって反論してくるに、決まってる。
我が「フィアンセ」にしてチベット系石巻人(けれどインド顔)のプティーさんが、塾長室の変化を面白がって、東南アジア土産だというお守りグッズを持ってきてくれた。インドネシア・バリ島の舌出しランダの仮面、やたらエロチックに抱き合っている双身歓喜天、そして見事なトグロを巻いた、こちらはクリスタルのウンコ。
まあ、ツッコんだら負け、のような感じがしたので、そのまま、ありがたく頂戴する。
「そもそも、海外の土産物屋で、ウンコグッズなんて売ってるの?」
私が聞いても、プティーさんはニコニコするだけ、答えてはくれない。
けれど、なんでチベット仏教やヒンズー教のじゃなくて? と問うと、「ルーツをたどると、真面目な宗教に行きあたっちゃうでしょ? どこからが不敬か線引きが分からない人は、手を出しちゃだめなのよ」という返事。観光客相手のインテリアグッズにご利益なんかあるのかな……と私がこぼすと、「信じるものは救われる。イワシの頭も信心から、よ。キキメがなくたって、部屋に飾っておく分には、キレイでいいじゃない。それに、ダーリン、サクラちゃんから聞いたけど、ウンコグッズとか好きなんでしょ?」と、さらに手提げ袋一杯の、これはソフビ人形のウンコを出すのだった……。
殺風景だった、いや、少なくともビジネスライクで落ち着いていた我が執務室が、一挙にエスニック風になる。
時折訪れる来客や父兄の皆さんには、好評だった……いや、当たり障りのない褒め方をしてくれた。唯一「エスニックじゃなく、うんこニックでしょ」と、歯に衣着せぬ感想をくれたのは、我が塾の外国人講師「サルトビ」モレル氏である。もっとも、単にケチをつけて終り、ではない。南仏人で地中海対岸にルーツを持つ伴侶持ちのサルトビ氏は、コレクターが泣いて喜びそうな、アフリカ由来の「呪物」を調達してきてくれた。 ピカソがインスピレーションを得たという異形の仮面、極彩色の野生動物のタペストリー、そして、なぜかここでも「ウンコ(ただし木彫り)」。
最後のは、もう間に合ってます……と断るつもりだったけれど、「何を言ってるんですか。これがメイン中のメインなのに」と押しつけてくる。
これら千差万別のウンコグッズのご利益なのか、実際に一月もしないうちに、生徒さんたちの小テストの成績が少し上がった。喜ぶべきことのはずなのだけれど、私は、少し落ち込んだ。
「もっと効果あるラッキーアイテム、あります」
「ウンコは、もうゴメンですよ」
重度のオタクでもあるモレル氏は、コミケで入手したという「雪風(艦コレ版)」のフィギュアを、堂々私のデスクに飾る。私は再び頭を抱えていた。「幸運の女神ですよー」と彼は一人ご満悦なのだった。
一度にいっぱいの神様に祈ると、神様同士が喧嘩して逆効果というけれど、ウンコとフィギュアについては、例外中の例外なのかもしれない。雪風のご利益か、今度は入塾してくれる生徒さんの数が微増した。塾長室には、座敷童でも住みついているのか、私が部屋を留守にするたび、美少女フィギュアが増えていった。それも単に可愛いだけのじゃなく、やたらエロいのが、だ。
物珍し気にグッズ見学に来ていた来客の皆さんが、今では生暖かい目を……いや、はっきり白い目を向けてくる。
片づけたいけれど、ご利益の反動が怖くて、仕舞えない。
私の対外イメージが……と講師生徒父兄みなさんの前で嘆いてみせたけれど、「何を今さら」と異口同音な返事しか返ってこないのだった。
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