第240話 ◆カメラマン佐々木
――カシャン、カシャン。
走り、階段を登り、木造アパート二階の我が家へ入る。
【
「ひ……ひ……はぁ……はぁ……はぁ……」
バタンと勢いよく扉を閉め、ようやく安堵の表情を見せる。
しかし、耳に届く異音が消える事はない。
――カシャン、カシャン。
「く、くそ! な、何なんだよっ! 俺が一体何したってんだっ!?」
遂に、佐々木の苛立ちが恐怖を上回る。
バッグの中から仕事道具であるカメラを取り出し、窓へ向かう。
「ど、どうせ【命謳】の奴らの嫌がらせだろ!? はっ、そんなのが怖くてカメラマン出来るかってんだ!」
恐怖以上の苛立ち、苛立ち以上の怒り。
窓から望遠レンズ越しに外を覗く。
しかし、そこには見慣れた家からの風景。
異音の正体もなければ、【命謳】の人間など一人も見つからない。
「くそっ!」
窓を閉め、カーテンを閉め、壁を背に、カメラを片手に背中を丸める。
「編集長からだって何の返事もないしよ……! 何なんだ! くそっ!」
頭を掻きむしり、苛立ちを吐露する佐々木。
しかし、そこでまた異変が起きたのだ。
「…………音が……止んだ?」
異音が聞こえなくなり、無音の
(もう……大丈夫……)
ホッと息を吐いた直後、これまでにない強烈なプレッシャーが佐々木を襲う。
「っ!?!?」
音などなく、室内には佐々木ただ一人。
カメラを落とし、肉が食い込む程、自身の肩を抱き、それでも止む事のない震え。
身体が起こす本能的とも呼べる程の恐怖。
「な、何だ……? 何だこれっ!? 何なんだよぉっ!!」
佐々木は知らない。
自身が浴びているソレが、一般人の身では経験した事もない強烈な殺気である事に。
抗う術はなく、触れる事も出来ず、ただソレを浴び、身体を震わせ、意味もわからぬ、恐怖ともわからぬ……ただ強制的に死と隣合わせになったような異常事態。
「はぁはぁはぁ……」
呼吸は荒く、脂汗を滲ませ、口が乾き、目が霞む。
抗おうと抗おうと、強く自分を抱き、食い込んだ指の先――肩口から血がじわりと浮き出、流れ出す。
「ひ……ひひひ…………」
遂に佐々木は笑みを零す。
自身の身に何が起きたかなどわからない。
ただ自分を守るため、笑い、泣き、
中空を見つめ、血走る目に映ったのは……糸くずのようなナニカ。
はらり、はらりと落ちる糸くずに、佐々木は間の抜けた声を出す。
「ぁぇ……?」
天から落ちてきたであろう糸くずを目にし、佐々木は天井を見上げる。しかし、
「ぁ……こぇ……?」
声にならない声で、佐々木はソレを見る。
はらり、はらり……またも天から落ちて来るナニカ。
「ぁぇ? ぁれ? ……あれっ!?」
自身の頭部を触り、ごそりと落ちて来る
床に、肩に、眉に落ちるソレは……自身の髪の毛。
強烈な殺気にさらされ、過度なストレスを受けた身体が下した決断。
それを理解する事なく、佐々木は自身の頭を抱え、かきむしった。
「ぁあ!? あぁ?! あぁあああああああああああああっっっっ!!!!!!」
止まらぬ殺気を浴び続けたせいか、もしくは、佐々木がかきむしったせいか……髪の毛はぶわっと舞い、そして佐々木の視界に落ちて行く。
「あぁ……あぁ……あああああ……!!」
嗚咽が漏れ、涎が垂れ、佐々木の精神は限界を迎えた。
「…………めん……い…………」
誰にでもなく、
「ごめ……ん……い…………」
何にでもなく、
「ご……んな……さ……」
佐々木はただ訳もわからず……謝った。
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!! あぁああああああっ!!」
震え、嗚咽、動悸、涙、髪の毛……殺気に触れ、佐々木の気が触れ、慟哭のような謝罪が室内に響き続ける。
何度も、
「ごめんなさいっ!」
何度も、
「ごめんなさいっ!!」
何度も、何度も、何度も、何度も、何度も……。
「ごめんなさいぃ!!!!」
まるで子供の如く、ただ謝罪だけを叫ぶ。
直後、佐々木の謝罪が止まる。
――カシャン、カシャン。
「っ!?!?!?」
また、あの音が戻って来た。
佐々木は、目から、鼻から、口から……液体という液体をまき散らしながらも……両手で口を覆い、漏れる音を押しとどめる。
――カシャン、カシャン。
佐々木の血走った眼がぐりんと窓に向かう。
音が窓の外から聞こえる。
佐々木はばたばたと後退し、窓から離れ……神に祈る。
――カシャン、カシャン。
次は天井から聞こえる。
ベッドの掛布団を取り、頭から被り……伏せる。
「ぃいいいいい……ヒィイイイイイイイイイイッ!!」
――カシャン、カシャン。
遂にソレは……玄関の外から聞こえた。
「あぁ……あぁあ……ぅあああっ!?」
瞬間、『ドンッ』と玄関のドアが叩かれた。
「っ!!!!」
佐々木はその音に驚き、ビクンと身体を跳ねさせる。
泡を噴き、目は白目になり……意識が
――カシャン、カシャン。
音は、まだ玄関の外から聞こえる。
しかし、その音は……先程よりも小さい。
――カシャン、カシャン。
更に小さくなる音。
――カシャン、カシャン。
遠ざかる異音と薄れゆく意識。
――カシャン、カシャン。
佐々木の耳が最後の異音を聞いた時、
――カシャン、カシャン。
佐々木は、後悔と懺悔を刻むかのように、
――カシャン、カシャン。
意識を失ったのだった。
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