第231話 あの人とあの件1

「水出しコーヒー1700円!? ケーキセットで3000円……凄い!」


 俺はそう呟くように嘆き、メニュー表を睨んでいた。

 あの人は何故、こんな場所を指定したのだろうか。


「いらっしゃいませ」


 店員の声が聞こえた。

 足取りからして天才。かなり鍛えこまれている。

 だけど、踵の分厚いブーツのせいで足音が丸聞こえ。

 彼女が……来た。


「待たせたわね」


 そう言う月見里やまなしさんの表情は、どこかニヤついていた。そう、サングラス越しからでもわかる程。


「いや、ほんと……こんなところとか困りますよ」


 こんな女性だらけの場所、男一人で入るのはそれなりの覚悟が伴う。同時に、店内では常時ライフを削られるこの感覚。

 モンスター討伐に出ていた方が楽だと思えるようなプレッシャー。

 俺の悪態も理解してくれるだろう。


「ふふふ、こういう店に呼んで純命の反応が見たかったのよ」

「いや、マジでそのあだ名やめてください……」

「猫ニキのが好きなの?」

「いや、それもないですけど……」


 そう言ってると、店員が俺たちの前にやって来た。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「私はいつも水出しコーヒーなの。そっちは?」


 水出しコーヒーっていつも頼めるものなのか!?

 何だ、この人の強者感は……!?

 調査課ってそんなに給料がいいのかっ!?


「コ、コーヒーください……」

「水出しコーヒーとコーヒーですね、かしこまりました」


 そう言って、店員さんは行ってしまった。

 すると、月見里やまなしさんは足を組みかえてから俺に言う。


「それで……私は何の用件で呼ばれたの?」


 真顔で。


「いや、例の件でお話がありますって言ったじゃないですか」

「あ、あはは、適当な誘い文句じゃなかったんだ。考えたけど出て来なかったからとりあえずこの店に呼んだんだけど……」


 なんてこった、完全に話が通ってなかった。


「てっきり、私を【命謳】に誘いたいのかなーって」

「え? 入りたいんですか……?」

「入ったらかなり楽出来そうじゃない?」

「今の【命謳】に入ったら大変ですよ」

「どうして?」

「【インサニア】が動き始めましたから」

「……マジ?」

「大マジです。月見里やまなしさんを入れるとなると斥候になりますよね? モンスター相手だけならまだいいですけど、天才相手ともなると、斥候はかなり危険なポジションです。なので、今はタイミングじゃないと思います」

「ふーん…………断りはしないんだ……」

「え、何か言いました?」

「あ、ううん……こっちの話」


 あちら側には月見里やまなしさん一人しかいないというのに。


「それで、例の件って…………何?」

「今日、9月25日ですよね」

「そうだけど……それが何か?」

「今日、調査課のお給料日ですよね」

「ちょっと、私にたかろうって気ぃ?」

「いいえ、取り立て、、、、です」


 そんな俺の言葉が意外だったのか、月見里やまなしさんは目を丸くして言った。


「とり……たて……?」


 完全に忘れてるみたいだ。

 仕方ないので、この一ヶ月みことから隠し通したコレを出すしかあるまい。


「…………何よ、この手作り封筒? 懐かしいわね、小学校の頃、こうして手紙回してた気がするわ」

「中をご確認ください」

「中……? ていうかちょっと怖いんだけど……?」


 そんな顔にもなるだろう。

 俺はこの件をいち早く終わらせたいのだから。

 封筒の中の一枚の紙を見た瞬間、月見里さんは小首を傾げた。


「『プリンセス&エンペラー』8月24日~8月25日(1泊)、2名分、宿泊費として……26530円……?」


 今聞いても恐ろしい値段だ。


「えっと……これは?」

「先月の宿泊費の清算をお願いします」

「宿泊……費……?」


 ダメだ、この人、完全に忘れてる。


「8月24日、月見里やまなしさん何してました?」

「ちょ、ちょっと待って……!」


 そう言って、月見里やまなしさんはスマホを取り出した。

 どうやらスケジュール系のアプリを起動しているようだ。


「北海道……ファーストクラス……タダ酒って書いてある」


 自分のスケジュール帳によくそこまで書けるな、この人。


「そのファーストクラス、隣に俺がいたと思うんですけど?」

「そういえば……いたわね」


 段々と思い出してきたようだ。

 なんたって顔がヒクつき始めた。


「飛行機を降りて、泥酔した月見里やまなしさんがタクシーで向かった先が……そこです」


 そう言って、俺は月見里やまなしさんが持つ領収書を指差した。


「うっ……あ、頭が……」


 拒否反応が出始めた。

 当然だ、俺だって思い出したくもない。


「宿泊先は、調査課が用意したホテルじゃなかった。月見里やまなしさんが持つべきはずの支払いを、給料日だというのに断られたので、俺が立て替えたのが……それです」


 そう言って、俺は月見里やまなしさんが持つ領収書を指差した。10秒ぶり2回目である。


「ぐっ!?」

「思い出せたようで安心しました」


 俺の言葉の後、飲み物が運ばれて来る。


「お待たせしました」


 店員が俺にコーヒーを、慌てて領収書を隠す月見里やまなしさんに水出しコーヒーを置く。

 店員が行った後、月見里やまなしさんは今一度領収書を見、呟くように、俺に確認するように言った。


「……26530円?」

「26530円」


 どんなに時空がねじ曲がろうとも、この金額だけはかわらないのだ。

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