第76話 ◆事案

「あれ、みこと、親父は?」

「お父さんはトイレ。なんかお腹壊したっぽい」


 兄妹が会話するのは、とあるショッピングモールのベンチ。


「珍しいな。変な物は……みことが食わせる訳ないし」

「そうそう。わかってんじゃん」

「となると変なストレス?」

「あ、この前、大きな商談があるとかで会議資料作ってたよ」

「それか、原因は」

「失敗しちゃったのかな?」

「失敗したらみことに泣きついてるだろ」

「それもそうだね。じゃあまだ決まってないって事か」

「決まってないが故の……ストレスか」

「お父さんの好物は――」

「――オムライス。みことのハートケチャップ入り」

「お兄ちゃん、お金」

「よしきた。これで最高の卵を買ってきたまえ」


 玖命がみことに財布を渡す。

 それを受け取ったみことは、小走りにモールに併設されているスーパーへと向かう。


「じゃあここで待っててねー」

「うーい」


 ベンチに座り、暖色のライトを見つめる玖命。


(久しぶりの休日って感じだなー……)


 三人の休日が揃うと、伊達家は八王子のショッピングモールへやって来る。

 そこで、みことの眼鏡にかなった商品を買い、男手がその荷物を持つ。それが伊達家のルールでありルーティンだった。

 細やかな幸せを噛み締めながら、微笑みを浮かべ、嬉しそうに俯く。

 そんな玖命を柱の陰から覗く瞳。

 小刻みに震え、クスクスと笑うその女は玖命を捉えて離さない。


「見ーたー……見ーたーぞー……!」


 スマートフォンを嬉しそうに抱える女は、くるくると回りながら不審者している。


「何やってんですかね?」

「ぞぉぁ!?」


 当然、そんな不審者がいれば、数々の天恵を得た玖命に気付かれない訳がない。

 女は驚き、慌て、しかしニヤリと笑って玖命にスマホを向けた。


「フハハハハ! 見たぞ! きゅーめーの弱み! 撮ったぞ、きゅーめーの弱み!!」


 スマホを掲げ、玖命を見るのは、


四条しじょうなつめさん……八王子に住んでたんですね」

「はっ、悪い?」

「いえ、別に。それで、俺の弱みって何ですかね?」

「決まってるだろ? きゅーめーの援助交際現――――ばぉ?!」


 言い終わる前に、玖命は四条の口を塞ぎ、目にも留まらぬ速さで、その場から姿を消した。

 次に玖命が四条を抱えて現れたのは、階段の踊り場だった。

 四条の口から手を放すと、


「美少女誘拐事件……!」

「自分で言わないでくださいよ! というか何ですかさっきのは!? 俺の体裁も考えてくださいよ!」

「はぁ? 何で私がそんな事しなくちゃいけないんだよ。それに援助交際は援助交際だろ? ふふふふ、この動画データどうしちゃおうかなー?」


 ニシシと笑う四条に、玖命が呆れてため息を吐く。


「あのね、さっきのは妹。渡したのはお金だけど財布ごとだったでしょう? あれは夕飯のオムライス用の卵の代金。わかってくれました?」

「はっ? あんな可愛い子がきゅーめーの妹な訳ないでしょ。美少女にオムライスを作ってもらう妄想なんかしてないで、もうちょっと現実見たら?」

「いつも食ってます。それに毎日『お兄ちゃん』って呼ばれてます!」

「お、お兄ちゃんって呼ぶ女の子を……いつも食べてる……?」


 四条は自身の肩を抱き、ジリジリと後退する。


「凄い受け取り方しましたね。妹の料理の話です。美味いですよ」

「いつまでその妄言に付き合わなくちゃいけないの?」

「いつまで妄言だと断じる気ですか?」

「この動画データがあれば、私はもうきゅーめーにへいこらする必要はなくなるんだ!」

「あなたが、いつ俺にへいこらしたか教えて頂きたい」

「あれだけ私を追い込んでおいて何を言う!?」

「人聞き悪い事言わないでください! というか、ここ派遣所に近いんですから、その性格、八王子支部の人にバレちゃいますよ」

「くっ……そんなんで勝ったつもりか、ばーかばーか!」


 半泣きになり語彙が消失しかけた四条を困り顔で見る玖命に援軍が現れた。


「何してんの、お兄ちゃん?」

みこと!? 何でここに?」

「あれだけ騒いでたら耳に入るって。ところで、何でその子泣いてるの?」


 そんな唐突な質問に、玖命は思考を停止させた。そう、みことと年齢の近い女の子が半泣きしているという現場は、玖命にとって決して良い場とは言えなかったのだ。

 それを理解してか、四条は攻勢へと移った。


「こ、この人がぁ……イジメるのぉ……」


 玖命を指差し、本泣きに入る猫娘。


(そ、そんなのありかよ!?)

(ふっ、バカめ! どうやら妹という情報は本当だったようだな! だがそれならそれでこちらにも手があるんだよっ!)


 玖命は、四条の妙手にぐうの音も出ない。

 だが、援軍の反応は違った。


「何言ってるの? お兄ちゃんがそんな事するはずないでしょ」


 みことのその一言が、その一言だけが、その場を支配した。


「……は?」


 会心の一撃を食らわせたと思ったら瞬間、完璧なカウンターを食らってしまった四条棗。

 当然、その不可解の矛先は玖命に向く。


「何で年頃の妹と兄が仲良しなんだよ! アニメかよ!? 亀裂すら入らないってどういう事だ、あぁ!?」


 美少女からのとんでもない恫喝に若干引き気味のみことだったが、玖命同様、みことも多くの修羅場を潜り抜けている。

 すぐに気を取り直して玖命にアイコンタクトを送った後、四条を見た。


「……ふーん、それがあなたの性格って訳?」

「くっ、それがどうしたってんだよ!」

「その捻じ曲がった性格で、私とお兄ちゃんの仲を裂こうと、そう思った訳ね?」

「だ、だから何だってんだよ……!」

「あなた、名前は?」

「し、四条棗だ! 文句あるってんのか!?」


 みことの気迫に押され、四条の顔がヒクヒクし始める。それを見ていた玖命が喉を鳴らす。


(これは、厄介な借金取りを追い返した時のみことだ……!)


「お兄ちゃん」

「はっ、ここに」


 みことの性格を熟知している玖命は、すぐにひざまずき、アイコンタクトを受けた後に操作していたスマホを渡す。

 そして、そのスマホを操作して、四条にかざすのだ。

 スマホから流れたのは――、


『……ふーん、それがあなたの性格って訳?』

『くっ、それがどうしたってんだよ!』

『その捻じ曲がった性格で、私とお兄ちゃんの仲を裂こうと、そう思った訳ね?』

『だ、だから何だってんだよ……!』

『あなた、名前は?』

『し、四条棗だ! 文句あるってんのか!?』


 今しがたここで話した、録音データ。

 ポカンとする四条の前に、伊達家の兄妹が立ちはだかる。


「な、何なんだよぉ! お前ら二人ぃいい!?」


 ショッピングモールの踊り場に、四条の慟哭が響く、休日の一幕。

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