第91話 電話

 ソファに座りながら嫌そうに目を細める颯。隣には横から覆い被さる様に颯に抱きつく母親の姿が有る。颯が帰宅してから30分が経過するが、ずっと抱きついたままだ。


「嫌だ!! 何ヶ月ぶりの颯ちゃんだよ!! 颯ちゃん成分を補充にしないと!!! これからの仕事もやってられないのよ」


 颯からの要求を無視し、さらに愛情表現を強める母親。颯の顔にグイグイ頬ずりをする始末だ。


「ちょっ!? いい加減にしてよ!! 確かに外資系の企業で働くことは大変かもしれないけど!! 」


 無理やり母親を引き剥がそうと試みる颯。だが全く動かない。母親には異常な力が宿っていた。力勝負では颯は負けないはずなのだが。

  

「ふっふっ。外資系で鍛えられた母親の体力を舐めないでね。あぁ~もぅ最高~~。颯ちゃん成分をもっと頂かないと~」


 喜びの感情が堂々と漏れ、母親はギュッとより抱きつく腕に力を込める。これが颯ちゃん成分の獲得だろうか。


 テテテテテン。テテテテテン。テテテテテン。

  

「ごめん電話。流石に解放してくれない? 」


 自身のスマートフォンの電子音を認知し、颯は淡々とした口調で尋ねる。ここで解

放して貰えなければ都合が悪いのは事実だ。


 許可が下りなければ無理やりにでも抜け出して電話に出るつもりだ。ここは譲れない。

  

 しばらく黙ったまま電子音を吐き出す颯のスマートフォンの画面を見つめる母親。未だに電子音は鳴り止まない。


「ふぅぅ~~ん。まぁいいわよ。せっかく良い所だったんだけどな~~」


 颯を解放し、なぜか揶揄うように彼の腕を小突く母親。スマートフォンの画面を認識し、何かを察知したのだろうか。

  

「何だよ。あの態度。って中谷さん。じゃない。瑞貴ちゃんからか」


 ソファーの上で未だに振動するスマートフォンを手に取り、颯は画面を確認してから呟く。目的は分からないが電話のようだ。

  

「…もしもし」


 応答のボタンをタップし、颯はようやく電話に出る。多少だが緊張の面持ちは隠せない。


『あ! 颯君!! いきなりごめんね。お話したくて急に電話しちゃったけど。いま大丈夫? 』


 嬉しそうな瑞貴の声がスマートフォンから漏れる。その上、テンションも高い。よほど颯との電話が嬉しかったのだろう。

  

「うん。大丈夫だよ瑞貴ちゃん。いきなりで少し驚いたけど」


 いつもの態度で返答する颯。

  

「えぇ~。まさかの颯ちゃんが女の子のこと下の名前で呼んでる。ねぇねぇ!! その電話の子とはどういう関係? 気になる」


 タイミングを図ったかのように、母親が強引に話に割って入る。しかも再び身体を密着させて来た。

  

「ちょ!? 何で接近して来るんだよ!! もう勘弁してよ!! 」


 電話中なため明らか目に苛立った表情で、颯は母親に不満を口にする。

  

「だって今まで颯ちゃんが女の子と電話するなんて有り得なかったし。気になって気になって」


 颯の気持ちなど完全に無視し、電話口を介して瑞貴に存在感をアピールするように話し続ける母親。

  

『……誰その人。女だよね? 』


 母親の登場により、瑞貴の声色が明らかに冷たくなる。態度もトーンも明らかに激変する。いつもの瑞貴では考えられない声色でもあった。

  

「え、え~っとね。この人はね——」


 瑞貴のテンションの変化を敏感に察知し、颯は急に話に割って入った母親の存在を試みる。動揺は完全に隠せていない。


『颯君の口から聞きたくない。……今から行く』

  

 それだけ残すと、颯の返事を待たずに瑞貴からの電話は切れてしまった。

   

 ツーツーツーッと虚しい電子音だけが颯の耳に流れ続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る