第65話 我慢できなかった
「どうやら時は訪れたようだね」
両手をポケットを突っ込んだまま、藤田は余裕そうに笑みを浮かべる。
今、屋上に居るため、心地よい風が藤田の髪を左右に揺らす。
「…」
藤田の言葉に返答せずに、聖羅は俯いた状態をキープする。
あの後、トイレから出た後、偶然にも聖羅は藤田と遭遇した。
そこで、聖羅から話が有ると声を掛けた。
藤田は微笑を浮かべながら、場所を移す提案をした。
そして、今に至る。屋上には藤田と聖羅の姿しか無い。
「休み時間もあと少ししかない。残り5分だ。だから用件を早く伝えてくれない? 」
制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、藤田は時刻を確かめながら、聖羅を催促する。藤田の視線はスマートフォンの画面に集まる。
「…。前に、あなたの言う通りにすれば、あたしの過ごし辛い学校生活を劇的に変えられると言ったわよね? 」
重そうな顔を上げ、聖羅は真剣な眼差しを藤田に向ける。
「うん。言ったね」
スマートフォンの画面から視線を切り、藤田は聖羅に目を移す。藤田と聖羅が見つめ合う形となる。
「じゃあ、それを実現してくれない? お願いだから」
頭を下げずに要望だけ出す聖羅。
「ふ~~ん。前とは気持ちが変わった感じかな? まぁいいけど」
スマートフォンを制服のズボンのポケットに仕舞い、藤田は再び両手をポケットに突っ込む。
「それで、どうすればいいの? 簡単なの? それとも難しいの? 」
「いや、難しくないよ。超簡単!! 女の子なら誰でも出来るよ」
「そ、そう。……なら良かった」
安心したように軽く息を吐く聖羅。難しいことを要求されると想定していたのだろうか。
「でも、ちょっと勇気が必要かもしれないけど。それは大丈夫? 」
「問題ない。それ位の覚悟は有る。だから早く教えて」
イライラするように顔を歪め、聖羅はまだかと藤田を催促する。
「オッケー。なら言うね。過ごし辛い学校生活を劇的に変える方法はね、僕と付き合うことだね」
「え……」
藤田の言葉に衝撃を受けたのか。それとも意味が理解できなかったのか。聖羅の顔が完全に固まる。開いた口も塞がらない。
「聞こえなかった? 僕と付き合うことが、過ごし辛い学校生活を変える最適な方法だよ。つまり、僕の女になること。分かる? 」
「分かるわよ!! ふざけてるの!! あたしには和久君っていう最高の彼氏がいるの! ようやく手に入れた優良物件。もしあなたの女になったら浮気じゃない。それに、もし彼にバレたら関係は崩壊する。そんなのたまったものじゃない! 」
藤田を鋭い目で睨み付けながら怒り口調で、聖羅は捲し立てる。藤田の提案が気に入らなかったみたいだ。
「そうかもしれないね。でも、どうする? それだと学校内での周囲からの痛い視線や悪口は消えないよ。それは悪いことをした君と石井君が付き合ってるからなんだ。悪いことをした人間が幸せそうにリア充生活を送ってる。それを気に入らない生徒は多いに違いない」
「な!? あたし達はリア充じゃない! 自分達の身を守るために付き合ってる!! 決して幸せだけじゃない!! 」
「確かに真実はそうかもしれない。だけど事情をよく知らない第3者からすれば、僕の言ったようにしか見えてないんだよ。残酷だけどね。そこで、石井君と別れて僕と付き合えば、少なからず印象は良くなると思わないかい? 悪いことをした2人が付き合うよりもね。それでも悪口を言ってくる人間は力づくで黙らせるよ。僕のクラスの陽キャ達の力を借りてね。知ってた? 僕のクラスにも結構な陽キャが居るんだよ? 」
「…」
藤田の言葉に何も返せず、聖羅はただきつく口を噤む。
「何かを手に入れるためには何かを犠牲にしなければならない。さぁ、どうするの? 選択するのは、あなただよ伊藤さん」
聖羅を追い詰めるように、藤田は現実を突き付ける。表情は余裕で楽しそうだ。歯並びの良い整った歯が口内から露わになる。
しばらく沈黙の間が続く。
藤田は笑みを絶やさず、聖羅は苦しそうに悩む。
だが、この状態も長く続かなかった。
聖羅は全てを諦めたように、ゆっくり頭を縦に振った。
「それは肯定の意志でいいんだね? 」
間違いがないか、藤田は確かめに掛かる。敢えて聖羅の口から言わせる狙いだろうか。
「ええっ。間違いないわ。あたしは、あなたの女になるわ」
疲れ切った顔で額や頬に汗をかきながら、聖羅は付き合うことを認める。聖羅の顔から、この短い時間で相当悩んだことが窺える。
「ふふっ。いい選択だと思うよ僕は。これから宜しくね伊藤さん。いや、聖羅ちゃん。だね」
ご機嫌そうに口元を押さえ、笑い声を殺しながら、藤田は聖羅を名前で呼んだ。
「じゃあ、また放課後でね! 」
歩を進め、横を通り過ぎる際に聖羅の肩に手を置き、藤田は屋上を後にした。
その結果、無言で立ち尽くす聖羅だけが取り残される形となった。
キーンコーンカーンコーン。
藤田が屋上から姿を消して2分ほど経過して、チャイムが校内全体に鳴り響く。
そんな中、聖羅はピクリとも動かず、人形のように固まって動かなかった。ただ前だけを無言で凝視していた。
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