第9話 吾輩、仇の弱点を探る

(――そこだっ)

 ピンと立てた両耳をそれぞれに動かして、獲物の位置と距離を確認する。赤錆色の目を左右に素早く走らせ、獲物の動きを感知するなり、モジャは高く跳躍した。

 飛び上がって逃れようとした獲物を背から抑えつければ、かしゃっと乾いた音を立てる。

「……」

(ふふん、見たか)

 往生際悪く足をばたつかせるバッタをくわえ、車置き場の向こう、小さな門の横の、これまた小さな畑の手入れをしている佳代子のもとへ運んでいく。


(可哀想だから、恵んでやるとしよう)

 人は愚鈍で道具がなければ、虫も雀も魚も取れない。自分で自分の食い物を満足にとれぬから“銭”にこだわって、あくせくせねばならぬのだ。

 直也は仇だが、佳代子はそうじゃない。マメに餌もおやつも分けてくるし、撫でる手も香枝のように気が利く。毛皮そっくりのモフモフした布も貢いできたし、直也や父と違って遊ぶ時もモジャに絶妙に息を合わせてくる。

 義理堅いモジャとしては、恩に報いねば。猫は恩知らずなどと言われるが、そんなことはない。

(まして吾輩は化け猫だからな)

 なおさらだ。


「ピッ、ツツィー、ビビビビビ」

(気ぃ付けろ、気ぃ付けろ、狼が来るど)

 尻尾をピンと立てて顔をあげ、歩き出すと、猫の額よりなお狭い場所に肩身狭そうに植わった花水木の木から小鳥の鳴き声が聞こえてきた。

「……」

(その手は食わぬ。狼は既に滅んだと“てれび”が話しておった! 大方、吾輩に話をさせて、バッタをかすめ取ろうというつもりであろう)

 モジャは賢く尊い化け猫だ。鳥ごときに化かされはせぬ。


 畑の土入れをしていたはずの佳代子は、通りがかりの誰かと賑やかに話している。

「あら、モジャ。ってバッタ? ……いるのね、この辺に。ええと、ありがとう、捕まえてくれて」

 佳代子はモジャがくわえたバッタを見つめ、目をまん丸くした。うむ、感心するがよい。

「なあに、佳代ちゃん、子猫。また飼い始めたの? ミケが死んでもう何年かしら、あの子、あんたの結婚前に亡くなったわよね。孝さん、猫嫌いだってぼやいてなかった?」

「それが今じゃうちで一番メロメロなの」

「あー、この可愛さにやられない人間は中々いないか。かっわいいねえ、こっちにおいで」


「……」

 この女もモジャのしっぽや目を気味悪がらない。


『赤目だ、赤目の猫だ、しかも尾が長い! そいつが火を付けたんだ、火事場から逃げるのを見た!』

『お香枝ちゃんところの猫だってさ……ほら、赤目だし、しっぽも長いだろ? 蛇みたいで気持ちが悪いと思ってたんだけど……』

『あのしっぽに火をつけて、走り回ったってか。馬鹿猫と馬鹿な飼い主のせいで、みんな焼け出されちまった』

『養生所? ……連れて行ったって、あの火傷じゃどうせ助かりゃしない。あんたも関わるんじゃないよ、あの子は赤猫に魅入られたんだ、自業自得だよ』

(俺、そんなことしてない。しない。香枝を困らせるようなこと、絶対)

 そう必死で言ったのに――。


「……」

 時が経っただけだ。それだけで人はこうも変わるのかと思うと、虚しさに混ざって怒りが湧いてきた。

 ナラ、ナゼカエハシナネバナラナカッタ――

 赤い目を見開けば、真ん中の黒い瞳孔が丸みを帯びる。口にしたバッタの殻がクシャっと音を立ててつぶれた。

「っ」

(まずっ)

 思わずペッと吐き出して、モジャは戦慄した。

(ご、ごちそうだったのに! 人だけでなく、時はバッタをも変えるのか!? 時、おそるべし!!)


「でもお外、出して大丈夫? 最近はみんな室内飼いなんですってね。事故や病気が怖い、糞も困るとかで。歩いてる猫もあまり見ないし、見かけるのは肉屋の吾郎ちゃんとこの看板猫ぐらい」

 聞き捨てならない台詞を聞いて、モジャは口を前足で拭いつつ、右耳を佳代子友へと向けた。

「この子もブチに負けず劣らず賢いから大丈夫。トイレはちゃんとトイレでするし、敷地から出ないし、外に行きたい時は直也や主人と一緒に行くわ」

「流行のお散歩猫ってやつ? へえ、ほんとにお利口さんなのね。ますます可愛いじゃない」


「……」

(かしこい、お利口さん、かわいい……)

 肉屋のブチが微妙に気になるが、それより何よりひげがむずむずする。なんとなく奴らに背を向けたが、尾が勝手にパタパタする。


「直也君と言えば、最近どう? うちの子、好きな子ができたみたいで急に色気づいちゃって」

「へえ、哲君に」

「つついてみたんだけど、告白どころか連絡先すら知らないっぽいの。インなんたらって言うのは知ってるらしいけど、そんなの誰だって見れるんでしょ? フォロー云々って言われてもねえ」

「今時な感じね」

「直君はそういう話、ないの? 背ぇ高いし、面倒見良いもの。人当たりも……もてそうじゃない」

「そういう話、全然聞かないわねえ。のんびりしてるし、そもそもあの子の場合は人当たりがいいというより……」

 微妙な顔をしてため息を吐いた佳代子に、女がしたり顔で「草食系ってやつなのかしらね」と頷いている。


「にゃ?」

(草食?)

 仇の弱点を探ろうと耳を澄ましていたモジャは聞き覚えのある言葉に、片耳をぴくぴくと動かした。


――なあなあ、狛狐、あいつら、草を食うんだぞ。むかむかをげえってするためじゃなくて、ほんとに食うんだ。

――体のつくりが違うのだ。長尾が肉を好むのと同じ感覚で、ウサギや馬などは草を好む。長尾が草を忌むのと同じように、彼らは肉を忌むのだよ。



* * *



「……」

「なあ、モジャ」

「……」

「その、邪魔、なんだが」

「にゃ」

(うるさい)

「くぅっ、かっわいい……っ」

 本条家の本日の食卓。モジャは下僕認定した直也父の膝に陣取り、テーブルの下から耳と目だけを出して、斜め横の直也を観察する。


(草、あれも草、知っている、あれは味噌汁だ。香枝が作っていた。あれも元は草と塩のはずだ)

「っ、シャ!」

(動くな、吾輩は今獲物の観察中だ!)

 直也父が動いたことで身を崩しそうになった。モジャは振り向きざまに叱責を投げる。父が眉を下げ、「ええー」と不満そうな声を漏らしたが、当然聞こえないふりをする。

「……モジャのおかげで貧乏ゆすりが治りそうねえ」

 佳代子の笑い声を聞きながら、モジャは直也を見つめる瞳孔をさらに丸くした。


(やはり直也は噂の草食系――)

 バッタを捕ってきてやっても、スズメをとってきてやっても、引きつった妙な顔をするだけで食べているのを見たことがないからおかしいと思っていたのだ。

 今も細切りにされた葉っぱを食らっている。

(つまり奴の弱点は――肉! 狛狐が生まれに合っていない物を無理に食べると、お腹を壊すと言っていた!)

「……」

 それからモジャはにんまりと口の両端を吊り上げた。

(腹下し、すなわち! 直也もびょーいんで尻の穴に棒を突っ込まれる屈辱を受けるということ!)

 因果応報――すばらしく洗練された復讐だ、吾輩はやはり天才に違いない。


「なあ、モジャ、ちょっと降りて……、っ、いや、やっぱいい、もう好きなだけいて!」

「……それでいいの、あなた」

「ゴロゴロ言うのは愛情の証と猫ラブ生活に書いてあった!」

「いつの間にそんな雑誌を……」

「……今のは違くね?」

 仇の弱点を発見してご機嫌になったら、喉が勝手にゴロゴロとなった。

 それはそうと、後ろの直也父、さっきからうるさい。付喪神ならいざ知らず踏み台がしゃべるでない。


 モジャはテーブルの上の皿に目を凝らす。

(――これだ)

 背伸びして、前足で肉の乗った皿をつつっと直也へと押した。

(ふははは、お前の嫌いな肉だっ。人の世にはおかしな決まりがあるだろう? つまり――お前にお残しは許されぬ! さあ、哀れな人の子よ、吐きそうな顔をして食らうがいいっ、腹を壊すがいいっ、そうしてびょーいんに行け! 屈辱に悶えよ! 最後は弱ったところを仕留めてくれる……!)

「モジャ、それは私のからあげ」

「にゃ。うにゃにゃ」

(知っておる。が、今この瞬間から違う)

「モジャ、それは脂っこいからあなたには無理よ」

「んにゃ」

(周りの焦げ臭い茶色いカリカリもやたらと脂っこいもも肉とやらも好かぬ。吾輩の好みは秋刀魚! でなければ他の魚か鼠か雀だ。そこを妥協して茹でササミで日々我慢してやっているではないか!)

 モジャは左前足を机の縁にかけ、身を乗り出して、唐揚げの皿を更に押し遣った。これで直也の目の前だ。ずるっと滑って顎を打ったが、復讐のためだ、多少の犠牲は仕方がない。……け、決してうっかりなわけではない!


「……直也に食べろと言ってるの?」

「にゃ」

「私のからあ……」

「にゃ!? にゃにゃ!」

(手を出すな、痴れ者っ)

 せっかく移動させた皿を引き戻そうとした直也父の手を、モジャは容赦なく叩き落とした。

「猫パンチはやめとけ。親父、涙目じゃん」

「にゃああ!」

「……まあ、メタボ気味だし、モジャの親切かもしれないわね。直也、さっさと食べちゃって」

「ラッキー、悪いな、親父」

「にゃ?」

(“らっきー”とは確か幸運……)

 にこりと笑った直也に、モジャは赤錆の目を瞬かせる。

「お前、やっぱいい子だなあ、モジャ」

「!?」

(直也、果報者―!?)

 なぜか喜ばれて褒められた。


「……モジャ、私は猫に心配されるほど、メタボか?」

「にゃ」

 食後、暗に否定と慰めを求めてきた鬱陶しい直也父には、八つ当たりを兼ねて、現実を突きつけてやった。


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