第3話 吾輩、仇の寝首をかく算段をつける

 吾輩は化け猫である。今世の名前はまだ――

「モジャ!」

 ……にたった今決まった。断固やり直しを要求する。


「ふぎゃーっ」

(我は長尾だ、な・が・お! 香枝がつけてくれたんだ!)

「気に入ったか、お前の毛、長くて、モジャモジャだもんな」

「みいいいいい」

(まんまではないか、適当感満載、猫らしさも威厳もない!)

「俺の名前? 本条直也っていうんだ、よろしくな」

「!? ……にう」

(な、なんということだ、やはり言葉が話せぬ……)

 愕然としているというのに、直也と名乗った小僧は、我を殺した将次と同じ顔で穏やかに笑った。

 頭に髷はなく、ざんばら髪でありながら、規則性をもって整えられた妙な頭をしている。


 眠ってしまった間に将次、じゃない、直也に連れ込まれたのは、昔香枝と暮らしていた裏長屋などとは全く趣の異なる、言うなればお屋敷だった。

 床が板張りなのは長屋と変わらないが、つやつやつるつるだ。肉球に吸い付いてくる。高い天井には眩いほどの光を放つ行灯が張り付けられている。あんなところにあってどうやって灯芯や火皿を入れるのだろう。そういえば、魚油の臭いもしない。

(じゃあ、油赤子、いないのか……)

 魚油を狙って長屋にやってくる幼い人型の妖としょっちゅう喧嘩していたことを思い出した。

 部屋には大きな家具がいっぱいある。家事の時は全部薪になるのにもったいないと首をひねりながら、顔を横に向ければ、この屋敷の壁にも高価なはずのギヤマンが張られていた。

 その向こう、外では先ほど直也が言った通り、ちらちらと白雪が舞い始めた。なのに、まったく寒くない。


 そのギヤマンが風もないのにカタリと音を立てた。

(油赤子? じゃない、何だ? 何かいる)

 モジャは今世の“うち”の様子に戸惑いつつも、左右の耳をバラバラに動かして、人ならざるものの気配を探る。

 何かいるのだとすれば、こちらが縄張りに勝手に入ってしまったことになる。悪気はなかったが争いになるかと、緊張にひげを震わせた。


「モジャ」

「っ」

 警戒と共に周囲を見回していたが、不本意な名で呼ばれ、再び意識を直也に戻す。

「うわ、噛んだ」

(吾輩は長尾だっ、泣く子も黙る猫又ぞっ、我が力にひれ伏すがよいっ)

 今は尻尾が割れていないから、正確にはただの化け猫だが。

「甘噛みってやつか」

(通じぬ!?)

「そっか、お前、俺のこと、好きなのか」

(前向き!?)

 口を限界まで開け、犬歯をむき出しにして威嚇したというのに、照れたように笑う糸目がごく腹立たしい。


「にゃーにゃー言われてもなあ、俺、猫語わかんねえし」

「なななおー、にゃごにゃあ、みゃむみゃああっ」

(だからおぬしら人は愚鈍で、そのくせ傲慢だというのだ。我らはおぬしらの言葉を解するというに!)

「あ、今のは理解できた――待ってろよ」

「!?」

(こ、この匂い……!)


「っ、うわ、がっつくな、顔突っ込みすぎ」

「げふ、げふ、げふ……っ」

「ほら、鼻に入って咳き込んじゃったじゃないか」

「みぃ!」

(人の不幸を笑うとは……!)

 差し出された皿の中身と格闘し、咳き込んだ吾輩を見て、直也がまた糸目を見せる。

「あー、顔中ミルクだらけ」

「みゅ」

 そしてまたも笑いながら布を押し付けてきた。ごしごしとこすられる感触は、まるで母猫が不出来な子の汚れを舐めとるそのまま――


「みゃ!」

(ガキ扱いをするな! ただの猫扱いでは飽き足らぬのか!)

 もがいて脱出を試みるも、直也はますます笑うだけ。身をよじった拍子に先ほどの白きもので膨らんだ腹が圧迫されて、げっぷが出た。


「おなかいっぱいになったか。ミルク、気に入った?」

「……み」

(ま、まあ、及第点をくれてやってもいい)

 皿に盛られていた白いものの正体は、“みるく”というらしい。察するに、人の浅知恵で我らの乳をまねて作ったものだろう。実は全く違う味だが、所詮は浅はかな人のすることだ。勘弁してやるから、次はもっとよこせ。


「ただいまー」

(――む)

 新たな声に、モジャは耳をさっと音源に向け、ひげをピンと張って前へと倒した。足音が近づいてくる。

(香枝? じゃない)

 前にパタパタと動く妙な扉を開けて入ってきたのは、髪を無造作におろした中年の女だった。


『この泥棒猫がっ、あっちにお行きっ、その赤目、気味が悪いんだよっ』

 奴らは猫を見ると魚泥棒とか言って、石やひどい時は包丁などを投げてくる。目の色と長い尾が縁起が悪いとかで、モジャは特にひどい目に遭った。


「っ、シャーっ」

 警戒と共に背の毛を逆立てたが、その女は目を見張った後、直也そっくりに目元を緩ませた。

「あら、かわいい」

(!? か、かわいいとは無礼な……! 我は猫又、じゃないか、ば、化け猫ぞ!)

 包丁を投げられる以上の屈辱だ。

「フゥウウウウ」

「あらますます可愛い。ちまっこいのに、一生懸命威嚇してるわ」

(ち、ちまっこい? しかも威嚇と分かってなお可愛いだと……っ!)

 すぐそばまで来て膝をつき、にっこり笑った女に、モジャはあまりの屈辱にわなわなと震え出す。


「直也、この子、どうしたの?」

「ゴミ捨て場に捨てられてた。このまま外に置いといたら死ぬかもって……」

 その瞬間、また窓が震えた。そちらへと目をやった後、直也は「……飼っていい?」と女に問うた。女が目を丸くする傍らで、モジャも瞳孔をまん丸に広げた。

(か、飼う? 我を、仇のお前がか! ふざけるな!)

「いや、無理ならいいんだけど……」

「!?」

(弱腰!? 飼いたいのではないのか!?)

 仇の分際で我と共に暮らしたいなど笑止千万、だがいらぬと言われたら言われたで気に入らぬ。

 シャーシャー言い続けるモジャを横目に、女が苦笑を零した。

「飼いたいの? 飼いたくないの?」

「あー、どっちでもいい……?」

「!?」

(疑問形!? 無礼にもほどがある!) 

 モジャが耳を横倒しにした瞬間、またギヤマンが音を立てた。ちらっとそっちを見た直也は、少し考えた後、「やっぱ飼いたい」と言い直した。

(――うむ、それでいい。この世に猫ほど美しい生物はおらぬ。しかも吾輩は高貴なる化け猫だからな)

 モジャは満足げにひげをぴんと張り、顎をそらすと、しっぽをゆっくりと出来るだけ優雅に振って見せた。

(だが、もちろんお前ごときに飼われてなど――いや、待て)

 ぴたりと動きを止めると、モジャはまず前足をなめる。それからその足を顔にやって、三回撫でて、また前足をなめて、を繰り返した。


「……おとなしくなったと思ったら、いきなり毛づくろい」

「猫のこの仕草、顔を洗うって言うの。なんか考えてるんでしょ」


(……く、くくくく、愚かなり、将次改め直也! このままここにおれば、にっくきお前の寝首をいつでも掻けるというわけだ。猫歴六年、化け猫歴二十五年――狛狐も驚く知恵者たる我を侮ったことを後悔するがいい!)

「にゃあん」

 猫の強みは可愛らしくふるまって、賢さや傍若無人さを人に悟らせぬあざとさにあると稲荷神社の狛狐が言っていたことを思い出した。モジャは長屋のあちこちで可愛がられていたハナを真似て、愛らしく鳴いてみる。

 人に媚びているのではない。あほうな奴らをだまし、手玉に取る、それだけのこと――。


「あんたが生き物飼いたいとか言うの、初めてね。何もかもめんどくさがって、深く関わりたくないとかいうのに」

「……だね」

 なぜか嬉しそうに笑う中年女に、直也は戸惑ったように顔をしかめ、「なんかそうしなきゃいけない気がしたんだよなあ」と首を傾けた。

 背後でまたギヤマンが震えた。いくら高価でも建付けが甘いとありがたみが減る。


「それじゃお父さん対策はまた考えるとして、とりあえずお風呂にしましょ」

「にゃ?」

(オフロ?)


「ああ、でもうちに猫用シャンプーは」

「これ。ミルク買いに行った時にドラックストアの兄さんに勧められた。人用のは刺激が強いよ、だって」

「……どっちでもいいとか言ってたくせに、随分用意周到ねえ」

「……だね」

(しゃんぷ、ドラ樟とは……?)

 耳慣れない単語に片耳をピクつかせる間に、眉を顰め、逆側に首を傾げた直也にひょいっと片手で抱えあげられた。

「みゅう」

 まだ腹が張っているのだ、丁寧に扱え。無礼者め。


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