第9話 ちょっとだけ、メンバー紹介
「ほれ。ちゃぶ台返しっ」
「うわー。やられたー」
「棒読み過ぎるよ、鈴木君」
私、梅子と桜子姉妹、そして梅子のボーイフレンドの鈴木君。
私たち四人は、図書室でプロポーズの練習をしていた。すでに父親からちゃぶ台返しするよ、と宣言が出ているので、飛んできた茶碗のカケラを避けながら、土下座する練習である。今や日本の伝統芸能に昇華したこの技も、今の若者は苦手としている人が多いようだ。
「私が見本を見せよう。流れるような手つきと、一部のスキもない叩頭の仕方、見ていたまえ」
小笠原流をアレンジした正座から、正当派謝罪・一の型を披露すると、鈴木君は手放しで褒めてくれた。
「すごいですねえ、庭野先生。どれくらいチョンボをやらかしまくったら、この芸術的な領域に達するんですか」
「いや。なに。回数が問題じゃない。心から反省してますっていう内面を、様式美で表現しようっていう心意気が何より大切でねえ……」
「てか。タクちゃん。鈴木君、褒めてないんじゃないの?」
「何を言ってるの、桜子。将来のお兄さんに向かって」
「いや、だから、土下座のやり方って、ふつう、褒めるものじゃないでしょ」
鈴木君自身は、ニコニコ笑いながら、姉妹のやり取りを見守っていた。
水泳ゴーグルみたいな細長いメガネに、くせっ毛の茶髪がトレードマークの彼は、軽そうな外見と違っておとなしいひとだ。いつでも、アメカジみたいな肩の凝らないファッションをしているけど、女の子を前にするとシャイになる、いまどきの草食系男子である。高校時代、梅子からバレンタインにもらった義理チョコを勘違いして、ホワイトデーにペーパーバックのお返しをしたのが交際のきっかけだった(もちろん、ちゃんとキャンディーも送ったそうな)。あの時『ライ麦畑で捕まえて』をプレゼントしてなければ、いまごろまだ、年齢イコール彼女いない歴でしたよ、と、鈴木君はよく話す。あれから10年以上になるのに、英語の原著を梅子はまだ読み切れておらず、あちこち付箋のついたのが、いまだに彼女のベッドの下に突っ込んであるはずだ。梅子のお父さんは、魚市場勤めという職業がよく似合う豪快なオッサンで、時折、この婿候補を歯がゆく思うこともある、らしい。
ちなみに、彼、庭野ゼミナール草創期の生徒さんの一人で、在籍は半年に満たなかったと思うけれど、未だに私には、そのときの敬称をつけて、呼んでくれる。
「そうなんだよね。彼女いない歴を断ち切るのは、やっぱり、ちょっとしたきっかけなんだよね」
「庭野先生。フィアンセできたって、聞きましたけど。インド人の」
「ああ。あれね」
言いよどむ私の言葉を、桜子が引き取る。
「ウソの恋人なのよ、鈴木君。秘書の木下先生を、たぶらかすためだって」
「てか、サクラちゃん。その、鈴木君ての、いいかげんやめてよ。もうすぐお兄さんになるんだから、名前でお願い。ねえ、シンイチロー」
「あはは。いいよ、いいよ」
私はため息をついて、言った。
「もうすぐ嫁取りをする青年の余裕だなあ。アイツラとは、大違い」
「あ。例の、喪男サークルですか」
「うん。ヨコヤリ君と一緒に、会ったのはまだ二回だけだけど、彼らがモテない理由、よく分かったような気がする」
「フケツで、男尊女卑の気があって、会話が通じない?」
「必ずしもフケツじゃないし、必ずしも男尊女卑じゃないし、必ずしも会話が通じないわけじゃ、ないんだけどね」
たとえば「最初から分かってんだろ」のトウヨ君。
「熱血漢なんだ」
「いいじゃないですか」
「ヘンに行動力がありすぎる、タイプなんだ。クリスマス粉砕デモで石巻立町通りを練り歩くって、きかないんだ。彼自身は仙台の人だから、石巻警察署へデモの届け出? 行列行進集団なんちゃら運動に関して、お巡りさんに相談に行くからつきあってくれって、言われちゃったよ」
私が深く長いため息をつくと、姉妹が口々に言う。
「あら。タクちゃん。クリスマス粉砕したくないの? 毎年この時期なると、妙にへこんでたじゃない」
「そうそう。私が一緒にケーキを食べてあげるって言ってるのに。イケズ」
「子どもは、パパ・ママと一緒にクリスマスを楽しむのが正解だと思うな、桜子」
「私、もう、おとなだから」
「そうねえ。一度くらいは、サクラちゃんを連れて、ホテルディナーとか、悪くないんじゃない?」
「今年は、偽物だけれど、フィアンセがいるからね。彼女と弟のテンジン君に誘われて、パーティーかな。桜子、一緒にいく?」
「いくっ。もしかして、サルトビさんたちも、来るの? サンタの恰好とか、似合いそう」
「彼らにとって、クリスマスっていうのは、恋人と過ごす日じゃなく、家族と過ごす日らしい。日本でいうお正月みたいな感覚、みたい。飛行機の便、余裕があるうちに、一度マルセイユに帰るって言ってたな」
「そのパーティー、喪男さんたちも、誘ったらいいじゃない」
「簡単に言ってくれるな、梅子。それに、そもそもトウヨ君は、反対派だ」
「トウヨって、どういう字を書くんですか、庭野先生」
「そもそも短縮形なんだよ、鈴木君。もとは、ネトウヨ」
3ちゃんねるの政治板等にはりついて、他のヘビーユーザーとマウント取りバトルを繰り広げること、はや10年。気がつけば、リアルでもネットでも友達と言えるひとがいなくなっていた。もちろん恋人だって、できたことはない。国を憂う志士に、なんでオンナは冷たいんだ……。
「去年くらいからかな、いきなり女性を呪うコピペをあちこち貼りつけはじめて。他のユーザーさん、彼を嫌うっていうより、腫物に触るように無視するようになって。あげくに、そんなネトウヨしてれば、オンナにモテなくなるのは、最初から分かってんだろ……と口を酸っぱくして言い聞かせるようになったんだそうな。もちろん、トウヨ君は納得してないわけだけど」
「それで、最初から分かってんだろ、のネトウヨ君かあ」
「オンナにモテたい一心で、ネトウヨから足を洗う決心をしたって、さ。最後のほうは、運営サイドから、しょっちゅう書き込み禁止を食らってたらしくて。固定ハンドルネームを使えなくなったから、今回の喪男サークルには、ズバリ、ネトウヨって名前で参加するつもりだったみたい。でも、それじゃあんまりだってヨコヤリ君が言ってくれて」
「……ネが取れた、トウヨ君になった、と」
「そういうこと。でも、根っこの部分は全然変わってなくて、何かの拍子に、活動家みたいなところ、出ちゃうみたいだね」
「ウヨクだと、やっぱり少し、怖い人なの、タクちゃん?」
「白髪まじりのパサタ髭つけて、それらしくしてるけど、ご本人、迫力とかは全然ない人。スポーツとか全然やったことない、貧相な体だし。そもそも、日頃のうっぷん晴らしと、他ユーザーにマウントを取るための、なんちやって右翼だから。一度本物に説教を食らって、タジタジになったってさ」
「なんか、恰好悪い?」
「まあ、間違っても、本人の前では言わないでくれよ、桜子。ガラスのハートの持ち主だから」
「うっ。ガラスのハート。なんだか、ウヨクのイメージと全然違う」
「基本的には、いいひとなんだろ。朴念仁でも女の子にモテてた、古き良き時代からタイムスリップしてきたひとなのさ」
「ねえ、タクちゃん。ウヨクサヨクの朴念仁でも、モテてた時代なんて、あるの?」
「与謝野晶子が歌ってるじゃないか。柔肌の熱き血潮に触れもみで、寂しからずや道を説く君。一世紀前には、強がりばっか言ってる童貞くんたちに、柔肌触らせてもいいよっていう乙女が、少なからずいたのかもね」
「それは、一世紀前には、朴念仁さんたちも、それなりに高尚なこと、語ってたからじゃないの? 今のウヨクサヨクの人たちと違って」
「同じだって。政治思想なんつーのは、ギリシアのポリスの時代から、モテないオッサンのたわごとだと、決まってんの」
「そうなの? お姉ちゃん」
「私、知らない」
「ねえ、タクちゃん。他の人も、その、トウヨ君みたいな感じなの?」
「いや。コミュニケーション能力っていう点では、彼が一番まとも」
「えっえー。クリスマス粉砕なんて言ってるひとが、一番まともなの?」
「他の5人は、そもそも、女性を前にするとコミュニケーションがとれなくなっちゃうんだ。コミュ障ってヤツなんだよ」
「あ。アキラちゃんに聞いた。光速のタカシ君だっけ? 女子と目を合わせられない人」
「光速のタケシ君、な。……なんでも、女子の邪気眼にあてられると、過剰なマナを注入されるらしくって、呼吸できなくなるとか。で、息ができないぶん、お話はムリだよって、ことらしい」
[中二病?」
「小学校六年から、30歳まで、母親以外と話したことがないっていう、由緒正しき、ヒキコモリだったんだそうだ。お母さんが過労で倒れて、オジサンにぶん殴られ、目が覚めた。ちなみに、父君はタケシ君によく似たタイプの人で、長年無職だったそうな」
「パパのほうも、ブン殴られた?」
「たぶんね」
「しかし、父子で、ヒモですか」
「鈴木君、はっきり言うねえ」
「ねえ、タクちゃん。じゃあ、光速のタケシ君って、サラブレッドなんだね」
「まあね。ただ、親の七光りが通用するような世界じゃ、ないみたいだ。家を追い出されてすぐに、タケシ君はすぐに市役所に駆け込んで、生活保護の申請をした。ただちに却下されて、その後はネットカフェを点々としながら、アルバイト生活だって。でも、どこの職場でも長続きしなくって、途方くれていたところ、病院から這い出してきたお母さんが、迎えに来てくれたって」
「甘やかしすぎじゃない」
「私に言わんでくれ」
「で? タケシ君は、元のヒキコモリに戻ったの?」
「いや。今じゃ立派なニートに昇格だそうだ」
娑婆の空気がうまいことに気づいたタケシ君は、積極的に外で浪費するようになった。パチンコ、競馬にメイド喫茶。クズの代名詞みたいな男でも、ママにとってはかわいい息子ちゃん、らしい。これでもヒキコモリ時代から大きな進歩をしているんだから……とお母さんは血反吐を吐きながら、息子の小遣いを工面している。
「それで、運転免許も取り、クルマも買い、次は女の子の番、なんだと」
「友達には絶対オススメできないタイプじゃん。そんなの相手をする女の子、いるわけないよ。お母さんも、実は毒親よね」
「そうだね。タケシ君ママも自覚してるけど、やめられないらしい」
鈴木君が、話を本題に戻しましょうよ、と割ってはいる。
「どんなタイプが、好きなんですか? そのタケシ君」
「……ヒキコモリ生活が長かったから、妙齢の女性を、ただ遠くから見るだけでドキマギする。手ひどく降られれば傷つくこと間違いなしだから、美人でもキツイ性格は、いやだ、だそうだ。で、一度、下校途中の女子小学生をコンビニに誘って、オカシを買ってあげるから、一緒に遊ばない? と声をかけたとか。まあ当然、防犯ベルを鳴らされた上に、警察に通報されたそうな」
「……世のため人のため、そして本人のため、もう一回ヒキコモリ生活に戻ったほうが、いい人かも」
「まあ、そういうなって、桜子」
「モてる、モテない以前の問題じゃん」
「まあ、そういうなって、梅子」
「タクちゃん。そんな子と、遊んじゃいけませんっ」
「君は、私のオフクロか。まあ、本人には本人なりの、言い分けと対処法があるらしい。なんでも、日ごろ、女子との接触が皆無なタケシ君は、半径2メートル以内に女子の存在を感知するだけで、心の平静を保てなくなるそうな。で、性欲の亢進さえ収まれば、普通に女子とお話できると気づいた彼は、秘技を生み出した。ズボンの前ポケットの底を切っておいて、どこで何をしていようが、直接チンチンをいじくれるようにして……」
「ちょっと待って、タクちゃん。もしかして、ものすごく下品なこと、言おうとしてない?」
「最後まで言わせてくれよ、桜子。ええっと、チンチンをいじくって、射精して、賢者タイムに突入すれば、まあ、目を合わせるのは難しても、普通に会話はできる、と。で、その賢者タイムに到達するまでの素早さを称えて、光速のタケシ、という二つ名を名乗るようになった、と」
「要するに、早漏ですよね、庭野センセ」
「握手は絶対したくないタイプ」
「まあ、そう邪険にするなよ、桜子」
「いや、男の僕でもイヤですよ」
「まあ、そう邪険にしないで、鈴木君」
「性犯罪者で、セクハラ魔じゃん」
「ヨコヤリ君も、君と同じことを言ってたよ、梅子。ま、空からサンマが降ってくるような奇跡が起きて、彼が女子とおつき合いできたとしても、結婚までの道のりは高く険しいだろうな」
結論。
土下座で結婚までたどりつければ、安いもんだ。
「話がオチたところで、練習、再会しようか」
一度、私がひっくり返したちゃぶ台が、鈴木君の顔面に直撃した。
憤怒の相で、梅子が私の前に、仁王立ちになった。
「これも、練習だよ、梅子」
「そうね。お父さんが、シンイチローをケガさせたときの練習、しなくっちゃ」
梅子は容赦なく、私の顔面を右足で踏んづけたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます