第5話 方法論各論
色気のありようを左右する、物語性とは何か。
「抽象論から語るな、と桜子に釘を刺されたばかりですので、今度は逆に、具体策のほうから、さかのぼっていきましょう」
現代ニッポン、21世紀初頭の今、私たちの「色気」の根本となっているものは、何か。
「結論から言います。ズバリそれは、出版やテレビ放送における、倫理コードだろうと思われます」
「ええっと。タクちゃん。今度はいきなり、お話が飛んじゃったけど?」
「庭野センセ、さっき歌舞伎の日本文化うんぬんって、言ってたじゃん。ワビ・サビ・モエとか、モノノアワレとか、そーゆーのと、関係するんじゃないの? そもそも少年ジャンプとかマガジンとかサンデーとかの前から、色気の話って、あったじゃん。PG12とかR18とか、最近になってから話じゃん」
「富谷さん。ワビ・サビとか、むつかしい言葉を知ってるね」
「あ。バカにして。今ちょうど、古文の授業でやってんの。ふっ。アタマにきた。ねえ、サクラちゃん。庭に穴掘って、センセ、埋めとく?」
「埋めるのは、最後まで解説を聞いてからにしてくれ」
たとえば、マンガの例。
「現在、週刊誌という形で出版されている多種多様なマンガ雑誌は、それぞれ対象読者年齢層によって分類されています。性的描写の可否をネタにしたものに、『乳首券』なるネットミームがあります。この『乳首券』を発行された漫画家は、連載中のマンガで女性の乳首を書いていい。要するにこれは、少年誌における描写制限、倫理コードと、それを攻める漫画家を揶揄したものでしょう。けれど、例えば、本当にこの『乳首券』なるものが発行されていたとして、少年誌掲載マンガのすべてが、露骨な描写ギリギリに挑戦するわけではありません。たいてい、そのマンガ雑誌の中で、最も倫理コードの限界に挑戦するのは一つか二つくらいのもので、『お色気マンガ』と呼ばれたりします。そして、お色気マンガでない普通のマンガにおいても、そのマンガなりの倫理コードが存在し、そのギリギリを攻め、最もセックスアピールをしている登場人物のことを『お色気担当キャラ』などと呼称したりします。
つまり、マンガそのものには、あるいはマンガのキャラクターには、雑誌分類、その雑誌内での立ち位置、そしてマンガ内での立ち位置等によって、様々な倫理コードが重複して課せられている。セックスアピール、性的描写の限度は、それがどんな物語、どんなプロット・ストーリーであろうと、物語の埒外にある見えない力にも左右されます。
あ。老婆心ながら、注意をひとつ。乳首券の例でも言いましたが、お色気担当だから、必ずしも肌をさらすとは限りませんね。日本を代表する国民的マンガ、ドラえもんのシズカちゃんは、パンチラまでしか見せない」
「えっえー。違うよ、タクちゃん。シズカちゃん、お風呂に入って、のび太くんに覗かれてるじゃん」
「あ。今でも、そうなの?」
私が子どものころならともかく、もう露骨な描写とかしなくなったと思ってた。
「もー。ジジくさい誤解してないで。ちゃっちゃと話を進めて」
「……最初に富谷さんに言われてしまったので、もう一度繰り返す形になっちゃいますけど、もちろんその昔、例えば昭和以前には今ほどマンガやテレビが普及していませんでした。色気と言えば、フィクションの中の架空の人物でなく、リアルにいる身近な人物、お向かいの糸屋の娘さんや、隣の後家さんのことを言ったのです。しかし、じゃあ、糸屋の娘さんが婿取をしたり、隣の後家さんが再婚相手を探したりするとして、どの程度の色気の発揮を許されたか。仏教神道等の宗教、その土地ごとの風習、親兄弟の教え、そして世間様という擬人化された一般常識が、倫理コードとして働いていました。今でも、もちろん田舎町にいけば現役で機能しています。石巻ではどの程度か知らないけれど、仙台とか、東京とか、都市化が進んだ地域ほど、薄れているとも言えます。では、この空席になった……いや、石巻とかでは空席になりつつある、かつての倫理の神様の位置に座っているのは、何か。それは、マスメディアではないかと思うのです」
桜子たちなら、今、お母さんに注意されるのは、スマホのやり過ぎに注意しなさい、かもしれない。しかし私が子どものころには、テレビを見過ぎるな、マンガを読みすぎるな、というのが小言のメインであった。
「……圧倒的な消費時間と影響力。そして、戦後日本人の希薄かつ無関心な宗教心に照らし合わせれば、マスメディア、イコール倫理の神様論は、あながち外してはいないのでは、と思うのです。さきほど、乳首券の話をしたので、これを例にとりましょう。現代ニッポンで、例えば石巻立町通りで女性が乳首を晒してあるけば、逮捕されます。では、なぜ、女性の乳首露出はダメなのか? 一世紀前の日本なら、たとえば授乳中の母親なら、お目こぼしされていた。あるいは、欧米のトップレスビーチ、ヌーディストビーチなら逮捕されない。乳首はダメで、胸の膨らみのほとんどなら、許されるのか。合理的な説明、というのは、おそらく不可能でしょう」
あ。最後の胸のふくらみほとんどは、浅草や神戸のサンバを念頭においてます。
「警察等風紀取締りなら、法律で決まっているから、とか、そういう判例があるから、という返事になるでしょう。でも、その判例が今後更新されるとして、一番大きな影響力を持つのは? チャタレイ裁判等、もっともこれらの議論が盛んだった時期、まだ世間の常識というヤツか幅を利かせていました。今なら、それが、マスメディアのつむぐ物語性ではないか、と思うのです」
桜子が、少し考えこんでから、言う。
「……でもさ、タクちゃん。たとえ石巻立町通りをトップレスで歩く女子のマンガが出てきたとして、マネする女の子がいたら、すぐに逮捕されるんじゃない?」
「いきなり、はムリだろうさ。でも、何かしらエクスキューズ、合理的かつ説得力ある言い訳が出てくれば、それもどうだか分からない」
「……ボク、やっはり、庭野センセにだまされているような気がする」
「富谷さん。君、同級生のひとたち、なんちゃって制服、着てるよね」
「そうだよ」
「もともとウチの高校、つまり君が今在籍していて私が卒業した高校は、れっきとした学生服が校則に定められていた。60年代70年代、学生運動が盛んなりし頃、当時の在校生が先生たちに直訴して、今みたいな私服通学を勝ち取った。でもさ、考えてみてごらん。石巻には、当時大学なんてなかった。学生運動に影響されて、ていうけれど、身近で見ているはず、ないんだよ。当時の先輩たちは、いったいどこで学生運動のことを知ったんだろ」
「……テレビ」
「そう。テレビに影響されて、テレビの現実ってヤツを自分の学校でも体現したくて、先輩たちは頑張ったんです。で、宮城県には公立私服高校多いから、今さらあんまり気にする人はいないけれど、当時、学生は学生服を着るというのは、鉄壁の規則であり、ルールだった。テレビがなけりゃ、私服OKなんていうコペルニクス的転回はなかった。乳首丸出し散歩ほどじゃないかもしれないけど、テレビの影響で疑問の余地なき倫理がひっくりかえった、いい例」
「うーん。そうなのかなあ」
「じゃあ、もう一つ身近な例をあげよう。……富谷さん、なんちゃって制服のスカート、短すぎるとかで、校則で時々問題になるとか、聞いたけど」
「そうだよ」
「私が高校生の時分には、ときどき、なんていう悠長な話じゃなかったけれどね。もちろん、そのときは男子校だったんで、今の好文館、当時の石巻女子とかの話なんだけど。女子はスカートが長いのが当たり前。わざわざ自分からお尻が見えそうになるように改造するなんて、ヘン。それが世の常識だった。つまり、ここにも、確固たる伝統たる倫理があった。でも、当時の女子高生たちは、そんな倫理、校則を疑った。こっちのほうがカッコいいから、足が長く見えるから、流行りだからって、スカートを改造していった。既存の倫理への反逆だね。定着しきった今だから、短いスカート当たり前になっちゃってるけど、ここにもコペルニクス的転回があった」
「それも、テレビの影響なの、タクちゃん?」
「マンガだと言われてるね。某少年誌に載った、ボーイズ・ビーっていう恋愛シリーズ。登場人物の女の子たちの制服、なぜかミニスカートだったんだ」
「ヘンなことばっかり、詳しいんだもんなあ」
「何を言う。桜子が、ミニスカ・ノーパンの理由を知りたいからと言うから、お話の着地場所を一生懸命目探してたんだぞ」
「あ。そうだった」
「以上の議論を踏まえて、富谷さんに伝授するアプローチの名前は……一人漫才アプローチ」
「なに、それ」
今までの説明を踏まえて、まず富谷さんにやってもらう作業。それは、ヨコヤリ君と恋愛丁々発止する際の物語性を決める、ということです。もっと言えば、彼女なりの「倫理コード」を決定する。
「なに、それ」
男女交際にも段階があって、キスも済ませてない女の子が、いきなり彼氏の前でストリップティーズをかましたりはしません。交際ステージのどの段階で、どれくらいを彼氏に許すのか、どんなことを彼氏に許すのか、そういう線引きを決める、ということです。もちろん、一般的な「倫理コード」すべてが、富谷さんに当てはまるわけではありません。彼女、長らく男の子みたいな立ち位置にいたせいか、普通の女子と比して、オンナとしてのガードが甘いみたいです。下心まんまんのオッサンに、ノーパンミニスカになりなさいと言われて、素直にパンツを脱ぐなんていうのは、ふつうの女子高生として、ありえない。
「てか、それ、タクちゃんがやらせたんでしょ」
スカートのガードがゆるいのは、普段はきなれていないから、仕方がないかと思いますけど、これも標準から外れていると、言えなくもない。まあ、個別にどうするかは、おいおい話し合って決めましょう。そして、こうやって「倫理コード」を決定したら、今度は、この自分が決定した倫理コードを破るべく、挑戦する。
「は? タクちゃん、何を言ってるか、分かんないんだけど」
「庭野センセ。マッチポンプみたいなことをするってことですか」
具体例をあげます。
たとえば、ウチの塾で新人講師歓迎会するとします。我が塾のお色気担当、秘書の木下先生は、酔っ払って何かする人ではないですけど、説明のために、ここで酔っ払って服を脱いじゃうひと、ということにしましょう。
ここで、重層的倫理コードが働く、という例を説明します。
その1。宴会の場となる居酒屋や旅館といった、お店側からの規制。
個々の宴会がどんな性格をしていようと……釣り同好会の宴会だろうとヤクザの杯事だろうと消防団の離任式だろうと、ここまではやってくれるな、という線引きです。先ほどのマンガ誌の例で言えば、少年誌青年誌といった、媒体に課せられる倫理コードに比せられるかもしれません。
その2。宴会主催者からのお願い。
PTA、たとえば保護者の方たちが参加するような公式の場では、さすがの木下先生も脱げない。また、口では無礼講とか言ったところで、暗黙の了解で、やっちゃいけない線引きというのがある。これは、個々のマンガにおける独自の倫理、ルールに比せられます。
その3。木下先生が、自分自身で定める、倫理コード。
この例の木下先生が露出狂で、自分のカラダを見せびらかすのが好きな女性でも、ここまでやっちゃマズイんではという社会人的常識や、あとでカラカイのネタ等にされたら面倒だなという計算とかで、自主規制しちゃうことがあるかもしれません。これすなわち、今言った、自分自身で線引きする倫理コードです。もちろん、こうやって自ら倫理コードを作った木下先生ですけど、同時に、この倫理コードを破りたい、あるいは限度を拡張したい誘惑にもさらされます。
女子高生の桜子や富谷さんに話すのは少し早いですけど、たとえば、この手の宴会ではコンパニオンさんというお酌をしたり愛想を振りまいてくれたりする女性を雇ったりします。宴会を盛り上げることのできる女性というのは貴重で、特に色気を振りまいてくれれば、男どもが盛り上がる、という構図があるからです。
それで、木下先生は、自ら、自分の倫理コードを相手にするのです。
最初は、ビールを一杯飲んで、少し熱くなったわ、と言いながらブラウスのボタンを3つ開ける。
次に、焼酎の水割りを飲んで、少しスカートの裾をまくってみせる。
周囲の反応を見ながら、あるいは自分の羞恥心と露出の快楽を天秤にかけて、どこまで大丈夫かチャレンジする、ということです。
ここいらへんは、マンガやテレビのお色気担当がやっていることと同値と言えるかもしれません。
「ねえ、タクちゃん。一人漫才、出てこないんだけど」
「倫理コードへの挑戦の勝利条件は、クルマのチキンレースに似ています。抵触しそうなギリギリのところで踏みとどまる。これが最も大切です。男性同僚に囃し立てられてマッパになった日には、お局様その他女性講師陣から総すかんを食らう、あるいは、宴会主催者から大目玉を食らう、そして宴会場側からも出禁を食らう……せっかくの努力が水の泡になります」
「だーかーら、一人漫才」
「ええっと。この倫理コードへ挑戦しようとする人格の部分と、それを止めようとする人格の部分のやり取りが、ちょうど漫才の掛け合いに似ているのです。漫才はそもそも二人でやるものなので、いったんこの役割で、キャラクターを解体してみることにしましょう。お色気担当、イコール、ボケ役を木下先生。そして、ブレーキ担当イコール、ツッコミ役を桜子がやる、と想定します。宴会で酔っ払ったふりをして、次々と服を脱ぎだす木下先生に対し、色々と注意して脱ぐのを思いとどまらせようとする桜子という構図、想像できるでしょうか。もちろん、掛け合いの手法そのものを漫才から援用してきているので、この掛け合いには、ある種のユーモア、笑い、そして楽しさというのが、付きまとっていると思います」
「ふーん。でも、その止め役って、本当に必要?」
「ブレーキ係がいないと……場が殺伐とする、というか、凍りつくというか、そーゆーマイナスの影響が出るんじゃないかと、思われます。ツッコミ役不在でも、倫理コードをあからさまに破れば、どこからかペナルティはくるものです。さっきの宴会の例、再三繰り返すと……居酒屋の店長に出ていってくれと追い出されたり、宴会主催者から中止の厳命がきたり、『場の空気が読めない女』と同僚たちが軽蔑したり、と。18禁マンガ等ならともかく、ふつうのマンガの『お色気担当』は、このへんの約束ごとはきちんと守ってるように、思われます」
「漫才ってことはさ、庭野センセ、お色気って、話術なのかな?」
「いい着眼点ですね、富谷さん。そう、話術がすべてではないけど、当たっているとも言えます。少なくとも、トーク術が上手なら、身体への負担、肌をさらす危険性は少なくなっていくでしょう。しゃべってるだけで、相手男性をコーフンさせられるなら、わざわざブラウスのボタンを外さなくて、すむ」
「ねえ、タクちゃん。マンザイなら、ネタを考えて仕込みもいるし、練習もいるよね。お色気するのも、練習とか仕込み、いるの?」
「おそらく必要だろう、というのが私の見解です。もちろん、即興でネタを考えられる、機転の利く女性もいるだろうし、普通のしゃべってるだけでエロトークになる、サキュバスみたいな女の子もいるでしょう。でも、そういうふうになるのは、おそらく年季がいる。豊富な男性経験に裏打ちされて、初めて余裕が出るものです。大半の女子にはむつかしく、特に恋愛事始めな女子高生にはむつかしいんじゃないでしょうか。ネタの仕込みがなければ、どーしても安易なほうに流れてしまうのは、人としてのサガです。ムダなエロサービスをしたくなければ、もちネタを考えて、仕込んでおくのが無難です」
「でも、そういうネタを考えるの、大変かも」
「わざわざ、いちから考えなくとも、いいんです。それこそ、ふつうにマンガを読んで、その中のお色気担当キャラのマネをする、あるいは一ひねりして、自分のネタにすればいい、ということです。マンガを読めば、お色気術の勉強になるだけでなく、私が説明してきたことの裏付けもとれるでしょう」
「庭野センセ。ボケ役イコールお色気担当は女性だけどさ、マンザイの相方、ツッコミ役も女性でなきゃ、ダメなの?」
「もちろん、男女どちらでもかまいません。けど、性別によってニュアンスは少し違ってくるでしょうね。このお色気マンザイの観客の大半が男性だとして、相方が男の場合は、観客の代弁者みたいなニュアンスになるでしょう。すなわち、観客が心の中で『おいおい』とツッコミしているのを、ズバリ言ってあげる、みたいな。他方、女性相方の場合は、引き立て役でしょう。あまりたとえはよくないですけど、普通の女の子でも、隣にあまり容姿がよろしくない女性を並べると、美人に見えるというのと、同じ理屈です。もちろん、お色気マンザイの場合は、よりエロく見えるよ、ということですが」
「庭野センセ。最初の話に戻るけど、二人でやるマンザイじゃなくて、一人でやるマンザイなんだよね」「そうです。お色気担当の近くにいつでもブレーキ役がいるわけでは、ありませんから。個別の説明をする前に……桜子、もう、正座、解いていいかな?」
足がビリビリしびれて、感覚がほとんどない。
「ほうほう。感覚がないとな。どれどれ」
桜子と富谷さん面白半分に指でつっつき、私は悶絶した。
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