第4話 方法論について
何度も言うけれど、桜子、そして富谷さんの通う高校は私服校である。
けれど女子の大半は、どこかで見たことのあるようなブレザーとスカートの組み合わせ、いわゆる「なんちゃって制服」で登校する。部活に入ってる女の子たちも、登下校や授業では清潔感ある私服に着替える。富谷さんは例外中の例外で、日がな一日ジャージでいるそうな。桜子同伴で最初の恋愛相談に来たときのスカートは彼女の一張羅で、自分が女子であると錯覚……もとい、自覚するための装置でもある、という。
スカート着用してなきゃ、自分が女子であることを忘れる女子高生ってなんだーっというツッコミは、いまさらである。私は、富谷さんに最初の試練を課した。アプローチ・トレーニングにはフェミニンな感じのスカートが必須。通販でミニスカートを買ってきなさい、と。どんなのがいいのか分からない、という富谷さんに、私は赤いタータンチェックのを選んであげ゜た。そして、後日、アマゾンの段ボールを開けたその日に、連絡があった。
「……これ着て街を歩くの恥ずかしいから、練習道場で着替える、でダメかな?」
「ねえ、富谷さん。お尻がすーすーするなんていう、初めて女装した男の子みたいなこと、言い出さないでくれよ」
「部活の時には、ランニングショーツ姿になるんだし、今さら、空気の流れの話なんかしないよ。でもさ、これ、普通に立ってるだけで、お尻が見えそうなんだけど」
「富谷さん。それくらいで驚いてちゃ、新しいアプローチ技を習得できないよ。鬼のいぬ間にレクチャーを開始するから、とにかく、そのスカートを持って、すぐに来て」
「鬼のいぬ間?」
「あ。失言。気にしないで」
私と桜子は、二世帯住宅の離れのほうに住んでいるのだけれど、この離れの二階が、ちょうど図書室のようになっている。亡くなった桜子の祖父が、孫娘のためにと準備した童話のコレクションだ。現在出入りするのは私と桜子だけ。誰にも邪魔されない広い空間ということで、川崎さん、古川さんという女子二人の「女磨き」に使った。
のこのこと我が家に来た富谷さんに、この図書室のことを説明する。ついでに、早速スカートに着替えて、とせかす。上はジャージのままだけれど、まあ、いいか。
「富谷さん。君の最終目標、もう一度確認しようか」
「え……確か、サークルの姫になって……」
「それは勝利条件。最終目標は、色気。要するに、色っぽい女になるって、ことだよね」
「そうです」
「色っぽい女性、イコール、セックスアピールのある女性、イコール、エッチ臭い女の子、イコール、ノーパンミニスカが似合う女子、なんだよ。OK?」
「え……いや、庭野先生。途中、思いっきり、論理が飛躍したような」
「気のせい、気のせい。とにかくパンツを脱ぐのは、セックスアピールの原点だからさ。騙されたと思って、脱いで脱いで」
「なんか、本当にだまされているような」
しぶしぶ言いながら、富谷さんは本当にパンツを脱いだ。
大した説得もしなかったのに、この成果。私は少し感動した。
「その……脱いだついでに、ちょっと、イロイロ、ポーズの練習もしとこうか。これも色気のため。そう、色気の研究のためなんだよっ」
感極まった私が、富谷さんに注文を出そうとした矢先。
「アタタタタ……トウッ」
私の経絡秘孔を突き、金的蹴りを食らわせてきた女子が、ここに一人。
世紀末……いや世紀頭、救世主だ。
「サクラコ、百裂拳」
私はズボンの前を両手で抑えながら、声を絞りだした。
「うーん。痛いじゃないか、桜子」
「私の目の届かないところで、タクちゃんが大事な相談相手をたぶらかそうとするからよ。ふん。お前はもう、死んでいる」
「死んでない、死んでない」
「ふん。お前のチンチンは、今から死ぬ。おっりゃー。電気アンマーっ」
倒れた私を、富谷さんが中腰になって、心配そうにのぞき込んでくれた。やっぱりスカート自体、はきなれていないせいか、女の子の大事のところが丸見えだ。
けれど、ああ、全く色っぽくない。
エロのカケラも、感じられない。
「どーあっても修行がいるな、やっぱり」
「まず。20世紀まで、色気はどんなふうに語られてきたか、簡単に復習します」
私は桜子に正座させられたまま、方法論の説明を開始した。
「日本文化論の文脈から色気が語られるとき、必ず触れられるポイントがあります。言うまでもなく、歌舞伎の女形です。舞台上の役者すべてが男性で、女性役も演ずるというユニークな演劇の形態は、「女性らしさ」とは何か、という問いを生じさせました。今でいうジェンダー論のさきがけです。ここまでは、OKですか」
「OKよ。タクちゃん」
「てか。庭野センセ、なんでいきなり丁寧語?」
「……この、歌舞伎のジェンダー分析というのは、馬に食わせるほど論じられたテーマであるので、詳しくは割愛します。で、色気という本論に合わせて、ここでは、今まで明示的に語られてこなかったことを語っていきます。
その1。色気とは、ジェンダーの領域に属する何か、である。
この場合、ジェンダーとは、セックスの対義語として使っています。セックスといっても性行為のことを言っているわけでなく、文化的性に対して、生物学的性、という意味です。女形はもちろん生物学的には男性で、その男性がいかに女性らしさ、女性の色気を醸し出すか、というのが歌舞伎の演技論のキモであり、ジェンダー論の主旨です。この、セックス・イコール男性、ジェンダー・イコール女性という対比のお陰で、色気が身体性に依存しないということが分かります。つまり、いわゆる女っぽい女性にだけ色気があるわけではなく、男まさりな女性、ボーイッシュな女の子にだって、ちゃんと色気は、あるぞということです。……よかったね、お二人さん」
「タクちゃん、一言余計」
「そろばん板の上に座らせて、少し石を抱かせようか、サクラちゃん」
「えーと。この、その1の結果を踏まえ、その2です。
色気とは、技術である。
その1で、色気が身体、生物的性に依存しないことを、確認しました。女形の人たちが女性に化ける際の技術のことを「芸」なんて呼び方をします。この「芸」、要するに、声色や仕草、化粧なんかの集大成から成り立つ変身術、あるいは変身した自分をディスプレイする技術、です。この変身の目標は、女性性です。しかし、単一の目標がある、つまり女性のイデアがあるというわけではありません。いわば、目標群とでもいうべき、多様性がある目標なのです。役者さんが、この技術を発揮するバリエーションのことを「芸風」などと言います。お芝居の演目ごとに、そしてそこに登場するキャラクターごとに、色気があります。さらに、そのテキスト上の色気をどう解釈し表現するか、たとえば楽譜を実演するオーケストラみたいな実演のバリエーションもあります。
では、なぜ、こんなふうに色気は多種多様なのでしょう。
ただひとつの理想形にならないのでしょう」
ここまでの論理についてきているか、二人に確認する。
具体的なアプローチ練習のとき、もう一度説明聞くから飛ばしてくれていい、と桜子は言った。
ノーパンでお尻が落ち着かない、と富谷さんはせかした。
「……たとえば、その色気、ある種のセックスアピールを受ける、受け手側の問題があります。彼氏が脚フェチだったり、うなじフェチだったりするのに、バストをアピールしたところで、うまくいくはずがない。また逆に、彼氏がおっぱいフェチなのに、自分は貧乳でアピールしにくい、という場合もあるでしょう。さらに言えば、現代でこそ、おっぱいば性的な意味を持ちますが、ほんの一世紀も前、それは哺乳や育児、そして母性の象徴でした。エッチなイメージで語られてきた部位ではないのです。人前で赤ちゃんに乳を含ませても、要するに丸出しにしても、なんら恥ずべきことではなかったのです。
つまり、色気の発信者の意図にもかかわらず、様々な制約や文化等によって、受信者にそうとは受け取られない可能性があるのです。エッチな意図はなかったのに過剰反応されたり、逆に狙ってヘンタイアピールしたのにスルーされたり、色々と考えられます。この、発信者と受信者の間にて色気を媒介する「空気」のことを、ここでは「物語性」と名付けておきましょう。
それで、色気論、その3。
色気は物語性に依存する」
「ねえ、タクちゃん。例によってだけれど、いったい、どこまでいったらノーパンミニスカにたどり着くのよ。抽象的なこと言って、うまくケムにまこうったって、ダメよ」
「三角木馬にまたがらせて、ムチ打ちにしようか、サクラちゃん」
「ふー。今回はヤケにせっかちだなあ」
富谷さんがモジモジしている。
「おしっこしたくてさ」
「そういうときは、お花を摘みに、とか、お上品にお願いだよ、富谷さん」
とりあえず、いったん休憩になった。
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