第2話 私たちの近況

 季節は冬である。

 暖冬のせいで、山形県境のスキー場は閑古鳥が鳴き、アパレルメーカーは冬物在庫の山に顔色冴えない今日この頃だが、それでも冬である。

 我が庭野ゼミナールは、もちろん、受験本番の冬だ。

 年末前に早くも推薦が決まった生徒さんたちがいる。年明けセンター試験を意識し過ぎで、悪夢にまでうなされるという生徒さんがいる。本番前プレテストに過ぎないというのに、その試験直前にユンケルを3本も飲み、解答中に鼻血を出した生徒さんもいる。

 毎年繰り返される悲喜こもごも。

 受験生の皆さんにとっては、長い受験勉強の集大成の時であって、「これで終わり」という感慨をもって塾を卒業していく。受験生に占領されていた自習室の顔が、徐々に入れ替わっていく。我々塾講師たちも、もう、ガンバッテと声をかけることしかできない。そして、笑顔で見送ったその先で、新規の生徒さんを獲得すべく、我が庭野ゼミナールではプロジェクトを立ち上げようとしていた。

 名づけて、「名物教師育成プログラム」。

 駿台だの河合塾だの、大手予備校が生徒さんを集めてきたのは、何より先生がいいからだ。教え方のうまさもさることながら、講師陣がテレビタレントのような有名人ぞろい。カリスマがあって、スター性もある。

 ウチにももちろん、名物講師はいる。

 何を隠そう、私自身だ。

 古川さんの恋愛作戦時、チアリーダー姿になって、歌って踊ったのは、石巻の受験業界中で評判になった。しかし、同時に、色モノのレッテルを張られて、苦労もした。それに、私がいくら有名になったからと言って、塾に来る生徒さん全員を相手に、講義することはできない。

 アルバイトの大学生講師、西くんが、「オレも、女装のまま教壇に立ってもいいっスよ」と言ってくれた。西ローランドゴリラのような頼もしい顔に、思わずうなずきそうになったが、よしておいた。私とキャラが被るではないか。

 来春から講師をしてくれる予定のジョルジュ・「サルトビ」・モレル氏も、協力を申し出てくれた。この日本かぶれのマルセイユ人は、忍者スタイルで、忍術のレクチャーをしたいと言う。もちろん、受験科目に『手裏剣の投げ方』や『ガマガエルの妖怪の召喚の仕方』があるわけじゃない。というか、お願いする科目は「英語」の予定なのに、「ワタシ、フランス語と日本語しか、デキマセーン」という始末。それなら少しは英語の勉強をして欲しいと思うのだけれど、本人は最近「水戸黄門」だの「暴れん坊将軍」だの、時代劇にはまって、テレビから離れようとしない。

 最終候補のテンジン君、我がフィアンセの弟に至っては、教壇に立つこと自体拒否してくる。ターバンだのカンドゥーラだの、アマゾンで買った民族衣装は一通りそろっているのに。

「でも、それ、アラビアのコスプレですよね。石油王なんちゃら」

「コスプレなんて言わないでくれよ。てか、テンジン君の場合、インド人の衣装じゃなきゃ、ダメか」

「だから、僕、石巻生まれの石巻育ちですってば」


 奇抜な服装に頼って、ごまかそうとしてはいけない。

 講師たるもの、やはりトーク術を磨くのが、基本だ。

 我が誠実なる理系講師、渡辺啓介君が、「名物教師育成プログラム」の迷走を見て、苦言してくれた。

「ファッションショーじゃないんですから。そんなんじゃ、生徒さん、集まりませんよ。保護者がカネを出すのは、中身です。実績です。誠意です」と。

 私は、目をが覚めた。

 さすが渡辺君、大学生ながら、なんとも頼りになる男だ。

「仙台のカルチャースクールにツテがあります。講師を呼んで、勉強しましょう」

「何の勉強だい、渡辺君」

「だから、講義の仕方、です」

 渡辺くんご贔屓のカルチャースクールは、資格試験やら社交ダンスやら絵画デッサンやら、手広くやっているらしい。数ある教室の中に、冠婚葬祭の際のスピーチを教えているところがある、という。

「しゃべり方だけじゃ、ありません。壇上でのパフォーマンスを、教えてくれるんです」

 私は、渡辺くんの力強い説得に、負けた。

 かの先生をスカウトして、石巻で一席ぶってくれるように、頼むことにした。

 渡辺君に連れられて、ぞろぞろ、他の講師たちと件のスクールに押しかけると、見知った顔がいた。

 世界は狭い。

 塾の招聘に応じてくれたのは、篆刻の兄弟子だった。

 兄弟子は、用事があるとかで、奥さん連れだった。

 妹尾先輩は、私と同年代の栃木県人で、本業は床屋さんだ。大阪出身の奥さんとは、特別養護老人ホームで出会ったそう。先輩が出張理髪店で散髪している傍らで、彼女はヤクルトの訪問販売に来ていた。仕事中に偶然何度か出くわすうちに、意気投合したそうな。奥さんの夢は夫婦漫才で漫才コンクールのM1グランプリに出場すること。以来、妹尾先輩は、「相方」の叱咤激励の元、日々トーク術を研鑽しているとのこと。

「僕は、床屋稼業、結構好きなんだけどね」という先輩は、スピーチ術もなかなかのもので、最近、カルチャー講師を始めたのだそうだ。

 二つ目の「本業」のせいで、篆刻するヒマがとれなくて……とコボしている。

「でも、まあ、これで庭野くんの役に立つなら、悪かないか」

 旦那さんが、後輩の学習塾でのスピーチ講師に呼ばれたと知って、妹尾夫人も、まんざらでない様子。私たちの目標が、カリスマ名物講師育成、と聞いて「それなら、マンザイよ」とお笑い講座の開講もすすめられる。

 私たちが断るまでもなく、妹尾夫人はマシンガントーク、し出した。

 庭野ゼミナールの共通言語が、大阪弁になる日も近いんじゃないかと思った、瞬間だった。


 こうして、商売目的で始まったスピーチ講座ではあるけれど、存外、プライベートでも、役立つ日が来るかな……と最近思い始めた。

 この春、桜子の姉・梅子が、同棲中の彼氏を家に連れてくる、と言っているのだ。

 梅子と桜子はちょうど10歳違いなので、今25か26か。学校を出て、助産師の仕事も、板についてきたころのはず。最近の女子としてはずいぶんと早い結婚……いや、その報告のように思えるけど、職業柄「子どもははやく作ったほうがいい」という信念があるらしい。産婆さんとして色々見て、経験したことだろうし、彼氏でもない男が口出しすることでもない。私は、素直に祝福するつもりでいた。

 桜子はもちろん、姉妹の両親もまた、彼氏とは面識がある。

 桜子の母親は、「その日」のために、料理の腕を上げようと、毎日勉強を始めた。娘の大切な決心の日、手料理でもてなしたい気持ちもあるし、酒の肴以外は料理からっきしの長女に、献立の仕方を改めて仕込もうという親心もある。お父さんのほうは、石巻魚市場の岸壁に向かって、毎日発声練習の日々である。「ちゃんと娘を幸せにできるのか? お前のような男に娘をくれてやるわけにはいかん」うんぬん、というガンコ親父を一度やってみたいとのこと。一度家でも「ちゃぶ台返し」の練習をして、母娘にこっぴどく叱られていた。ハエたたきでお尻をぺんぺんされながら、タタミに雑巾がけする背中は哀愁をそそるものだったけれど、これぞまさに自業自得ではある。昭和のオッサンの趣味につきあわされ、理不尽に怒鳴られる彼氏のほうはたまったものじゃないだろう。けど、もうひととなりは熟知している相手、彼氏さんのほうは、父親に一芝居つきあうつもり、だとのこと。

 桜子は年頃の女の子らしく、「ウエディングドレスはどんなのを着るのか、白無垢は?」とか「ハネムーンはどこに行くのか?」色々と姉に聞いてまわっていた。プロポーズもまだ、結婚の挨拶もまだなのに、式の内容なんて決められるわけないじゃない……と姉は妹に諭していた。「でも、どんな式になるか分かんなきゃ、私もドレス新調できないじゃない」と桜子は唇を尖らせていた。普通の高校生なら制服があるけれど、桜子の高校にはそれがない。「神式でやるなら、私も着物買ってもらお。初振袖」と自分本位に浮かれていた……。

 もちろん、母親は娘をたしなめた。けれど、少し安心もしていたようだ。姉とは違って男子には縁のない娘だけれど、浮かれ具合を見る限り、結婚に憧れはあるフツーの子なのねえ、と。

 でもお母さん、それは誤解ですよ、と私は声を大にして言いたい。

 桜子は、単に宴席料理やオードブルを楽しみにしているだけだ、と。

 そうそう。

「私もまた、家族の一員でもあるんだけれど、何かメッセージないの……」と梅子に聞いてみた。

「彼氏の親御さんに挨拶するときの練習台になって」と頼まれた。

「彼氏のお母さんへの挨拶なら、年配女性に頼むべきだよ。私では、役不足だ」

「違うわよ。彼氏のお父さんへの、挨拶」

「花嫁さんになる人っていうのは、シュウトメさんになる人をなにより意識するもんじゃ、ないの?」

「でも、彼パパのほうが、夫婦の主導権を握ってるみたいだったから」

「ふーん。頑固者なの?」

「ちょっと、違うかな」

「ちゃぶ台、やっぱり、ひっくり返したほうがいい?」

「フツー、女の子相手にやらないでしょ。向こうのおとうさん、花の中間管理職にして窓際候補なんだって。こっちが恐縮するくらい、ぺこぺこ頭を下げるひとなのよ。土下座、よいしょ、タイコモチ、なんでもありの優しいオッサンの演技、お願いね」

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