6-3 謁見式の後

 謁見式が終わると、王家とシュタインベック家の者は以前にも使用した広い応接間へ移動した。

「結局真意は何も分からなかったな」

 国王が深くため息をついた。

「全く、のらりくらりと忌まわしいことこの上ないですな。どうやって我が国へ入国したのかさえ分からずじまいですし」

 ウーヴェも忌々し気にため息をつく。

「ディア、すまないね。完全に追い払ってやることができなかった」

「いいえ、…………それよりも重要な事がございます」

「何かね」

「先程の謁見の間にはジャック・フォン・シュミット男爵様が魔術封じの結界を張っておられましたが、あの方はそれを破って光属性の精神操作魔術を使用しようとなさいました。今回はなんとかわたくしの結界が間に合いましたが…………」

「そうか。ジャックではまだ役者不足だったか。奴はディアに匹敵するほどの魔術師としての才能を持っているようだな。忌々しい」

「それから…………」

 クラウディアがシルヴェスターを見上げると、彼は頷いて見せた。

「昨夜夢を見ました。透視術千里眼かどうかは分かりません。ですが、あの方は「わたくしが婚約に応じなければギルネキア王国に戦を仕掛ける」と…………」

「このタイミングでそんな夢を見るなんて、ディアの能力を考えれば無関係とは思えないね」

「プラティニお兄様……」

「……ディアには怖い思いをさせて申し訳ないけど、ディアに奴の懐に飛び込んでもらってみる?多分奴が情報を話すとしたらディアだけだよ」

「「プラティニ!!」」

 シルヴェスターとギルベルトのプラティニを責める声が重なる。

「ディアは昨夜その夢を見て、魘されて泣いていたんだぞ。そんなことをさせられるわけがない!」

「ディア、シル兄上ごめんね。でもそうでもしないと何も事態が進まないとも思うんだ」

 プラティニは申し訳なさそうに頭を下げた。

 国王とウーヴェも考える顔になっている。クラウディアをめぐってシルヴェスターとイヴァンの鞘当てで済んでいる内は良いが、国政に影響が出るようでは困る。また謁見式に参列していた貴族たちのうち、王家やシュタインベック家に対立的な立場を取る者を囲い込まれても困る。

 決断したのはウーヴェの方が先だった。

「ディア、すまない。これは宰相としての判断だ。やってもらえるかね?」

「お父様…………」

 クラウディアは戸惑い、そんな彼女の腰をシルヴェスターが抱いた。

 ギルベルトもディートリヒもヒュベルトゥスも妻のビルギットも不満そうな表情をしているが、「宰相としての判断」と言われてしまえば、家族と言えど迂闊に反対もできない。

「先日は却下したが、結局はディアに夜会でイヴァン・ステイグリッツの相手をしてもらうしか無いか」

 最終的には国王もプラティニの意見に同意せざるを得なかった。

 クラウディアは姿勢を正した。先日も王太子妃として王族の一員になるからには、国民を守るため逃げてはいられないと決意したばかりではないか。それがちょっと怖い思いをしたからと言って、シルヴェスターに泣いて縋ってしまう。このままでは駄目だと再度自分を叱咤した。

「陛下、お父様、かしこまりました。あの方のお相手はわたくしにお任せください」

「ディア、本当に良いのかい?断っても構わないんだよ」

「はい、シル様。ですが、いつまでも貴方に泣いて縋るわけにはまいりませんから」

 クラウディアはそう言って微笑んだが、シルヴェスターは緩く首を振る。

「ディアは私の前でだけは、泣いても縋っても弱気になっても良いんだ。その分外では頑張れば良い。でもそれと今回の件は別だ。ディアが怖いなら無理にやることはない」

「怖くないと言えば嘘になりますが、将来の王太子妃として私情を抑えてでも行う責務はあると思うのです。ですから、今回は陛下とお父様のご命令に従いますわ」

「そうか…………ビンス、ディアの警護を厳重にな」

 

 結論が出たところで、王族とクラウディアはそれぞれ着替えのために自室へ戻って行った。

 ビルギットも夜会の準備のために一旦公爵邸へ戻る。

 着替えの後、男性陣は宰相やギルベルトも含めて、重要事項の取りこぼしがないかだけ確認するためにそれぞれの執務室に入った。

 本日の警備責任者であるビンセントは近衛騎士団や王宮警護騎士団を集めて、夜会の警備体制の見直しだ。

 何より先ほどの謁見式でジャックの結界魔術が破られたからには、体制を立て直さなければならない。

 とは言っても、クラウディアにはイヴァンに揺さぶりをかけてもらうため、クラウディア自身が結界魔術をかける事には無理がある。

 ハイラム・フォン・ベルケル近衛騎士団団長をはじめ、幹部、歳の比較的近い者総出で、落ち込んでいるジャックを慰め、あるいは叱咤し、何とか彼に立ち直ってもらうしかない。

「ジャック、同じ魔術封じでも他の術式の結界はないのか?」

 ビンセントがそう尋ねると、ジャックは困ったように顔を歪めた。

「クラウディア様が使われるような、複雑で強固な結界の術式は勿論ございます。ですが、私ではその術式での結界は短時間しか持ちません。残念ながら夜会の間中結界を張り続けることは無理でございます」

「そうか。結界の強度と持続時間を考慮した上で、謁見式の時の術式を決めていたと言う事だな」

「はい。お役に立てず、申し訳ございません」

「いや、クラウディア以外にはジャックしか結界を張れる者はおらぬのだから、謝る必要は無い。今日は無理でも、訓練に励め。クラウディアも幼い頃より魔術の訓練には熱心だった。だからこそ今のクラウディアがあると言う事を忘れるな」

「はい、かしこまりました」

「夜会は謁見式よりも会場が広ければ、時間も長い。そこを考慮して一番効率の良い術式を考えてくれ。ハイラム、頼んだぞ」

「かしこまりました」

 ジャックのことはハイラムに任せ、近衛騎士団副団長であるパトリツ・フォン・ヴェークマンとクラウディアの近衛騎士隊隊長のコンラート・フォン・プロイセンを中心に警備体制を練り直す。

 特にクラウディアがイヴァンの懐に踏み込む話が出ているため、クラウディアから目を離すわけにはいかない。

 話し合いは夜会の直前まで続けられた。


 その頃、クラウディアは謁見で着用していてサファイアブルーのドレスを脱ぎ、一旦楽な部屋用のドレスに着替えていた。

 昼食を取って一休みした後は、夜会の準備である。入浴から始まって、全身の香油マッサージに髪や爪の手入れを行い化粧を施す。

 そして夜会用のドレスの着付けを行う。

 夜会用のドレスは、シルヴェスターの瞳の色である碧を基調としたグラデーションが美しい生地をオフショルダーのAラインシルエットで仕立て、後ろはトレーンを引いている。こちらにも全体的にシルヴェスターの髪色である銀糸で精緻な刺繍が施されている。

 袖や2層仕立てにしたスカートにはチュール素材が幾重にも使われ華やかさを演出する。

 装飾品は王妃から下賜されたサファイヤとダイヤモンドの美しいネックレスとイヤリングを合わせる。

 

 全ての準備が終わったのはシルヴェスターが迎えに来る時間ぎりぎりだった。

 クラウディアの部屋に入ってきたシルヴェスターは、ミッドナイトブルーの最上質の生地で仕立てられ、随所にクラウディアの髪色である銀糸で刺繍の施されたフロックコート、ウエストコート、トラウザーズを着用し、白のシャツにクラウディアの瞳の色に合わせた薄紫色のクラバットとポケットチーフを合わせている。

 シルヴェスターはクラウディアをエスコートして部屋を出ると、人気のない廊下で立ち止まった。(人気のないと言っても、それぞれの近衛騎士が数名ずつ付いているのだが)

 シルヴェスターはクラウディアに正面から向かい合うと、そっとその身体を抱き寄せた。

「ディア、夜会用のドレスも綺麗だよ」

「シル様も素敵ですわ。その…………薄紫色のクラバットとポケットチーフ…………嬉しいです」

 クラウディアは頬を赤く染めながら、小声でそう呟いた。

「私もディアのドレス、嬉しいよ」

 クラウディアの呟きをしっかり拾ったシルヴェスターが答えを返す。

「いくら陛下や宰相の命令と言っても、ディアにあいつの相手をさせるのは嫌だな」

「シル様…………わたくしとて好き好んでお相手するわけではありませんわ。あくまでも陛下やお父様のご命令で主催者側の1人として対応するまでですわ」

「うん。それは分かっているんだけどね…………ディア、ごめん」

 シルヴェスターはそう言うと、クラウディアの首筋、耳元の部分を強く吸い上げた。

「ぁ…………」

 クラウディアは突然のことに驚いて、声を抑えることができなかった。自分でも恥ずかしくなるような甘い声に耳まで赤く染める。

 (尚、お付きの近衛騎士も頬を真っ赤に染めたとか、染めなかったとか)

 鏡がないのでクラウディア自身には分からないが、彼女の耳元には赤い跡がしっかりと付いていた。

「シル様?」

「ディアが私のものだと言う証。どうしても奴の懐に飛び込まないといけないと言うのなら虫よけかな。昨夜は見える位置に跡を残していないからね」

「…………シル様、恥ずかしいですわ…………。今の、あの方だけじゃなくギルお兄様たちにも見えてしまうのでしょう?」

「そうだね。こんなことを提案したプラティニに対する意趣返しもあるかな」

「殿下、お戯れもそこまでになさってください。大広間にお早く。時間がありません」

 それまで生暖かい目で黙って成り行きを見守っていた近衛騎士の1人がさすがにみかねて声を掛けた。

「あー。夜会出席したくない。ディアを他の奴の目に晒したくない。ディアの部屋に戻りたいよ」

 こんな聞き分けの無い子供みたいなことを言うシルヴェスターにクラウディアは少なからず驚いていた。ギルベルトと2人、一番年上で他の皆の我儘を受け止める立場だったのに。

「シル様。わたくしなら大丈夫ですわ。あの方からお話を伺って、必ずシル様の許に戻りますから」

「ディアが危ない目に遭いそうになったら、遠慮なく割り込むからね」

「はい、頼りにしております」

「さ、殿下、クラウディア様、お話が纏まったのならお早く。お急ぎください」

「はいはい」

 シルヴェスターとクラウディアは護衛の近衛騎士に急かされながら、夜会の開かれる大広間へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る