6-2 謁見式

「ディア、準備はできたかい?」

 ノックの音と共に、シルヴェスターがクラウディアの部屋へ入ってきた。

 シルヴェスターもクラウディアも共に正装姿だ。


 王族男性は、王家の色であるミッドナイトブルー色の軍服が正装だ。上半身は細身、やや長めの詰襟ジャケットで、国王と王太子は肩に金色のエポーレット、第二王子以下は同じく金色のショルダー・ノッチを付ける。またボタンと飾緒エギュレットも金色であり、サッシュは銀の縁取りがあるガーネット色、胸には勲章を付けており、詰襟部分と袖口に金糸で豪奢な刺繍が施されている。下半身はミッドナイトブルーのスラックスで、ジャケットの上から同色の太めのベルトを締め、儀礼用のレイピアを腰に挿している。

 国王はさらにガーネット色の生地に金糸の刺繍があるマントを羽織り、細工の美しい王冠を身に付けるそうだ。

 クラウディアのドレスは、シルヴェスターの瞳の色に合わせたサファイアブルーのシルクの光沢が美しいプリンセスラインの重厚なもので、首回り、袖回り、裾回りにシルヴェスターの髪色を意識した銀糸の精緻な刺繍が施されている。左のウエストラインから右下へ向けてたっぷりとしたドレープがとられ、それが良いアクセントになっていた。アクセサリーは、ダイヤモンドのネックレスとイヤリング、急遽王妃から下賜されたティアラを付けている。


 2人は互いの正装姿を目を見開いて見つめた。

「綺麗だよディア。とても良く似合っている」

「ありがとうございます。シル様。シル様もとてもよくお似合いですわ」

「ディア、私の色を着てくれているんだね」

 シルヴェスターがそう言うとクラウディアは頬を赤らめた。

「…………はい。…………このドレスを着ているとシル様に抱きしめられているような感じがして……その…………恥ずかしいです」

「嬉しいことを言ってくれるね。この姿のディアを誰にも見せたくないよ」

 シルヴェスターがそっとクラウディアを抱き寄せようとしたとき、エレーヌが咳払いをした。

「お二人とも、お戯れはそこまでに。お時間でございますよ」

 

 シルヴェスターのエスコートで、謁見の間の王族用控室へ行くと他の面々が集まってきていた。

 王妃クレメンティアがクラウディアを笑顔で出迎えてくれる。

 その王妃の正装は、やはり王家の色であるミッドナイトブルーのプリンセスラインの重厚なドレスで、金糸、銀糸の刺繍が施され、小粒のダイヤモンドが縫い付けられて、きらきらと輝いていた。アクセサリーはクラウディアと同じくダイヤモンドのネックレスとイヤリング、ティアラを付けている。

「ディア、素敵よ。シルの瞳の色のサファイアブルーも素敵だけれど、早くこの色を着て欲しいわね」

 クレメンティアは自分のドレスを指してそう言った。

 さらにクレメンティアはそっとクラウディアの耳元に唇を寄せ、「昨日はシルと仲良くできた?」と囁いた。

 クラウディアは頬を真っ赤に染め軽く頷き、それを見たクレメンティアは満足そうに微笑んだ。


 クレメンティアの前では平静を装っていたクラウディアだが、彼女が離れていくと、その表情は硬くなり、シルヴェスターにエスコートされている手も細かく震え出した。

 謁見の開始時刻が迫ってくると思うとどうしても緊張感と恐怖感が襲ってくる。

「へぇー、ディア綺麗だね。シル兄上の瞳の色のドレスって言うのが気に入らないけどー」

「プラティニお兄様も正装姿とても素敵ですわ」

 クラウディアは微笑んでプラティニにそう答えたが、クラウディアの表情が硬く、微かに震えていることにプラティニはすぐ気が付いた。

「ディア?大丈夫?緊張しているの?」

「はい、少し…………」

「そっか。そうだよね。デビュタントしてすぐ王家の一員として謁見式に臨むことになるとは思わないものね」

「はい…………」

「ディアなら大丈夫だろう。それだけの教育は受けてきただろう?」

「それはそうですが…………」

「なら自信を持ってシル兄上の隣りに立てば良い」

 ビンセントがそう励ましてくれるが、実のところクラウディアは謁見式自体に緊張しているわけではなかった。

 全く緊張しないかと言われればそれも嘘になるが、大部分はイヴァン・ステイグリッツと顔を合わせる事への緊張と恐怖だ。

 それを分かっているシルヴェスターは、エスコートしている手と逆側の手でクラウディアの背中を優しく撫でていた。


「ちょっとごめんね」と言うとシルヴェスターはクラウディアをビンセントとプラティニに預け、国王の許に寄って行った。

「陛下、北のペーザロ王国に放っている間諜から良くない知らせです。戦準備を始める機運がある模様です」

「それは真か?」

「はい。昨夜遅くに連絡がありました。一先ず間諜に情報収集の手を緩めないことと、北の辺境騎士団の増強を指示してあります」

「そうか。今のところはそれでよいだろう。問題は、今回のイヴァン・ステイグリッツの来訪と北の動きが連動しているかいなかだな」

「はい」

「北にも東にも気を抜くな」

「かしこまりました」


「陛下、そろそろお時間です」

 侍従がそう声をかけると、国王は「さて、鬼が出るか蛇が出るか」と呟いて、皆を促した。

 シルヴェスターは一度ぎゅっとクラウディアを抱きしめると、「何があっても大丈夫。隣に私がいるからね」とささやき、そっと頬に口づけを落とした。

 

 まずは第二王子ビンセントと第三王子プラティニが入場し、玉座より一段下の段に立った。

 次は王太子シルヴェスターのエスコートで彼の妃となる予定のクラウディアが入場し、玉座の隣りに据えられた王太子夫妻の席の前に立つ。

 最後に国王夫妻が入場し、玉座の前に立つと、集まった貴族たちがボウ・アンド・スクレープまたはカーテシーの礼を取った。

「頭を上げよ」

 国王が威厳のある声を発すると、貴族たちが礼を解いて頭を上げる。

「まずは王太子妃となることが決まったクラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢を紹介しよう。正式な婚約式はまだ先だが、本日より徐々に王太子妃としての職務にも当たってもらう」

 国王がそうクラウディアを紹介すると、クラウディアは流れるような綺麗な所作でカーテシーを披露した。

「今日はステイグリッツ帝国からの使者が来る。我が国にとって有益か否か、皆も見極めて欲しい」

 今まで国交もなく、貿易も行われていないステイグリッツ帝国からなぜ使者が来るのか、貴族たちは不思議に思いざわめいた。

 

「ステイグリッツ帝国皇太子イヴァン・ステイグリッツ殿下ご一行様ご入場です」

 近衛騎士が両開きの扉を開けると、玉座へと続く道を皇太子イヴァンを先頭に10名ほどの従者と騎士が歩いてくる。

 イヴァンは漆黒のフロックコート、ウェストコート、トラウザーズに白いシャツ、ボルドー色のクラバットとポケットチーフを合わせている。

 玉座の前まで来るとイヴァンとその一行は片膝をついて礼を取った。

「ステイグリッツ帝国皇太子イヴァン・ステイグリッツと申します。よろしくお見知りおきください」

「ギレネキア王国国王ギュンター・フォン・ギレネキアだ。面を上げて立つと良い」

「はっ」

 イヴァン一行が立ち上がるのに合わせて、国王夫妻は玉座に、シルヴェスターとクラウディアはそれぞれの椅子に腰かけた。

「して、どのようにドロスト山脈を越えたのか分からぬが、今まで国交のなかった我が国へ何用かね」

「それは先ぶれの手紙でもお伝えしている通り、貴国のクラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢を我が妃に迎えたく罷り越しました次第です」

 クラウディアが一気に青ざめ、身体を震わせた。その彼女の手をシルヴェスターがぎゅっと握る。

「それが分からぬ。ドロスト山脈が聳え立っている限り、貴国とは友好関係も戦火も交えられまい。その状況で王族でもない一公爵令嬢を娶って何になると言うのかね」

「既にドロスト山脈は貴国との国交を阻むものではございません。その証拠に私がここにおります。貴国とは友好関係を結ぶことも場合によっては戦火を交えることも可能です。ですが、帝国としては友好関係を結びたい。そのための縁談です」

 意外な話の流れに、集まった貴族たちがざわついた。シルヴェスターの妃の座を狙う貴族の中には6属性の魔女など追い出してしまえと短絡的に囁く者もいる。

「それは生憎だったな。シュタインベック公爵令嬢は、我が国の王太子と先日婚約したばかりだ」

「婚約とおっしゃられましても婚約式や結婚式はまだでしょう。謂わば口約束の段階。私が縁談を持ち掛けてもご検討の余地はございましょう」

「それはどうかな?もともと私も王妃も王太子妃にするならシュタインベック公爵令嬢が良いと2人が幼少期の頃より思っていた。

 宰相、其方はどうだ?」

「は。私も親馬鹿ながら愛娘を託すなら王太子殿下にと思っておりました」

「この通り両家同意の上の婚約だ。婚約式自体はまだでも、他の男が入る余地はあるまいよ。聞けば其方は昨日シュタインベック公爵邸に押しかけたそうだな。我が国の筆頭公爵家に対し無礼ではないかね」

「私の妃になるご令嬢に一足早くお会いしたくなりましてね。私の情熱が先走った結果とでもご理解いただければ」

 ウーヴェもギルベルトもヒュベルトゥスも「何をぬけぬけと」と顔をしかめた。ディートリヒは分かりやすく舌打ちしている。

 クラウディアの顔色は真っ青だ。

「シュタインベック公爵令嬢も公爵家の皆もそうは思っておらぬようだが」

「それでしたら、尚更私の熱意をシュタインベック公爵令嬢にお伝えする機会をいただきたく」

「それならば、当のシュタインベック公爵令嬢の意見を聞いてみるかね。クラウディア、どうかね?彼のプロポーズを考慮する余地はあるかね?」

 クラウディアの手を握るシルヴェスターの手にさらに力が籠った。クラウディアも縋るように握り返す。

 なんとか声が震えないよう注意して、クラウディアは上辺だけでも堂々とした態度で国王の問いかけに応えた。

わたくしはシルヴェスター王太子殿下との婚約が決まりましたことを大変喜ばしく思っております。ですので、他の殿方のことを考える余地はございません」

「ということだが?なんなら、王太子の意見も聞いてみるかね?シルヴェスター、其方はクラウディアとの婚約を解消し、イヴァン・ステイグリッツ殿にクラウディアを渡す気はあるかね?」

「いいえ。国王陛下や王妃陛下、宰相の思し召しとは別に、私自身幼少の頃よりクラウディアを妃に迎えたいと思っておりました。この度縁談が決まりましたことを私も喜んでおります。そこに水を差すような真似はお控えいただきたい」

 シルヴェスターがはっきりと撥ね退けると、クラウディアは周りに分からぬよう微かに息を吐いた。

「と、まあこう言う事だ。両家の総意としても本人たちの意思としても、其方の入る隙は無いようだが?」

「まあ、そうおっしゃらずとも。歓迎の夜会と狩猟会を開いてくださるそうですね。滞在中シュタインベック公爵令嬢を口説く機会をいただきたく」

 クラウディアに向けて片目を閉じたところで、例の光属性による精神操作魔術が発動したのをクラウディアは感知した。

 この謁見の間には、もともとジャック・フォン・シュミットが魔術封じの結界を張っていたのだが、それを易々と突破してくる。

 代わりにクラウディアが咄嗟に結界を張った。こちらは今回はイヴァンとしても破れなかったようだ。「やはり面白い姫君だ」とイヴァンは小さく呟いた。

「其方、少々しつこすぎやしないかね。ここまで言われたら引き下がるのが男だと思うが」

 イヴァンがそれとなく周囲の貴族たちを見回してみると、彼らの意見は2つに分かれているようだった。国王同様イヴァンを厄介者だと思っている者と、クラウディア、もといシュタインベック公爵家を追い落としたい者とにだ。

「承知いたしました。ここは一旦引き下がりましょう。…………ですが、私がドロスト山脈を越えてこの地にいる意味をよくよく考えていただきたい。貴国に損害が出ぬようにね」

 イヴァンをそう言って一礼すると謁見の間を退出していった。

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