6-4 舞踏会(1)

 夜会が開かれる大広間の王族用控室に着くと、もう皆揃っていた。

「では、皆揃ったことだしそろそろ始めるか。ディアくれぐれも頼んだよ。ただし無理はしなくて良いからな」

「かしこまりました」

 クラウディアは頷いたが、シルヴェスターは「無理しなくて良い」と言うくらいなら、初めからやらせるなと不機嫌になった。

 王族の入場を告げるファンファーレが鳴ると、最初にビンセントとプラティニ、続いてクラウディアをエスコートしたシルヴェスター、最後に王妃クレメンティアをエスコートした国王が会場入りする。

 続いて国賓を迎えるためのファンファーレが鳴り、ステイグリッツ帝国皇太子イヴァン・ステイグリッツが入場する。

 その際、クラウディアに目を止めたイヴァンは、にやりと口角を上げた。どうやらクラウディアの正装を気に入ったらしい。

 唇の動きだけで、「可愛いな」と称賛を贈る。

 読唇術のできる王族男性やシュタインベック家の男性は忌々し気に睨みつけた。なんとなく分かるクラウディアも周囲に気取られない範囲で眉を顰めた。

 国王が夜会の開会とステイグリッツ帝国からの賓客をもてなす言葉を述べ、イヴァンがそれに答礼して夜会は始まった。


 ファーストダンスはシルヴェスターと彼の妃となる予定のクラウディアだ。

 シルヴェスターの瞳には甘い熱情が籠っている。それに中てられたクラウディアは頬を薔薇色に染めるとシルヴェスターのリードに身を任せた。

「ディアはいつの間にあんな顔をするようになったんだろうな。自覚があるのかどうかは分からないが、完全に愛している人を見る瞳だ」

 ギルベルトはクラウディアの成長を喜びつつも、大切な妹が完全に幼馴染に囚われていく様を寂し気に見ていた。

「それより、あの耳元の赤い跡は何さ!?」

 目の良いヒュベルトゥスが早速シルヴェスターの残した跡に気が付いて不機嫌さ全開で声を上げた。

「あー、僕とイヴァン・ステイグリッツへの中て付けだろうね。僕があんな提案をしたから、ディアが自分のものだって証拠を残したくなったんでしょ」

「そうだな、プラティニ。だが、公の場にディアをあのような状態で出すなどシル兄上にも困ったものだ。あれではディアがはしたない女だと言われかねない」

 ビンセントが懸念を示した通り、クラウディアの赤い跡に気が付いた貴族たちはそれぞれ好きなことを囁き合っている。若いご令嬢はシルヴェスターがクラウディアに向ける愛情に嫉妬やうらやましさを覚え、年配のご婦人方には「婚約式も未だなのに」とクラウディアをはしたない女扱いして憚らない者もいる。

 だが、シルヴェスターとクラウディアのダンスはそんな声を吹き飛ばすほど、仲睦まじい恋人同士のそれだった。謁見式で本人たちが言っていた通り、王家とシュタインベック公爵家の政略結婚と言うだけではなく、そこに確実に本人たちの気持ちがあることを見せつけていた。

 

 ファーストダンスから3曲通して踊った2人は、壁際に下がってきた。

「次は私と……と言いたいところだが、あちらの方が先だろうね」

 ギルベルトが視線を向けた方には、こちらに向かってくるイヴァンの姿があった。

「ずいぶんと仲睦まじい様を見せてくれる。この私を嫉妬させたいのかな」そう呟いたイヴァンは、やおらクラウディアの首筋に手を伸ばした。

「こんな跡まで付けられて、余程私を煽りたいようだ」

 シルヴェスターがイヴァンの手を叩き落した。クラウディアは突然のことに先日の恐怖が蘇ってきて、身動きが取れないでいる。

「彼女は私の婚約者だ。私以外の男が手を触れることは許さない」

「と、言うことだが、クラウディア嬢。私と一曲お相手願えないか」

 その言葉にクラウディアは自分の役目を思い出して、はっとした。

「ギルネキア王国への来訪を歓迎する意味で、お相手いたしますわ」

「そこは、婚約者候補の手を取ると言う場面じゃないか?」

わたくしの婚約者はシルヴェスター王太子殿下お一人ですわ。勘違いなさらないで下さいませ」

 クラウディアは内心の恐怖を押し隠して、精一杯虚勢を張っている。

 そんなクラウディアの様子はイヴァンには筒抜けで、ニヤリと口角を上げて「やはり可愛い」と呟いた。


 イヴァンは少し強引にクラウディアの手を取ると、ダンスフロアの中央へエスコートした。

 ダンスの型を組んだクラウディアは微かに震えていた。それがまたイヴァンの嗜虐心を刺激する。

「貴方はなぜわたくしにこだわるのですか?国交もなく、一度もお会いしたこともないのに…………」

「国交がないのは確かだが、一度も会ったことがないとは言い切れないだろう。事実私はこうして今ギルネキア王国の王宮にいるのだからな。ドロスト山脈が障害になっていないのは分かるだろう」

「それが分かりませんわ。あの山脈が障害にならないなんて、そんなことがあるのでしょうか」

「我が国にはあるんだ。まあ国家機密ではあるがな」

 そう言ってイヴァンはクラウディアを抱きしめると左手にしている指輪を右手で触った。

「着いてこい」

「え…………?」

 クラウディアが首を傾げると同時に視界が一転した。


 いままで王宮の大広間にいたはずが、一転して中庭に立っていた。「ここは…………」とクラウディアは思い出す。今は薄暗い街灯しか灯っていないが、幼いころ兄弟や幼馴染の王子たちとよく遊んだ中庭だった。

 イヴァンは唖然としているクラウディアを横抱きにし、中庭の隅にあるベンチに腰かけた。

 クラウディアはイヴァンの膝の上に乗せられたまま、降ろしてもらえないでいる。

「皇太子殿下?あの、降ろしてくださいませ」

 クラウディアは居心地悪そうに身じろぎしたが、イヴァンの腕は緩まない。

「このままで良いだろう。話をするにも、何をするにもちょうど良い」

 クラウディアは、はっとして意識を切り替えた。何置いてもまずはイヴァンがギルネキア王国へ来れたことを聞き出すのが先決だ。多少の居心地の悪さは我慢せざるをえない。

「い、今のは…………空間転移の魔術ですか?」

「ほう、知っていたのか。だが、そうとも言えるし、違うとも言える。空間転移を可能にしたのは私の魔術ではない。この指輪だ」

 そう言って、イヴァンは左手にしている指輪をクラウディアに見せた。

「これは…………魔道具?」

「やはり詳しいな」

「そんな。おかしいですわ。空間転移の魔術も魔道具もすっかり廃れてしまった技術だと言うのに」

「君は空間転移の魔術は使えないと?」

 クラウディアは悔し気に唇をかんだ。

「そんな風にしたら可愛い唇に瑕がついてしまう」

 そう言って、イヴァンはクラウディアの唇に一つ口づけを落とした。

「ぁ…………」

「良い声だな。話よりも別のことをしたくなってしまう」

「お戯れはお止し下さい。それよりも空間転移の魔術です。私も書物で読んだことはありますが、実際に魔術式を構築しても実行できませんでしたわ」

「ほう。6属性の魔術を使えると言われている君でも無理だったのか」

「それをどこで知って…………」

「秘密」

「それに魔道具だって、どうやって…………魔獣がいなくなってしまってから、核となる魔石が取れず魔道具の技術も廃れてしまったと」

「世界の常識としてはその通りだ。だが我が国は違う。人工的に核となりえる物質を開発することに成功した。それを魔道具に応用することもな」

「そんな…………」

「あそこの街灯を見てみろ。この国では誰かの魔術によって明かりを灯しているのだろう?だが、我が国では違う。人工的に作成した核を埋め込んだ魔道具が人間の力を使わずとも勝手に明かりを灯す」

「……………………」

 クラウディアは今までの自分の常識を一気に覆されて、唖然としたまま声も出せなかった。

「と、言う具合に我が国では魔術も魔道具作りも盛んだ。どうだ?6属性の魔術師としては興味を惹かれないか」

「それは…………」

 確かに興味が惹かれないとは言い切れない。だが、ギルネキア王国を出ることも考えられない。

「そんな国だからな、6属性の魔術師を妻に迎えることを望んだのさ」

「そうはおっしゃられましても、わたくしはギルネキア王国を出るつもりはございませんわ」


「私はね。皇太子と言われていても側室の生まれだ。正妃もその息子も虎視眈々と皇太子の座を狙っている。そこへ6属性の魔術師を妻に迎えれば私の地位は確実になる。そんな打算でこの国へ来たのだがな…………」

「貴方のご事情を話されても、わたくしにはどうすることもできませんわ」

「だが、気が変わった。貴女はとても私の好みだ。その怯えていても虚勢を張って強気でいる可愛い性格も、その美しい顔も身体もな。打算ではなく貴女を我が国へ連れ帰りたい」

 そこまで話すと、イヴァンはシルヴェスターが跡を付けたのとは反対側の耳元に同じく赤い跡を残した。

「ぃゃ…………」

 思わず反応を返してしまった羞恥心で、クラウディアを顔を真っ赤に染めた。

「その甘い声も私好みだ」

「…………なんとおっしゃられましても、わたくしの意思は変わりませんわ。シルヴェスター様だけがわたくしの婚約者です」

「相変わらず頑固だな。先ほどの指輪を応用すれば、ステイグリッツ帝国からギルネキア王国へ兵士も兵器も送り込むことができる。戦は可能だぞ」

「なっ…………」

「それが嫌なら私の許へ来い」

 イヴァンはおもむろにクラウディアに口付けを落とし、それを深いものに変えていった。

「ぁ…………」

 一線は超えていないにしても、一夜をシルヴェスターと共にしたことで、クラウディアの身体は作り変えられていた。シルヴェスター以外に触れられるのは嫌だと思っていても、ちょっとした刺激に身体が無意識に反応してしまう。

 イヴァンの口付けで力が抜けきったところで、彼は唇を首筋からデコルテへすべらせ、赤い跡を散らした。

 朦朧とした頭で「このままではまずい、何とかしなければ」と考える。遠くからはクラウディアを探しているシルヴェスターとギルベルト、近衛騎士たちの声が聞こえてきている。「何とかしなければ自分は不貞を働いたことになってしまう」とクラウディアは青ざめた。

 もうこうなったら力ずくで突破するしかないと覚悟を決める。幸いイヴァンの方はクラウディアに夢中になるあまり結界などは張っていないようだ。

 クラウディアは土属性魔術で地面から小さめの岩を作ると、それを思い切りよくイヴァンの頭の上に落とした。

 イヴァンの意識を奪うだけの質量と速度があったはずなのに、イヴァンはゆっくり頭を振りながら身を起こした。

「え…………なぜ…………」

「は。私が貴女の魔術の発動を感知できないとでも?」

「………………」

「甘く見られたものだな。艶事に没頭している今なら行けると思ったか?はは、可愛いものだ。先ほど話しただろう?正妃とその息子に狙われていると。何をしていても完全には気を抜いたりはしないさ」

 クラウディアはなんとかイヴァンの腕の中から抜け出そうとして、風魔術で鎌鼬を起こそうとするも、イヴァンの結界に阻まれてしまう。この近距離では火魔術や水魔術は自分への反射があるかもしれないと思うと怖くて使えなかった。

 クラウディアは最終手段として、あまり好きではない黒の闇魔術でイヴァンの精神操作を行おうとしたが、それもイヴァンの結界に阻まれた。

「万策尽きたかな?クラウディア嬢。貴女は1つ1つの魔術の精度は高いが、私から見れば圧倒的に実践不足だ。ま、ご令嬢ならそれも当然だろうがな」

「鎌鼬はこう使うのさ」と呟くと、クラウディアが結界を張るより早く、イヴァンの風魔術が襲ってきた。クラウディアのドレスの上半身と中に着ているコルセットを粉々に引き裂く。同時にクラウディアのシミ一つ無い綺麗な肌をイヴァンの鎌鼬が切り裂いた。

「いや――――――――――!!」

 クラウディアは血を吐くような悲鳴を上げると、意識を失った。

 

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