5-2 イヴァン・ステイグリッツ来訪(1)

 シュタインベック邸では、イヴァンから来訪の手紙が届いた翌日から、念のため私兵での警備を強化し、クラウディアと祖母のマルレーネが交代で光魔術の結界を張っていた。

 シルヴェスターは王宮から、近衛騎士を派遣したいと考えていたが、イヴァンの来訪に合わせた警備の調整などに人員を取られ、それはかなわなかった。

 また、シュタインベック邸でも誰か男性を1人でも家に残せるよう仕事を調整したかったが、宰相であるウーヴェも、王太子の側近であるギルベルトも、第二王子付き近衛隊の隊長であるディートリヒも、第三王子付き近衛隊副隊長であるヒュベルトゥスもそんな余裕はなく、クラウディアと母ビルギット、祖母マルレーネのみを残して、王宮に出仕せざるをえなかった。

 

 何事もなく予告の2週間が過ぎるかと思われた前日、シュタインベック邸に異変が訪れた。

「あっ!」

 その時結界を張っていたクラウディアが突然声を上げる。

「結界が…………破られます!!」

 ビルギットもマルレーネもまさかと目を見張った。クラウディアの結界を敗れるような者はギルネキア王国にはいない。4属性を顕現させている第二王子ビンセントとシュタインベック家次男ディートリヒにもクラウディアの結界は破れないのだ。

 ビルギットが家令のクロード・ドルレアンに指示を出す。

「誰かを王宮に走らせて、このことを伝えて! 衛兵は臨戦態勢を!」

「かしこまりました!」

「私が女主人として出迎えます。お義母様とクラウディアは奥の応接間で待機を。クラウディア、くれぐれも気を抜かないでね」

「はい、お母様。お母様こそお気をつけて」


 ビルギットがクロードを伴って玄関で招かれざる客を出迎える。

「まあ、何ですの。先ぶれもなく押しかけていらっしゃるとは。何の御用かしら」

「お騒がせして申し訳ない、マダム。クラウディア嬢にお会いしたく、こうして先ぶれもなしに来てしまいました」

 黒髪に銀色の瞳の青年…………イヴァン・ステイグリッツがビルギットの右手を取りその甲に口付けを落としながらそう挨拶を行うと、途端にビルギットの様子が変わった。

「まあ、そうでしたの。クラウディアなら奥の応接間におりますわ。今すぐご案内いたしますますわね」

「奥様!?」

「クロード、侍女にお茶の用意をさせて」

「奥様!? 何をおっしゃっているのです!? 相手はクラウディア様の結界を破って侵入してきた者ではないですか!」

「クロード、何を言っているの?そちらの方はクラウディアのお客様でしょう。早くお通ししなければなりませんよ」

 家令のクロードも衛兵たちも顔を見合わせたが、この家の女主人であるビルギットがそう言うのであれば反論することはできない。

「………………かしこまりました」

 ビルギットはイヴァンを招き入れ、クラウディアのいる応接間へと案内してしまった。


 応接間の扉をビルギットが開くと同時にイヴァンから白の光魔術が走った。それを感知したクラウディアが対抗魔術を放とうとするも間に合わず、咄嗟に自身に結界を張ることしかできない。

 イヴァンは堂々と応接間に入ってくると、クラウディアと一緒にいたマルレーネの手を取り、その甲に口付けを落として挨拶をした。

「お元気そうで何よりです。マダム。この度は急な訪問、申し訳ございません」

「いいえ。よろしいのですよ。どうぞごゆっくりされていってくださいまし」

「ありがとうございます」

 その様子を室内にいた侍女や侍従、衛兵もぼおっとした様子で眺めている。先ほどまでクラウディアの結界を破るような侵入者が来ると警戒していたのが噓のように、室内は歓迎ムードである。


 そしてとうとうイヴァンはクラウディアの前に立った。

「お会いしたかったですよ。クラウディア嬢。私はステイグリッツ帝国皇太子 イヴァン・ステイグリッツと申します。どうぞお見知りおきを」

 イヴァンはクラウディアにも手の甲への口づけを送ろうとするも、咄嗟にクラウディアはその手を払いのけた。

「貴方…………お母様やお祖母様、使用人たちに何をなさいましたの?」

 途端にイヴァンは口調を変えた。

「ほう。私の魔術に対抗して咄嗟に結界を張るとは大したものだ。なに、害のあるものではない。私を受け入れてくれる魔術を使ったのみだ」

「白の光魔術ですか。それで精神操作をしたと?」

「なるほど。きみは賢いな。今まで誰にも見破られたことも無ければ、対抗魔術を張られたことも無かったんだがな」

 クラウディアはどうしても精神操作系の魔術は好きになれず、勉強はしたが実践したことはほとんどない。解析できたことも咄嗟に自身に結界を張れたことも偶然の幸運だった。

「私は君に婚約を申し込んだ者だ。どうかな、私とのことを考えてくれたか?」

わたくしの婚約者は、シルヴェスター王太子殿下です。他の殿方のことなど考えておりません」

「君とシルヴェスター王太子の婚約の話は王都までの道中さんざん聞かされたな。だが、まだ婚約式を行ったわけではないだろう?口約束の段階でしかない。まだ、他の男が婚約を申し込む余地はあるはずだ」

 クラウディアは震えそうになる足を必死で支えて、イヴァンに反論した。

「おっしゃる通り、婚約式はまだですが、わたくしはシルヴェスター王太子殿下にしか嫁ぐつもりはございません。どうぞお引き取り下さいませ」

「なかなか頑固な姫君だ。気に入った。手紙で貴国の国王に申し込んだだけだが、直接プロポーズさせてもらおう」

 そう言って、イヴァンはクラウディアの前に跪くと、今度は振り払われる前にしっかりとクラウディアの手を取った。

 そして、クラウディアが張っている結界を破るとその手の甲に口付けを落とした。

「クラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢。この私イヴァン・ステイグリッツが正式に申し込む。私との婚約を考えてもらいたい」

 結界を破られたクラウディアはなんとかイヴァンの精神操作魔術の浸食を抑えるので精一杯だ。

「…………お断り……いたします。…………わたくしにはシル様が…………」

「ほう。まだ粘るか。ますます気に入ったな。私はきみを必ず帝国に連れ帰る」

「………………わたくしは…………帝国へは…………参りません」

「あまり頑固がすぎるのも可愛げがないぞ」

 イヴァンは立ち上がるとクラウディアを抱きしめた。もうクラウディアは口を開いて抵抗することもできず、無論男の力に女性のクラウディアがかなう訳もなく、イヴァンの腕の中から抜け出すことができない。

「ようやく大人しくなったか?やはりクラウディア嬢は可愛いな。このまま私のものになれ」

 そう言うと、イヴァンはクラウディアの唇に自分のそれを落とした。角度を変えて何度も口づけ、だんだんとそれは深くなっていく。

 イヴァンの口づけは乱暴な口調に反して優しいものだったが、頭では抵抗しようとしても体には力が入らず、とうとうクラウディアは頽れてくずおれてしまう。

 クラウディアを抱きとめたイヴァンが横抱きにし、寝室へ移動しようとしたところで、シルヴェスターとギルベルト、ディートリヒの3人が応接間へ駆け込んできた。

  

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