4-4 シュタインベック公爵家の阿鼻叫喚

 クラウディアの結婚が国内外に向けて発表される前日に、シュタインベック公爵家当主であるウーヴェから、家族に対してクラウディアがシルヴェスター王太子殿下と婚約する旨が伝えられた。

 クラウディアは顔を赤くしているが、婚約を知らされた母ビルギットと祖母マルレーネは手を取り合い喜び合った。

 特にビルギットの喜びようは一入ひとしおだった。

 そこはさすがに母親である。シルヴェスターがクラウディアに並々ならぬ恋情を抱いていたことも、クラウディアが長兄であるギルベルトを除くとシルヴェスターに一番懐き、頼りにしていたこともお見通しだったのだ。

 ようやく最高の形で収まるところに収まってくれたと心から安堵した。

「ねえ。ディア。その鎖骨の所の赤い跡はどうしたの」

 マルレーネが興味津々と言った様子で訪ねてくる。

「赤い跡…………?」

 クラウディアはシルヴェスターに着けられた跡の近辺を撫でながら、「虫にでもさされたかしら?でも痒いわけではないし……」と見当違いのことを考えていた。

「ディアはまだ、おぼこいのね。ねえ、ビルギット、そろそろディアに閨教育を始めなければならないわね」

「そうですわね。お義母さま。ねえ、ディア、今日王太子殿下に何かされなかった?」

 クラウディアはもともと赤かった顔を耳や首筋まで紅潮させて小さな声で答えた。

「…………口づけを……交わしました」

「まあ素敵!王太子殿下は何とおっしゃっていたの?」

「……その、わたくしがシル様を受け入れた証だと…………」

「まあまあまあ、殿下はロマンチストでいらっしゃるのね」

 いまだ動揺して、口数の少ないクラウディアに対し、母と祖母はまるで少女のようなはしゃぎっぷりだ。

 女性はいくつになっても恋の話が大好きであると言う事を2人揃って体現していた。

 

 反対に男性陣はお通夜のようである。

「父上、なぜディアがシル兄上と婚約などという話になったのですか。ディアはこの間デビューしたばかりではないですか」

 次男のディートリヒが非難するように父であるウーヴェを睨みつけた。

「仕方がなかったのだよ。何故かステイグリッツ帝国の皇太子からディアに結婚の申し込みが来てね。ディアを国外に出さないため、皇太子に対抗するにはシルヴェスター王太子殿下と婚約する以外選択肢がなかったんだ」

 そう答えるウーヴェも覇気がない。

「まあ、いつかこうなる予感はしていましたが、意外と早かったですね」

 シルヴェスターに仕えるギルベルトは、シルヴェスターの恋情も良く分かっていた。ましてやパウル=ハインツ・フォン・ウェンデルの一件があって以来クラウディアに対する心配症と執着が強くなっているのを間近に見ていたのだ。

 シルヴェスターの想いが受け入れられたことを喜ぶべきか、妹を取られることを悲しむべきか、ギルベルトは複雑な心境だった。

「僕もこうなるだろうとは思っていたけど、それにしてもあの赤い跡はどういうこと?」

「…………興が乗りすぎたそうだ」

「まさか、正式に婚約する前にディアを自分のものにしたわけじゃないよね!?」

「ああ、それは無いとおっしゃっていた。口づけを交わしただけだと。無論私からも釘を刺しておいたけどね」

 ヒュベルトゥスは盛大にため息をついた。

「シル兄上って案外手が早かったんだね。小さいころからよくディアを抱っこしたり、抱きしめたりしてたけど、それも予兆だったと言う訳か」

「全く困ったものだよ。陛下は陛下で面白がって王太子殿下をけしかけているしね」

「陛下が?」

「ああ。どう転んでも良いように寝室付きの応接間を2人の話し合いの場に用意されていた。皇太子を退けるためなら既成事実があっても良いとまでおっしゃる始末だ」

「うわぁ。これって、口づけと跡1つで済ませたシル兄上を褒めるべき?」

「そうだねぇ。…………今までのシルの想いを考えれば、良く踏み止まったと言えるかもしれないね」

 ギルベルトもヒュベルトゥスも自分がクラウディアと血が繋がった兄弟ではなかったらと考えて、シルヴェスターの心情を慮ったおもんばかった

 ちなみに、ディートリヒは憮然としたまま「ディアの貞操を脅かすことがあったら消し炭にしてやる」と一人決意を固めていた。

 

「それにしてもおかしな話ですね。ステイグリッツ帝国はどこからディアの情報を手に入れたのでしょう?こちらは彼の国に間諜さえ送り込めていないというのに」

ウーヴェは力なく頷いた。

「そこなんだよ。陛下も王太子殿下もそこを問題視されているし、今日の御前会議でも問題になった」

「どこかに僕たちの知らない抜け道でもあるのかな?じゃなければ、結婚を申し込んだところで、ディアを自国に連れ帰ることもできないよね」

「騎士団と辺境騎士団を投入して、ドロスト山脈近辺を調査させる予定ではいるがね」

 ウーヴェは頭が痛いとため息を吐き出した。

「まさかだけど、僕たち……というよりディアやお祖母様でさえ知らない魔術で情報を得たり、行き来しているなんてことはないよね?」

「その可能性はないと思いたいね」

「全くだ。魔術を使った残滓などディアにしか分からぬ。かといってディアを調査隊に同行させるなど以ての外もってのほかだ」

「とりあえず、現実問題として我が家でもディアに対する警護を強化しましょう。父上や私たちが出仕する日は、ディア自身に邸宅やしき全体へ結界を張らせた方が良いかもしれません」

「そうだね。そうしよう」

 ギルベルトの提案に頷いたウーヴェだったが、覇気は戻らないままだった。

 大切な大切な一人娘に、突然婚約の話が湧いて出たと思ったら、その日のうちに跡を付けられるような口づけを交わしていたのだ。

 これで正気を保てる父親がいるとは思えなかった。

「父上、あまり気を落とさないでください。私はシルが一番ディアを守ってくれると信じていますよ」

「それには、僕も賛成かな。シル兄様が一番ディアを大切にしていたと僕でも分かるほどだったからね」

 あまりの父親の元気の無さに、ギルベルトとヒュベルトゥスは慰めるように声をかけた。

 

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