4-3 シルヴェスターの求愛(3)

 シルヴェスターはクラウディアを抱きしめる腕の力を緩めると。小さく息をついた。

「それでね。ディア。ディア自身が国外へ嫁げないことを理解していたことには驚いたけど、やはり国としてもディアを外へ出すわけにはいかないんだ」

「はい。承知しております」

「それで陛下は、昨日ディアを私の妃として迎えたいと正式に宰相に打診した。宰相も同意した。

 先方が皇太子だからね。ディアにはもう決まった相手がいると示すにはこちらも王太子である私でなければ説得力が弱い。

 第2、第3王子が相手では「こちらは皇太子が申し込んでいるのだぞ」と言われて無理やり破談にさせられる可能性もある」

「はい」

「だから今日、ディアに登城してもらったんだ。先日私のことを考えて欲しいと言った傍から陛下のご命令が下ればディアが混乱すると思ってね。私から説明させてほしいとお願いしたんだ」

「シル様……」

 クラウディアはシルヴェスターの心遣いが嬉しかった。確かに今の状況で国王からの命令が下れば混乱していただろう。そして恋をできるかもと期待した心も萎んでいただろう。

 今のクラウディアは正直なところ、シルヴェスターに恋をしているというよりも、恋に恋する乙女だったのかもしれない。

「私は先日ディアに告げた想いを取り消すつもりはない。陛下や宰相や帝国の皇太子が何と言おうと、ディアとは相思相愛になって結婚したい。だけど、ディアに考えてもらう時間が無くなってしまったんだ。イヴァン・ステイグリッツを退けるためには、一刻も早く私とディアの婚約を国内外に発表する必要がある」

「はい」

「ディア、無茶な願いだけど、今日返事を聞かせてもらうことはできるかな?」

「え……」

「ディアは私のことを男として愛せそうかい?」

 そう畳みかけるシルヴェスターに、クラウディアは混乱していた。

 やっとシルヴェスターを一人の殿方と認識し、恋ができるかもしれないと思っていたところなのだ。

 それなのに今日返事をとは、いったいどう答えれば良いのだろうか。

わたくしは……、やっとシル様を一人の殿方と認識したところです。……シル様のことはお慕いしております。でもそれが、幼馴染のお兄様だからなのか、一人の女性として、シル様に恋をしているのか……まだ分からないのです」

「ディア……」

「でも、一つだけ確かなことはあります。幼いころからわたくしはギルお兄様と同じくらいにシル様が一番大好きだったということですわ」

 シルヴェスターはクラウディアの背中をポンポンと宥めるように優しくたたいた。

「そうか、一番好きでいてくれたのか。……うん、それだけでも私も嬉しいかもしれない。

 イヴァン・ステイグリッツのせいで癪だけど、順番が逆になってしまっても良いかい?必ずディアを恋に落として見せるから、先に婚約をしても?」

「シル様…もしわたくしがシル様に恋をできなかったらどうなさるのですか?」

「愚問だな。私は必ずディアの心を私に向けさせる。必ずだ。ディア、私はディアを一番に愛しているよ」

 そしてシルヴェスターはクラウディアの頬に触れるだけの口づけを落とした。

 クラウディアは頬に触れた優しく柔らかいものがシルヴェスターの唇であると認識した途端、耳や首筋まで真っ赤になって俯いてしまった。

「ごめんね。ディア。ディアが嫌だと言っても離してあげられそうにないよ。だからディアも私のことを好きになって」

 クラウディアは俯いたまま小さく頷いた。

「……努力します」

「努力か。そう言われてしまうときついな。ディア、人を好きになるのは努力してなるものじゃない。恋もそうだ。気が付いたらその人に心を惹かれてどうしようもなくなっているものなんだよ。今の私のようにね」

「……………」

 クラウディアは戸惑って、それ以上言葉を紡ぐことができなかった。

「……すまない、性急すぎたようだね」

「いえ…………」


「さて、どうしようか。本当に猶予が無いんだ。ディアの心の整理がつかないなら……陛下のおっしゃる通り政略結婚するかい?

 婚約・結婚した後に、ディアが私を好きになってくれれば、それでも良いよ」

 シルヴェスターにとっては最大限の譲歩だが、婚約・結婚した後からでもクラウディアと相思相愛になれるならと自分を納得させざるを得なかった。


 クラウディアは悩んでいた。最初にプロポーズされたとき、シルヴェスターはクラウディアが本当に幸せになれる相手は誰なのかじっくり考えて、その中から自分を選んで欲しいと言っていた。

 だが、イヴァン・ステイグリッツの登場で、シルヴェスター以外の相手と言う選択肢は消えてしまった。

 それならもう、クラウディアが恋する相手はシルヴェスターしかいないのではないだろうか。

 努力ではなく、心惹かれるようになるのかは分からない。

 だが相思相愛になって婚約しても、婚約してからシルヴェスターを好きになっても結果としては変わらなくなってしまっているのではないだろうか。卵が先か鶏が先かという状況に陥ってしまった。

 それならば、政略結婚ではなく、シルヴェスターの言葉を信じて嫁ぎたいと思った。

 クラウディアには、悩んでも迷っても心が弱った時でも、考えて考えて前向きに生きようと思う強さがある。

 意を決してクラウディアは口を開いた。

「シル様、シル様はお言葉通りわたくしの心を奪ってくださいますか?」

「ディア?」

「シル様がわたくしの心を奪ってくださるなら、先日いただいたプロポーズをお受けいたします」

「ディア!本当に良いのかい?」

「はい。わたくしは政略結婚よりも、シル様のプロポーズをお受けして婚約したいと存じます」

「ディア!」

 シルヴェスターはクラウディアを抱きしめる腕に再び力を込めた。

「うん。ディア、必ずディアを私に落とさせて見せる。だから安心して私の妃になって。ディア愛しているよ」

「はい」

 クラウディアはシルヴェスターと同じ熱量の想いを返せない自分がひどくもどかしく感じた。

 それは一歩前進したと言う事なのだろうか。まだ分からない…………

 

 シルヴェスターはクラウディアを抱きしめていた腕の力を抜いて、クラウディアの体を少し離した。

 そして、クラウディアの唇に自分のそれをそっと重ねた。角度を変えながら何度も何度もクラウディアに口付ける。

 その口づけは次第に深さを増していった。

 クラウディアは初めての口付けで、呼吸もできず頭がぼうっとしてきた。何も考えられないし、何だか体にも力が入らない。

 そんなクラウディアをソファに横たえるようにシルヴェスターは押し倒した。

 唇、額、瞼、目じり、頬とシルヴェスターの口づけが降り注ぐ。シルヴェスターは耳元から首筋をたどり、ドレスで隠れるか隠れないかの位置に強く吸い付いて赤い跡を残した。

「っ!」

 クラウディアはおかしな声が出そうになるのを必死に我慢した。

「…………シ……ル……さ……ま…………」

 もう無理だとばかりにクラウディアがシルヴェスターの名前を呼ぶ。

「!ディア…………」

 名前を呼ばれて我に返ったシルヴェスターが慌ててクラウディアから距離を取った。

「ディアすまない!興が乗りすぎた」

「…………いえ…………」

 全身真っ赤に染め、何が何だか分からないという様子でぼうっとしているクラウディアは男の理性を狂わせるほどに愛らしい。

 シルヴェスターも中てられて顔を赤くした。

 このままでは何をしでかすか分からないと、シルヴェスターはクラウディアをそっと抱き起し、自分の胸にもたれかけさせた。

 お互い心臓が早鐘を打っているのが分かる。

「…………シル様…………今のは……?」

「ディアが私を受け入れてくれた証…………かな?」

「証…………」

「ディア、私のプロポーズを受けてくれてありがとう」

 シルヴェスターは心の底から嬉し気にクラウディアにそう告げた。


 ◆ ◆ ◆


 その後、クラウディアが落ち着くのを待って、共に国王の執務室に戻った。

 シルヴェスターはクラウディアが自分との婚約を受け入れてくれたことを報告するが、国王も宰相もクラウディアのドレスの縁に見え隠れする赤い跡に目が釘付けになっている。

 国王はニヤリと意地悪く笑うと

「あの部屋で良かっただろう?」

 と宣った。

「シルヴェスター王太子殿下……見損ないましたぞ」

 反対に宰相は苦々し気な様子で、目がシルヴェスターを責めている。

 シルヴェスターは居心地悪そうに眼を逸らした。

「お二人とも想像が飛躍しすぎです。お二人が想像するようなことは一切しておりません」

 赤い跡がある以上、あまり説得力のある言葉ではないが、クラウディアには分からないようにそうぼかして反論するしかない。

 同時にクラウディアの名誉も守らなくてはならない。

「ほう……、ディアの全てを奪ったわけではないと?」

 国王がクラウディアに配慮してこちらも言葉をぼかして聞いてくる。

「当たり前です! 正式な婚約も未だなのに、そのようなことをできるはずがありません」

「っち!つまらん奴だのう」

 国王が国王らしさもなく舌打ちしてみせる。

「「陛下!!」」

 シルヴェスターと宰相が同時に避難の声を上げた。

「言ったであろう?既成事実がある方がイヴァン・ステイグリッツを退けやすいと。まあ良いわ。ディアが嫁いで来てくれることが決まっただけで、勘弁してやろう」

 イヴァン・ステイグリッツを警戒するあまり、常識が吹っ飛んでいる国王に、シルヴェスターと宰相は深々とため息をついた。


 その日の午後、緊急の御前会議が招集された。

 集まった大臣たちを前に、ステイグリッツ帝国の皇太子より筆頭公爵家長女クラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢に結婚の申し込みがあったことが報告される。

 続いて、クラウディアを国外に出さないために、王太子シルヴェスターとの婚約が決まったことも報告された。

 中にはシルヴェスターとクラウディアの婚約を苦々し気に受け止めた者もいたが、クラウディアを国外に出さないという一点については満場一致で可決された。


 御前会議が解散となった後、宰相がシルヴェスターに近づいてきた。

「殿下。少々お話が。よろしいですかな」

「ああ」

「本当にディアには何もされていないのですね?」

「ああ、本当だ」

「では、あの首元の赤い跡は?」

「っ!」

 シルヴェスターは一瞬言葉を詰まらせたが

「口づけを交わしただけだ。少々興が乗りすぎたがな」

 とあの場であったことを正直に告げた。

 宰相は苦いため息をつくと、きつい眼差しでシルヴェスターを睨みつけた。

「いくら殿下と言えど、節度は守ってもらわねば困ります。ディアの評判にも差し障りが出かねない。婚約をするのだから、口づけくらいは大目に見ますが、身体に触れることは許しませんぞ。どうか、お心にお留め置きいただきたい」

「承知した。宰相。頼むから、そんな目で睨みつけないでくれ」

 シルヴェスターは居心地が悪そうに宰相から目を逸らした。

 

 そして翌日。

 王太子シルヴェスター・フォン・ギルネキア殿下と筆頭公爵家長女クラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢の婚約が正式に国内外に向けて発表された。

 併せて婚約式を半年後、結婚式を1年後に執り行うことも公表された。

 

 

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