3-1 クラウディアの夢

 夢を見ていた。

 あれはまだ3歳くらいの頃。王宮の中庭で3王子と兄たちと遊んでいた時のことだ。

 クラウディアは突然火が付いたように泣き出した。

 乳母が飛んできてあやしても泣き止まず、乳姉妹のキャロラインがおもちゃを持ってきてくれても泣き止まず。

 3王子や兄たちが代わる代わる抱っこしてくれても泣き止まず。

 皆が困り果てた中、シルヴェスターがクラウディアを膝の上に乗せ抱きしめると、ゆっくり優しい声で聞いてきた。

「ディアはどうして泣いているの? シル兄様に教えて」

 その声に応じて、初めてクラウディアはしゃくりあげながら言葉を発した。

「ロワール川がはんらんしてる」

「ていぼうこわれた」

「まちやはたけに水がながれこんでる」

「りょうしゅさま、いっしょうけんめいまちの人たちをおしろにひなんさせようとしてる」

「でも水が多くて、うまくいかない」

「まちのひとみんなこまってる。ないてる。おうちもはたけもなくなっちゃうって」

「どろだらけでたべるものもきがえるものもない」

「りょうしゅさま、おうきゅうにおてがみかいた」

「でもそのおてがみだれもみてない。お父様もへいかも」

「はやくしないとまちのひとみんなしんじゃう……」

 クラウディアの片言の話を聞いて、シルヴェスターとギルベルトが顔を見合わせた。

「ディアは夢を見ているの?」

 ギルベルトがそう尋ねると、クラウディアは精一杯首を横に振った。

「ちがうよ。げんじつにおきていること。みえるの。お兄様にはみえない?」

「うん、お兄様にはみえない。でも……」

 シルヴェスターとギルベルトは頷きあった。

「お兄様たちがディアの言っていること確かめてきてあげるね」

「うん」

 シルヴェスターはクラウディアを乳母に預けると、ギルベルトとともに王宮へ向けて走り出した。


 2人は国土・交通(所謂公共事業)関係を取り仕切るタールバッハ公爵の執務室に飛び込んだ。

「これは、シルヴェスター王子殿下。どうなされました」

「忙しいところごめん。すぐに確認してほしいことがあるんだ。

 ロワール川に領地を接している領主から手紙が届いてないか調べて」

「ロワール川……どちらの領主か分かりますかな」

「分からない。とにかく早く調べて」

 タールバッハ公爵は首をかしげながらも、第一王子の言う事を無下にもできないと配下の者に手紙を確認するよう指示を出した。

「!ありました!ヴォルケ伯爵からの手紙です!」

 配下の者が差し出した手紙をシルヴェスターがひったくるように取り上げるとすぐに開封する。

 取り出した手紙をギルベルトと2人、読むにつれて顔が青ざめていった。

「すぐに陛下の所へ行こう。悪いけど、タールバッハ、一緒に付いてきて」

「陛下の所へですと?」

「ほんとごめん。でも説明している時間が惜しい。陛下と宰相の前で一緒に説明聞いて」

 すぐに執務室を飛び出した2人をそのまま見送ることもできず、タールバッハ公爵も後を追った。


 今度は国王の執務室に飛び込むと、国王と宰相が目を丸くした。

「シル、ギル、それにタールバッハ公爵までいったいどうしたね」

「いえ、私は、ただ第一王子殿下に付いてくるよう言われただけでして」

「陛下、宰相、まずはこの手紙を読んで!タールバッハも」

 シルヴェスターとギルベルトの尋常ではない様子に、遊びではないと察した宰相が手紙を受け取り国王の前に置いた。

 国王、宰相、タールバッハと順に手紙を読んでいくうちに3人とも表情が険しくなっていった。

 その手紙にはクラウディアが片言に話したことと同じことが書かれていたからだ。

「すぐに救援部隊と騎士団を編成しろ!予備倉庫を開けて食料と水と着替えや毛布もありったけ集めろ!」

 国王の命令にタールバッハ公爵が急いで国王の執務室を飛び出していく。


「シル、ギル、どうしてこの手紙をお前たちが私の所に持ち込んだのかね?」

「陛下、宰相、信じてもらえないかもしれませんがことは重大です。このことは誰にも話さないとお約束いただけますか?」

「我々はお前たちの父親だ。息子が話すなと言うなら、誰にも話さないよ」

 その言葉に2人は安堵したように息を吐きだすと、先ほど庭であったことを順序だてて説明した。

「何だと!? ディアがそう言ったのか!?」

「はい。最初は火が付いたように泣くばかりでしたが、私が問いかけたところ、片言ながら泣く理由を話してくれました。

 どこの領地かまでは分からなかったようですが……」

「まさか……」

「陛下、まさか…透視術千里眼の能力とでも?」

「…ああ。白黒6属性全ての魔術を使えるディアならありえないことではない」

「……確かに、火が付いたように泣いて、乳母でも母親でも祖母でもどうしようもなかったことが数度ありましたな」

「おそらく、その時も透視術で何かの事件か事故を見ていたのではないか?

 だが幼すぎてそれを誰かに話すことができなかったから、泣くことしかできなかった。

 内密に教会で調べてもらった方がいいな。特にウェンデル公爵家には露見しないように」

「かしこまりました。すぐに手配いたします」

「シル、庭にいた者たちには箝口令を敷くように」

「はい。承知いたしました」

「それにしても、よくディアの言う事を信じたね。3歳児の戯言とは思わなかったのかい?」

「3歳児の戯言にしては具体的過ぎます。ディアは勿論、私たちですら洪水の様子など見たことがないのに。

 それにディアは嘘をつくような子ではありません」

「そうだね。ディアを信じてくれてありがとう」

 宰相が険しい顔を少しだけ緩ませて礼を言った。

「さあ、これからが大変だ。だが、ディアには国王陛下も宰相もタールバッハ公爵も動き出したからもう心配いらないと伝えてくれるかい?」

「かしこまりました」

「これからも似たようなことがあればすぐに知らせてくれ」

「はい、それでは御前失礼いたします」


 シルヴェスターとギルベルトは国王の執務室から出ると、「ふぅ」とため息を漏らした。

「それにしてもディアはすごいな」

「6属性だけでも信じられないのに、透視術の能力だなんて……」

「ウェンデル公爵家だけじゃない。このことが露見すれば他の家もディアを欲しがるだろう」

「うん、そうだね。…ディアの警護を強化しないと。

 でも、こんなに沢山の能力を与えられて、ディアは幸せになれるのかな。

 男ならまだしもディアは女の子なのに」

「心配するな。お前の父も母も下手な教育はしないだろう?

 能力は隠しながら、立派なレディに成長するはずだ。

 ……それにいざとなったら、私がディアを幸せにするから」

「シル…いくらシルでもディアはあげないよ」

「でもギル。ディアの能力を考えたら他所には出せないだろう?

 下手をするとディアが王家や国にとっての脅威になってしまう」

「それはそうだけど……」

「だからディアは王家に嫁ぐしかない。なら、私が一番妥当だろう?

 ディアも一番懐いてくれているしね」

「それは陛下と父上が考えることだ。今の段階で私からは何も言えないね」

 ギルベルトはちょっと意地悪にそう答えた。

「さあ、早くディアの所に戻って安心させてあげなくちゃ」

「そうだね、行こうか」

 2人はまた中庭に向けて走り出した。


 中庭に戻ると乳母に抱っこされていたクラウディアをシルヴェスターが抱き取る。

「ディア、お手柄だね。ディアが言っていたことは間違っていなかったよ」

「ほんとう?」

「うん。領主様からのお手紙もちゃんと王宮に届いていた。

 もう国王陛下と宰相とタールバッハ公爵もお手紙読んだから大丈夫。

 国王陛下が指揮を取って、2人とも、いや王宮中が動き出すよ」

「まちのひと、しなない?」

「うん。死なせないように皆が頑張るんだ」

「そっか、よかった」

 クラウディアは顔をくしゃくしゃにして笑った。


「ビンス、プラティニ、ディー、ヒュー、それからキャロラインも。こっちに来てくれるかい?」

「兄上、何?」

 皆がシルヴェスターとギルベルトの所に集まってくると、シルヴェスターが真剣な面持ちで切り出した。

「今日ディアに関して見たことは絶対に他所で話してはいけないよ。これは国王陛下のご命令だ」

「え?陛下のご命令?」

「そうだ。さっきディアが泣いたことも私に話してくれたこともディアの特殊な能力から来たものだからね」

「だから絶対に他の人たちに知られてはいけないんだよ。私たちと陛下と父上だけの秘密だ」

「みんな、約束できるね?」

「秘密を守ればディアは安全?」

 年下だが聡いヒュベルトゥスがそう確認する。

「ああ。ディアの警護も増やすし、王家とシュタインベック家でディアを守るんだ」

「分かった。絶対誰にも言わないよ」

「「「私(俺、僕)も誰にも言わない」」」

「かしこまりました。シルヴェスター殿下、ギルベルト様」

「うん、キャロラインもよろしくね」

 それからシルヴェスターとギルベルトはこの場にいた大人たちを集めると、同じように国王命令として箝口令を敷いたのだった。


 その後もう一度同じようなことがあってから、ディアは教会に連れていかれた。

 ウェンデル公爵家含め、どこの家とも必要以上に親しくせず中立を保つ大神官にディアを見せると、やはり透視術の能力があることが認められたのだった。


 初めて透視術の能力に目覚めた頃の思い出を懐かしく夢に見ていると、横から邪魔するように黒色の闇が視界を覆った。

「………」

 誰か、2,3人の人間が話をしているように感じるのだが、視界だけでなく、聴覚もザーザーという砂嵐のようなものが邪魔をしてきて聞き取ることができない。

「………」

「………」

「………」

 黒色の闇が一瞬晴れて、黒髪に銀色の瞳の青年の顔が見えた。

「…ではそのクラウディア嬢のご尊顔を排しに行こうか……」

 そう言って薄く笑った黒髪の青年の顔は酷薄そうだった。

 その後は再び黒色の闇が視界を覆い、クラウディアは眠りの中へ落ちていった。

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