第3話 開発されたタイムマシン

 タイムマシンの開発としては、令和十年の八月に、

「タイムマシンの開発に成功した」

 と、M大学の、

「タイムパワード研究所」

 だったのだ。

 彼らと並行してタイムマシンの研究は、他の大学でも進められていた。

 それは実は、その少し前に、K大学の、シラサギ研究所に所属する松岡拓郎という青年が、

「タイムマシンの開発は可能である」

 という趣旨の論文を発表したことが、きっかけだった。

 元は、論文などではなかった。

 大学の研究室で、教授の助手程度のことしかしていなかった一人の青年が、レポート程度の発想で提出したものだったが、それを見た教授はビックリして、

「どうしたんだ? この論文は?」

 と、血相を変えて松岡助手に詰め寄ったことがきっかけだった。

 さすがに教授の形相に最初はビックリした松岡だったが、

「ああ、あれは、以前高校時代だったでしょうおかね。ある時、SF小説を読んで寝たことがあったんですよ。その時にあの論文のような夢を見たんですが、何しろ、夢ですからね。すぐに忘れてしまったんですよ。ただ期にはなっていたので、思い出してみたいことの一つだt思っていたんですが、この間偶然、夢にまた出てきたので、今度は忘れずに、書き留められることができたんですよ。夢というのは、普通なら目が覚めるにしたがって忘れていくものなんでしょうが、普通なら二度と前に見た夢を見ることができないはずの夢を見ると、今度は絶対に忘れないものなんですね」

 と、他人事のように言ったが、

「何を言っているんだよ。これはすごい論文だよ。内容は完璧な気がする。これを証明できれば、今は不可能とされているタイムマシンやロボットの開発が、進展するかも知れないと思えるほどのすごいものなんだよ」

 というではないか。

 それを聞いて、一瞬キョトンとなった松岡だったが。事の重大さに気づいてくると、

「そんなにすごいものなんですか?」

 というと、

「ああ、すごいよ。ひょっとすると、物理学や化学の世界で、今世紀最大の画期的な発見になるかも知れないほどさ」

 というではないか。

 そういわれて、

「そんなものなんですかね。僕としては、何やら怪しい予言のようなものだと自分で勝手に思い込んでいたんですけどね」

 と松岡がいうと、

「予言?」

 と、今度は教授がキョトンとしていった。

「ええ、予言です。夢に見たことだから、予言なのかなと思って」

 というと、

「そっか、予言という考えがあるな。そう考えると、納得できなかったところも納得できるような気がしてきた」

 という教授に。

「どういうことですか?」

 と聞いてみる。

「それはね。君の書いたこの論文は、ところどころ、矛盾があるんだけど、その矛盾を、

「相対すること」という発想で、逆に考えてみると、すべての辻褄があってくる気がするんだ。だけど、辻褄を合わせるには、もう一つ何かが足りない。説得力というのか、自分を納得させるものに力が足りないんだ。それを、予言という形で納得させると、理屈がすべて絡み合ってきて、納得できなかった部分を納得させることができる。それが、僕が君の論文にビックリさせられたことだったんだ」

 という。

「じゃあ、これは、世間に発表できるだけのものなんでしょうかね?」

 と聞くと、

「天地がひっくりかえるくらいものじゃないかな? これを発表してしまうと、パニックを引き起こす、だから、すぐには発表しない方がいいかも知れないな」

 と言われた。

「何か含みがあるかな?」

 とも考えたが、必要以上に考えてしまうと、自分がパニックってしまうというのか、あるいは、有頂天になりすぎて。自分を見失ってしまうのではないかと感じたのだ。

 そう感じたことで、発表をするのは、時期尚早だと思ったが、せっかくの発表をしないというのももったいない。

 それは教授も研究者として十分に分かっていることだったので、

「じゃあ、すまないが、半年間だけこのままにしておいてくれないか?」

 と言われた。

「でも、先生、その間に他から発表されないという保証はありますかね?」

 と聞くと、

「ないとは言えないが、今のところ、一年では危ないかも知れないが、半年というのはありえないだろう。俺の情報網では、まったくそんな開発の話は漏れてこない。これから発表するにしても、資料をそろえるのに、半年はかかるだろう?」

 と言われた。

 なるほど、教授はしっかりと分かっている。半年というのは、その間にこちらも資料を作成しなければいけない最低限の期間である。そのことを教えてくれたということだったのだ。

「分かりました。教授のいうことはもっともです。そういうことでしたら、こちらも承諾します。半年かけて、資料を整理することにしましょう」

 と言って、教授と納得した。

 教授は、

「資料作成には、全面的に協力を惜しまないが、同じ仲間であっても、このことは知られてはいけない。だから、敵を欺くにはまず味方からだということを忘れないようにしないといけないね」

 という。

「分かりました。せっかくの私の研究ですからね。他の人に渡したくはないですよ。教授を全面的に信用しますので、教授も私を裏切るようなことはないようにしてくださいね」

 ということで、納得した二人だった。

 この論文は、約束通り、昨年の年末に発表され、松岡は一躍、

「時の人」

 となった。

 雑誌や新聞の取材はもちろんのこと、テレビのインタビューも結句あり、引っ張りだこという忙しさであった。

「こんなにも忙しくなるなんて」

 と思ってもみなかった騒ぎに、さすがにビックリしていた。

「教授があの時、慌てないようにしてくれた気持ちが分かった気がしました。あのまま検証もなにもなく発表していれば、下手をすれば嘘つき呼ばわりだったかも知れませんね。この世界では、一度、嘘つきというレッテルを貼られると、なかなか復活するのは難しいでしょうね。何しろ信用というよりも、発表が、人間の文化や生活に直結することだけに、大きな問題なんでしょうね」

 ということだった。

 しかし、騒いでいたのは一部の人間だけで、

「タイムマシンやロボットなどは、しょせん、SF小説や特撮の世界でしかないんだろうな」

 と言われていたのだ。

 だが、それでも、名だたる学者やノーベル賞受賞差はなどが気にするようになり、そんなインタビューが雑誌を賑わすと、ただのうわさではすまなくなっていたのだった。

「そんなに私の発表というのは、すごいんですか?」

 と、逆にインタビューアの人に聞くと、相手もビックリしていた。

「あまり意識がないんですか?」

 と聞かれて、

「ええ、すごいものなのだという気持ちはあるんですが、ここまで異常な状態になるとは思ってもいなかったので、正直戸惑っています」

 という。

「それはそうかも知れませんね。逆に天才ほど、自分の発見を他人事のように感じられて、一般の人の理解の外にあるのかも知れませんね」

 と、いうのだった。

 タイムマシンの発想に、無限というものが絡んでいて、その無限をいかに解釈することが大切だと感じたのだった。

 無限というものは、数学的に考えると、あり得ない発想が出てきたりする。ただ、これはゼロと組み合わせることで思いつくことであって、

「無限とゼロ」

 という相対的な、発想は前述の、

「昼と夜」

「前門と、後門」

 などよりも、絶対の相対的な考え方になるのだった。

 ゼロというものは、数学的には結構無理があったりする。

「ゼロで割るという発想は、数学的には許されない」

 と言われている。

 また、

「無限だって、何で割ったとしても、無限でしかない」

 これは前述の、

「次の瞬間の可能性を考えた時、無限に無限を掛けるような発想もゼロの感覚に似ているのかもしれない」

 これも、数学的にはタブーだったりすると、

「ゼロと無限というのは、数学的なタブーになってしまう」

 と言えるのではないだろうか。

 これは、

「無と、有の最大値」

 という発想になる、

 タイムマシンには、無限という発想はあるが、ゼロ、つまり、無という発想はなかった。

 あくまでも、

「無限という発想を、いかに制限できる発想を作ることはできないか?」

 ということであった。

 無限に無限を掛けるという、無限大とでもいうべき発想と同じように、

「ゼロをゼロで割ったら?」

 という発想になった。

 何かをゼロで割るとすると、それは、

「それは数学的なタブーになる」

 というのだが、

「ゼロをゼロで割る」

 という発想は少し変わってくる。

「同じもので割るという発想は、答えは一にしかならないということは、数学以前の算数で分かっていることだ」

 と言われている。

 そうなると、ゼロをゼロで割ると、一になるというのが正解なのだろうが、何かでゼロを割ると、

「逆も真なり」

 ということになり、

「答えにゼロを掛けると、割るもとになる」

 という発想で考えると、

「数学的に、何にゼロを掛けても、ゼロにしかならない」

 というのが、掛け算の考え方だ。

 そうなると、答えであるゼロにゼロを掛けるということになると、割るもとは、ゼロにしかならないのだ。

 これが、数学的な矛盾となる、

 これは、異次元の発想をした時の、

「メビウスの輪」

 のような、矛盾が出てくることになるが、そう考えると、ゼロを使った数式が矛盾という。

「ゼロと無限を相対的な意味で考えるとなると、それが、タイムマシンにおけるメビウスの輪のような矛盾を見ることになり、数学では、ゼロがタブーとされているので、タイムマシンを、無限のみの発想であったから、その先が思いつかなかったのに、ゼロという発想を織り交ぜることで、数学と、異次元の交錯が、矛盾を孕むことで、今まで誰も発想しなかったタイムマシンへのタブーが生まれたようだった。

 それは、ただの発想でしかないのだが、発想すらできないのが今までであって、発想ができたことで、タイムマシン開発のヒントになると思われるようになったのだった。

 彼には、レポートを書くくらいのレベルしかなかった。確かに正規の大発見なのだが、まだ、普通の大学生であり、研究室の助手にすらなり切っていないと言ってもいいくらいだったが、さすがにこの発表をするにあたって、

「自分の名前を出さない限り、発表はしてほしくない」

 という本人の意思もあって、教授は彼を、

「現役大学生で、研修室の助手」

 ということにして、発案者は彼であるということを明記した論文を発表したのだ。

 その内容は、教授の目論んだ通り、物理学会や、SF論者たちに、センセーショナルな風を持ち込み、衝撃を与えた。

 とは言っても、これはあくまでもヒントであり、ただちにタイムマシンやロボット開発に繋がるというものではなかった。

 しかし、それでも、研究者の間に大きな風穴を開けたのは事実だった。それまで、優秀な世界中部頭脳にできなかったことを、一介の現役大学生が穴をあけたのだ。これほど、センセーショナルなことはなく、

「どうしても、それまで定説とされてきたパラドックスの発想を、大前提として頭の中に凝り固まってしまっていたというのは、科学者としては仕方のないことなのかも知れないな」

 という話も出ていた。

「大学生が、発見したというのは、ある意味、必然的なことで、誰にも解決できない謎というのは、虚像でしかなかったのではないだろうか?」

 と言われ、

「発見されることも、またそれを発見するのが大学生だったということも、決して想像できなかったわけではないことのように、今となっては感じる」

 と、言い出す学者もいるくらいだ。

 言い訳にしか聞こえないが、ずっと、これまで研究にいそしんできた学者としては、その事実を認めるのは、プライドが許さないはずだ。しかし、それを敢えて認めて、受け止めるくらいの大きな気持ちがあるというのは、

「実際のタイムマシンの開発は、この俺がなし遂げるんだ」

 という気持ちが、彼らの中にあるからであろう。

 その気持ちがなければ、タイムマシンの開発など、机上の空論にすぎず、

「大学生の発表した論文は、何だったのか?」

 ということになり、余計に、自分たち学者が、このままでは、恥の上塗りを繰り返すことになり、

「学者は、しょせん、頭でっかちであり、パラドックスに打ち勝つことはできない」

 というレッテルを貼られたままになるだろう。

 ただし、この研究は、何度もいうように、あくまでもプロセスでしかなく、

「風穴を開けた」

 というだけなのだ。

 しかも、この風穴は、アリの巣ほどの小さなもので、

「山が崩れるのは、アリの巣の穴からだ」

 と言われるような穴なのかどうか、はっきりとは分かっていない。

 確かに風穴を開けるだけの威力はありそうだが、まだまだ、生みのものとも山のものとも分からないレベルの発表であった。

 学説とするには、まだまだ検証がなされているわけではなかった、風穴に対してまだまだ、さらなる研究の余地は残っている。そういう意味で、まだまだタイムマシンの開発には時間がかかるだろうと言われていた。

 しかし、どんな研究にも言えることだが、何かのきっかけがあると、一気に研究が成就するというのも、事実のようで、この論文がきっかけになり、さらなる研究の中で、さらなるきっかけが見つかったのだろう。M大学の研究チームが先にタイムマシンを開発してしまったのだ。

 K大学研究チームに所属していた松岡哲郎は焦っていた。

 ただ、彼には、この発表がなされるひと月前に、

「近い将来において、俺たちが赤っ恥を掻くような事態に陥るかも知れない」

 という予感のようなものがあった。

 ただ、それが赤っ恥であるということは、自分たちだけが感じることであって、他の人たちにとっては、関係のないことだ。

 しかも、それは人に話したところで、信憑性も何もない。

「妄想じゃないか?」

 と言われるのがオチだというしかなかった。

 松岡は、意識の中で、どうしていいのか分からないでいたのだ。

 松岡は、自分の発想を、同じ研究室の中で、タイムマシンとして開発してくれる分には、何ら問題はないと思っていた。

 しかし、松岡はさらに夢の中でよからぬ予言めいたものを見てしまったのだ。

 普通夢というと、どんな夢であっても、

「一度見た夢は、その続きであったり、回顧するような夢は見るものではない」

 という定説があると思っているので、一度見た夢をさらに発展させるようなものは、もはや夢ではなく、やはり、

「予言のようなものではないか?」

 と考えるようになった。

 そのため、さらに、夢の中でその危惧を解決させるためにはどうすればいいのかということを考えることにした。

 普通の夢では不可能だが、ここは予言であったり、予見の世界なのだ。夢の世界よりもリアルであり、そこには、自分にはない能力を持った自分が存在しているということを感じていたのだ。

「人間というのは、脳の中のほんの一部しか実際には使っていない」

 と言われる。

 だから、超能力と呼ばれる力は実際に存在し、その力がいつ立証されるかということは謎だったりする。

 しかし、謎であるだけに、その可能性は無限でもあった。まるで未来における次の瞬間の可能性ではないか。

 松岡の中で、

「無限」

 という発想は、すでに頻繁に出てくる。

 ここまで頻繁であると、リアルさも増してくるというもので、無限は理想ではなく、現実に存在しているものを示しているのではないかと思うのだった。

 だから、理想や夢だと思われていたタイムマシンへのヒントが思い浮かんだのであったのだ。

 そもそも、それらの発想は、松岡でなくても、誰にでも発想はできるというものであった。

 しかし、それを考えられるようになったことについて、研究室の中の友達である門脇健三という同僚が言っていたことがあったのだ。

 門脇という男は、多趣味な人間で、研究所の助手のような仕事も、彼にとっては趣味の中の一つにすぎないという考えを持っていた。

 松岡も、研究室に入って助手のようなことをしていたが、それは大学内での活動というだけで、

「将来において、これらの研究を役立てられるような職に就ければいいけど、実際にはそうもうまくはいかないだろうな」

 と、現実的には思っていた。

 研究を続けるということは、確かに素人が思っているほど簡単なことではないし、実際に仕事に就く場合、大学で専攻したことがそのまま仕事に生かせるような職業選択がでくるほど、大学の勉強と、求職の関係はバランスが取れていないのかも知れない。

 それほど、世の中のバランスは悪いということなのだろうか?

 ただ、これは今に始まったことではなく昔からあったことで、それだけ、必要なバランスは思っているほどはなく、社会に期待などしてはいけないといえるのではないだろうか?

 門脇は、そのことをいつの頃から意識をしたのか、多趣味だという理由の一つに、そんな、

「バランスの悪さ」

 を口にすることがあった。

「世の中なんて、あてになんかしていると、いつの間にか自分だけが取り残されたような気分になって、無意味に苦しむことになりそうだからな。俺はそんなのは嫌なんだ」

 と言っていた。

「どういうことなんだい?

 と聞くと、

「先輩にもいたりしたけど、お前は今の専攻がそのまま就職の時に役に立つと思うかい?」

 と逆に質問され、

「まあ、確かにそうかも知れないな。俺の知っている人にも、理学系でバリバリ研究していて、そういう会社に入ったのに、研究員を望んでいたはずなのに、営業に回されたといって嘆いていたっけ」

 と松岡は言った。

「そうだろう? 結局世の中なんてそんなものさ、たぶんだか、君の知り合いの人は、ひょっとすると、最初は研究員で入社はしたのかも知れない。だが、途中で営業に変わったんじゃないかと思うんだ」

 と門脇はいう。

「どういうことなんだい?」

 と松岡が聞くと、

「会社というところは、結構厳しい会社だったら、半年の研究機関中に、結構辞めていくことが多いだろう? そして一年も経てば、十人の新入社員がいても、残ったのは、二、三人なんてことざらにある。つまりは、会社って、それを見越して、多めに新入社員を取ったりするんだと思うよ。特に理数系のようなところはよくあることで、研究所や、工場などというのは、都会には作らないものでね。何しろ、都会では土地が高いし、何よりもそんな広大な土地を確保することはできない。そのため、田舎で缶詰状態だろう? そうなると、次第に精神的に病んでくるということだってあるだろう。いくら理数系の人の集中力は半端ではないとしても、何年もやっていれば、その間に精神的に波がやってくるものさ。その時に耐えられなくなったらどうなるか? 考えてみれば分かるよね?」

 と言った。

「じゃあ、知り合いの場合は?」

 と聞くと、

「きっと、研究所への配属を多めにとっておいたんだろうね。辞めていく人を見越してね。でも、想像よりも辞めなかったらどうなるか? 同然、研究室が飽和状態になり、その中の誰かは他の部署に配属されることになる。それが君の知り合いだったんじゃないかな?」

 と、門脇は言った。

「でも、まだ、ここから研究員が辞めないとも限らない。その時は、研究室に再配属になったりするのかな?」

 というと、

「それは難しいかもね。たぶん、翌年の新人を余計に採用することで、補おうとするだろうからね。会社というのは、そういうえげつないようなことをするものだと認識しておかないと、自分が損をしないとも限らないので、そのあたりはしっかり意識しておく必要があると思うよ」

 というのだった。

 松岡が門脇と親友になったのは、門脇が多趣味だったからだ。

 彼の趣味は、専攻している学問とはまったく関係のないものが多く、研究室に所属はしているが、研究の時間以外は、まったく違うことを考え、行動している。それだけ、行動範囲が広く、頭の切り替えが早いといえるのだろう。まったく性格的に正反対で、集中力は半端ではないが、頭の切り替えがうまくいかず、頑固なところがあるのは、

「自分にとって大きなマイナスだ」

 と思っている松岡にとって、門脇の存在は大きなものだったのだ。

 門脇の趣味の中には、

「小説執筆」

 というものがあった。

 そして、その小説を書くのにも彼なりのこだわりのようなものが結構あって、その話を聞くのが結構楽しかったりしたのだ。

 まず彼は、

「小説を書く場合、ノンフィクションや二次創作などは、自分の中での小説とは認めない」

 というものであった。

 ノンフィクションは、実際にあった話を文章にしているのであり、それは、作文にすぎないと思っている。それは小説家ではなく、雑誌や新聞のライターにでも任せておけばいいと考えていて、随筆やエッセイ、それらをいくら広義の意味においても、小説だとは認めたくなかったのだ。

 ただ、細かい設定の中での、枝葉のような話の中で、自分がかつて経験したことなどを折りませるというのは、ノンフィクションにあらずと思っている。もちろん、皆がそう思っていることだろうが、門脇のように、自分の中でこだわりを持っている人間は、確固として考えていないと、自分を見失ってしまいそうになると思っていた。

 そして、二次創作というのも、門脇にとっては、

「小説にあらず」

 と思っている。

 一歩間違えれば、盗作まがいの話であり、二次創作は、真面目に書こうとすると、盗作の観点から、かなり難しいはずだ。

 しかも、元々の原作者がどう思って書いたのかということをちゃんと吟味して二次創作をするのであれば、百歩譲ることもできるだろうが、それもせずに、ただ人の書いた小説を、

「オマージュ」

 と称して、たたえているといいながら、何も考えていないなど、ありえないことであった。

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