side M age:22

瞼は開かず、指先一つ動かすこともできない。息もしていない。その代わりにずっと悩まされていた息苦しさと倦怠感もない。そんな暗闇の中で音を聞くことと思考することだけができる。


こんな状態になってどれくらいの時がすぎたのだろうか。


こうなったきっかけは、学園に入学する直前の、12歳の誕生日前日のことだった。その頃の私は、1度寝込むと10日は起き上がれなくなっていた。その日も起き上がることができず、王宮医師ヴァルトの定期診察をベッドに横になりながら受けたのだ。


「お湯を持ってきてくれないか」


ヴァルトにお湯を頼まれたカリーナが部屋を離れ、部屋にはヴァルトとの2人きりになった。そのカリーナが不在にした一寸の時間、ヴァルトが私に魔法をかけたのだ。その瞬間から私の世界はこの何もできない暗闇に変わってしまった。


唐突な暗闇に混乱する中、カリーナが私の名を呼びすすり泣く声が聞こえてきた。そして、しばらくした後、厳かな調子の聖歌と司祭が私の名を呼び祈りを捧げたのが聞こえてきたことで、自分の葬儀が行われている事に気付いた。


そこでやっと自分はヴァルトに殺されたのだと気づいたのだ。私の不調を治療もせず心の問題だと診断していたヴァルトが、自分を殺したことに思うところがないとは言えないが、それよりもやっと死後の魂が行くと言われている楽園へ行く事ができるのだと喜ぶ気持ちの方が大きく、穏やかに死を受け入れて自分の葬儀を堪能した。


葬儀終盤の参列者による献花では、カリーナは私との楽しかった思い出を話しながら泣いていた。タイナはヒルッカ伯母様が葬儀に間に合わないことを謝ってくれた。王城に来る前に解雇されてしまった乳母の声まで聞こえてきた。私が好きだった人が私の死を悲しんでくれているだけで、辛いことばかりでも自暴自棄にならず生き抜いた人生を誇らしく思えた。


最後の献花はアハト殿下。アハト殿下との最後の相見を何も聞き逃さまいと耳をすますと、殿下が手に持つ花はなぜ白いアガパンサスなのだろうかと不思議がる周囲の声が聞こえてきた。


「ミルカ、……どうか、安らかにお眠りください」


アハト殿下に初めて名前を呼んでもらえた。しかも白いアガパンサスの事を覚えていてくれてた。もうこれで充分だ。


この時の私は、これでもう思い残すことがなく自分の人生が終わり、この後、お父様達が待つ死後の楽園に行けるのだと信じて疑っていなかった。現実はいつも私に厳しいということは身にしみて覚えていたけれど、まさか死んだ後までもそれが続くだなんて、予想できる人がいるだろうか。


私の葬儀が終わったというのに、私の魂が楽園に行くことはなかったのだ。


葬儀の後、私の身体は王城内の医師塔の最奥にあるヴァルトの研究室へ隠し運ばれた。クレメラ家のお墓には空の棺だけが埋められたのだろう。


それからは、聞こえてくるのはヴァルトと助手の生活音と会話だけ。時々2人が私の体を切り刻んだり投薬したりと実験をしている様子が聞こえてくるが、身体の感覚が無いためか、まるで他人事のように感じてしまう。しかも、彼らが実験体と呼ぶ遺体は私以外にも複数あるようだ。こんな非人道的な事が王城内で行われているのだと陛下やアハト殿下に伝えられないことが歯がゆい。


倫理に叛く実験だけでなく、禁止された薬や生きた人間が材料の薬を作っていたり、違法な治療を高額で請け負っているなど、気分が悪くなるような悪事が色々聞こえてくる暗闇の中、どうやったら楽園に行くことができるのか考える日々だった。


ヴァルトは季節や行事を大事にするような人間ではないために、あの葬儀からどれだけの時間がたったのかはもうわからない。今日もいつものようにヴァルトが実験をしている音を聞いていたところ、ここへ来てから初めてヴァルトと助手以外の声が聞こえてきた。


「ヘルコ男爵、ようこそいらっしゃいました。まぁ、ここへは直接来ないようにと重々お伝えしているのに無理やりに来たあなたを歓迎はしていませんがね」

「クレメラ侯爵と呼べと以前伝えたはずだ」


ヘルコ男爵とは伯父様がクレメラ侯爵になる前の爵位。聞こえてきた声の主はまさかの伯父様。伯父様がここへ来たことと、ヴァルトと知り合いだったことに驚く。もしも身体があったなら、目を見開き飛び上がっていただろう。


「リューリがまた懐妊しなかった。どういうことか説明しろ。これまでリューリの不妊治療でお前にいくら払ったと思っている」

「そう言われましてもねぇ、検証の結果、魔力量増強薬を使用した者は妊娠機能を失うことが確定したとお伝えしたではないですか。まぁ、リューリ嬢の不妊治療がその根拠になりましたから、不満を持つのもしかたありませんが、今回の不妊治療の前にはそのことをお伝えしてます。この治療が成功する可能性はないと言ったにも関わらず無理やり治療を強要したんですから、懐妊するわけがない」

「そうは言うが、同じく魔力量増強薬を使ったアイリスはアハト殿下を産んだではないか」


魔力量増強薬は50人分の乳児の心臓と魔力貯留器官を原料とする、所持しているだけで罰せられる違法薬だと、ヴァルトと助手との会話から知っている。


アイリスとは王妃様の名前。50人の命と引き換えに魔力量を増やす薬を、王妃様とリューリ様は使っていた……。


そういえば、初聖水拝領の時にリューリ様の光を見た陛下が「アイリスの時と同じ」と言っていた。大きな光の周りをキラキラと細かい光が囲んでいた、あの細かい光は、犠牲になった50人の乳児達の命の煌めきだったのではないかと気づき、リューリ様の初聖水拝領を幻想的だと感動していた過去の自分に嫌悪感を抱く。


「あれは最終手段として王妃の親戚筋の令嬢の胎を王妃に移植したのですよ。実際に出産したせいで王妃はアハト殿下を自分の子供だと思い込んでるようですが、厳密にはアハト殿下はその親戚筋の令嬢と王の子になります」

「最初からこのことを言わなかったのは散々の不妊治療で症例と金を得るためか。私に直接言わずリューリを嗾すあたりお前は本当にタチが悪いな」

「そんなつもりはありませんよ。人聞きの悪い」

「その胎の移植をする。早急に私の母方の縁者の女を用意するからリューリにその手術を施してくれ」

「ヘルコ男爵、お忘れですか?その術後に王妃が産んだアハト殿下は先天的に魔力貯留器官が無かったことを。リューリ嬢から生まれる子供も先天的に魔力貯留器官が無い可能性が非常に高い。それでも良いと言うのなら私としては断る理由はありませんがね。症例が増えれば研究が捗ります」


先ほどから判明する事実に、気持ちが追いつかない。聞きたくなくても耳をふさぐこともできない私は、次々と残酷な事実を聞かされることになった。


「……忘れるわけがないだろう。そのアハト殿下に魔力貯留器官を差し出させた女の遺体がなぜかそこにあるではないか」

「これは遺体ではありませんよ。ミルカ嬢は死ぬ直前に私が身体の時を止める魔法をかけたのです。魔法を解いたらすぐに死んでしまうでしょうからほぼ遺体と変わりませんが、それでも生きているのと死んでいるのとでは取れるデータに天地の差があります」

「ふんっ。そもそもだ、魔力貯留器官が無いと2年程度で死ぬと言っていたにも関わらず、そいつは3年後に初聖水拝領で光を出すことまでして、結局5年も生きていたではないか。お前の話は信じられない」


お父様達の事故の後の、お父様達の亡骸を見たショックのせいで記憶が無いと思っていた空白の10ヶ月間の謎が解けたが、そんなことはもういい。アハト殿下に私の魔力貯留器官を移植されていた事よりも、自分がまだ死んでいなかったという事実に、心が大波のように荒れ狂う。


……そうか。死んでないから私は楽園へ行くことができないのか。


「ミルカ嬢は魔力を貯めることができずに、垂れ流しの魔力から使うしかなかったにもかかわらず、下級貴族の平均並みの魔力を使用できたということから、本来の魔力量は王族並みかそれ以上に大きかったと予想できます。ミルカ嬢の魔力貯留器官を移植する前に殿下に魔力貯留器官を移植した子供達は皆1〜2年程度で死んでいましたから、魔力貯留器官無しで生きながらえれる期間は本来の魔力量に比例するのではないかと思い、実験を重ねているところです」

「そんなことはどうでもいい。要するに、私の孫が王になるにはリューリに胎を提供するための女と、リューリが産んだ子供に魔力貯留器官を提供するための子供を用意すればよいということだな」

「別の胎を移植した時点であなたの孫ではないのですが……まぁ、出産はリューリ嬢がするので表向きにはあなたの孫になりますから、それで構わないのなら私はどうでもよいですがね。移植に必要な魔力貯留器官は、移植される側よりも魔力量が多く、同じ年頃のものでないと定着しない可能性が高いとアハト殿下の時でわかっています。両親共に魔力量が多くて歳が近い子供が必要ですが、そんな都合の良い子供は中々手に入らないでしょうから、それまでに予備を複数確保しておく必要もありますね。あぁ、生きた女の胎ならこのミルカ嬢のを使えますよ?リューリ嬢とは従姉妹ですし丁度よいでしょう」


この2人には人の血が流れていないのかと、不快よりも恐怖に近い思いで心の芯が凍りつくような感覚の中、伯父様は私にとって1番の衝撃の事実を零した。


「そいつの胎を使うなどとふざけたことをぬかすな!異母弟一家を始末する計画に気付いたアイリスが、殿下の魔力貯留器官に丁度良いからと、犯行を見逃す代わりにそいつだけ寄越せと脅しをかけて来たせいで、あの憎い正妻の血を根絶やしにできなかったんだ。しかも、お前がアイリスに元の持ち主が近くにいた方が安定しやすいなどと言ったせいで、そいつは婚約者として王城に取り上げられて殺すことも叶わず、2年で死ぬと聞いてたのに目障りにもしぶとく5年も生きてたんだ。しかもその後もここで生きていたなどと知ったのだぞ。生きていたとはいえお前の実験体などという人としての尊厳がない状態だから許してるにすぎない」


許せない!許せない!許せない!お父様達の馬車の事故はこの伯父によるものだったのだ!3人は伯父に殺されたのだ!


「私は別にミルカ嬢の胎を使うことにこだわりはありませんから、お好きなようになさってください。あぁ、用意した人間はいつも通りの手順でスヴェント領の医院へお願いしますね。ここへは2度と来ないで頂きたい」

「自分の師匠を目くらましにするなど、相変わらずの人でなしだな」


そう言って伯父は研究室を出て行った。


人でなしはお前もだ!


今まで感じたことがないほどの激しいこの怒りを伯父にぶつけてやりたいと、やり場のない怒りに我を忘れた私は、意識の片隅で何かが切れるのを感じた。それはおそらく魂と身体を繋ぐ糸だったのだ。


なぜなら私は、その瞬間に目を開いて拳を握り、伯父の背中に殴りかかっていたからだ。


その拳は無情にも感触なくすり抜け、伯父は私を気にすることなく去っていった。いきなり視界が開いて身体を動かすことができたことに呆気にとられた私が振り向いた先には、沢山の管や針が刺さった自分の貧相な身体があった。


机に座り何かを書いているヴァルトに話しかけても私に気づくことがないし、触ることもできない。


それでも、今までとは違い動くことができると気づいた私は、家族が待つ楽園に行きたいと、先ほどまでの伯父への怒りも忘れ、その場から行けるところまで走り出した。走って、走って、走って、王城の門を越えた時、またこの研究室の私の身体の前に立っていた。


私は王城をさまよう生き霊になってしまったのだ。

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