第9話 夜の遭遇と百合営業

 寮の個室に、今度こそしっかりと戻ってきた。

 本当は今日中に学園内を見て回っておきたかったんだけど……あの学園長のせいですっかり夜になってしまった。


 もういいや。

 馬車酔いやら長話やらで疲れたし、今日はもう寝てしまおう。

 体は洗った、食事も摂った、なら最低限はクリアだ。


 備え付けのやや粗末なベッドに、持てる全力を振り絞ってダイブする……。


「明日から、ほんきだす……? うん?」


 と思ったところで、部屋の外から何かがぶつかるような音が響いてきた。

 ごつんっというかがつんっというか……誰かが何かとぶつかったんだろうか。

 痛そうだ。



 何となくそのまま耳をそばだてていると、今度は話し声のようなものも聞こえてくる。

 口論にでもなったのだろうか……人の部屋の前で迷惑な。


 一体何を。

 仕方ない、外を見てみよう……。


「──本当に……何をしているのですか、あなたは」

「い、いえ、あの……!」


 ……一人は、ふんわりとした金髪のボブカット。

 ガラス玉のように綺麗な金眼が映える美少女。

 気品に溢れる服装からして、どこかの貴族か何かだろうか? いかにも『令嬢』と言った雰囲気だ。


 それに対するもう一人、対照的に真っ黒な髪を長めに伸ばしている。

 あどけなさが残る顔立ちは、愛嬌と無個性を両立している……不思議な魅力のある少女…………?



 …………悪役令嬢ちゃんと、主人公ちゃんでは!!?

 悪役令嬢クリスと、主人公イリーナ!!



 間違いない、あの表情あの顔あの金髪!

 どうしてこんなところに!!


「田舎者にはほとほと呆れますね。ここがどこだか、理解しているのですか?」

「そ、その……ごめんなさい……」


 ……いや、違うな。

 小さく縮こまるイリーナちゃんと、そんな彼女をどこか冷たさを感じる瞳でじっと見据えるクリスさん。

 そんな場の雰囲気に釣られてか、急速に脳内が冷えていくのを自覚する。



 思い出した。

 そういえばあった気がするな、こんなイベント。



 主人公・イリーナは、結構な田舎の出身だ。


 初めて見た学園の風景が物珍しくて、夜になってから色々見て回る……みたいな感じの選択肢があった気がする。

 そしてそこでクリスとばったり出くわし、周りばかり見ていて前が見えていなかったイリーナは彼女に思いっきり衝突してしまうんだ。


 まあ、そこまで展開を細かくは覚えているわけではないけど……なんかクリスがイリーナを馬鹿にして、すごすご引き下がるしかできず自室に戻るみたいな感じだったかな?

 選択肢である程度変わったような気もするが、どれにしても特に変化はなかったはず。



 とにかく、こんな出会い方をした二人がその後仲良くなれるわけもなく、段々と時間をかけて二人の関係は悪化していった。

 そんなところだ。


「全くもう、本当に……」

「うぅ……」


 今もまあ、それに違わず微妙な雰囲気のようだ。

 放置しておくわけにもいくまい。


 この世界には私がいる。

 私の働き次第だが、いくらでもルートを捻じ曲げられるはずだ。



 それに、あまりゲームの流れを気にしすぎるのも良くないだろうし。

 相手だって生身の人間だ。この世界に転生して、何度もそれを実感してきた。

 ただの人間と、普通に接すればいい。何も難しいことはない。


 ここは……自己紹介も兼ねて彼女らに近づいておくとするかな?


「あのー……えっ、えっと、にゃにをしてぃりゅのれすきゃ?」

「「は…………?」」


 ……っすー。

 はー。

 深呼吸、よし。


 …………思いっっっっっきり噛みやがった!!!

 全力で頬を張ってやろうか! いやさらにやばい奴だと思われるからやらんけども!!



 忘れていた、私は隠の者だった!!

 『人間と普通に接する』がそもそもハードルが高いってことに今更気づいた!!!


 どうしよどうしよどどどどうしよう!?


「あ、えっと、その……すみません、うるさかったですよね」


 シャベッタァァァァ! ……いやそりゃそうだ。

 うん、イリーナちゃん声かわいいね。


 待てそれは関係ない。やばいどうしよう。もうなんか逆に冷静にも熱くもなってきてあたまが割れそうやばいどうしよかわいい二人に見つめられやばいおかしくなるって臭くないよね私ちょっとまって勘弁して…………。


「何をしているも何もないですよ。この方がいきなり、私にぶつかってきて……」

「ご、ごめんなさい! わざとじゃないんです!」

「そういう話をしているのではないですよ」

「うぅ……!」


 は、話に入っていけない。

 て、天気? 天気の話でも……いやここでそれは流石にやばすぎるな。

 夜だが晴れだ。晴天だ。快晴だ。話終わり!


「はあ……とりあえず、手を出しなさい」

「えっ!? ひゃ、ひゃい!」

「ああもう、こんなに血が……。全く、気をつけてくださいよ」

「ふえ……は、はい……?」


 おもむろにイリーナちゃんに近づき、腰をかがめ、ポケットから何かを手に取るクリスさん。



 その光景が信じられなくて、信じられなすぎて、思わず二度見三度見を繰り返してしまう。

 な、何をして……待て、嘘だろ……イリーナちゃんの手にあった傷の手当てだと!?

 絆創膏、いやガーゼ!? ちがう、ハンカチだ!


 ……くまさんの刺繍!?

 クリスサンクマサン!!?

 

 あのクリスさんが!?

 一部で傍若無人と恐れられたかもしれなくもない、あのクリスさんが!?


「それと、そんなに謝らなくていいです。私も、あまり前を見ていなかったので……」


 それどころか自分の非を認めた……だと……?

 悪役は! 悪役はどこに!

 現実に悪などいないという風刺なのか! 深いようで浅いな!


「は、はい。ごめ……ありがとうございます……」

「…………。どういたしまして」


 赤面どういたしまして頂きましたー!

 うわあああああああああ!

 くまさんの衝撃が頭から離れねえっ!!


「えへへ……」

「……ふふ」


 ア゛ッッッッッッッッやめてください尊い死んでしまいます殺す気ですか。


「くっ、はあはあ……致命傷だ、問題ない」


 誰に言うでもなく、小声でそんなことを呟いた。

 二人にもどうやら聞こえなかったようで、なにやら話を続けている。

 話の内容を描写しないのは脳内から締め出さないと私の命に危険があるからです。ご了承ください。



 ……それにしても……うーん?

 どうしてこんな……ゲームとはあまりに展開が違くないか?

 私の差?

 いやでも、私は周りでおたおたしてただけだよな?


 神がなんかした?

 どうなんだろうか……確かめてみたいが、連絡を取る手段も無いしなあ。


「──ふう。それで、貴方は結局なんなのですか?」

「……え?」


 そんなことを考えていると、唐突にふわっといい香りが鼻をついた。

 花のよう、そんなありふれた表現を使いたくなる芳しい香り。


「先ほど、何やら話していましたが……何の用事です? 初めまして、ですよね?」


 何を隠そう、クリスさんである。

 相変わらずきょどっている私を覗き込んで……あまってすごい顔がいいちょっとやめて近づかないで何かに目覚めてしまいます……もう遅いなうん。


 顔を逸らすように周囲を見回しても、イリーナちゃんは見当たらない。

 帰ってしまったのか。

 ちくしょう私としたことがいや別に悔しがることでもないけどくっそなんか損したようなそうでもないような……!



 ……いやいや、とにかく落ち着け私。

 こういう時は、何だっけ?

 過呼吸?

 すーはーすーすーすーすーすー……。


「ゲホッ!? ご、ゴホ……ッ!」

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、はい。なんかすんません」


 ……ふう、落ち着いた。

 過呼吸じゃなくて深呼吸だった。


「そう……ですか? それで、私に何の用で……」

「そ、そうだ! クリスさん!」

「……? 私、名乗りましたっけ?」


 ……やっちまった!!?


 そういえばそうだよ、まだ自己紹介も何もしてないんだから名前なんて知ってるわけないじゃん!

 何やってんだ私ぃ!


「あ、えと、誰かに聞いて……」

「そう……ですか? ふむ、アンさんあたりでしょうか……いや、でも……?」


 とりあえず誤魔化せたが、警戒されてしまったようだ……どうしよう。当たり前だ。

 不審者すぎて恥ずかしい。

 誰か私に手錠をかけて。


 というかそもそも、私の目的ってなんだったっけ?

 百合?

 そうだ百合だ。

 百合カップルを作るのが私の目的だったか。


 えっと、えっと。

 それなら。それなら……どうしよう? ええい当たって砕けるか!?


「えっと、クリスさん」

「……なんですか?」


 落ち着け。

 人の印象は第一印象、ここでどうビシッと決めるかで未来が決まる……ってのは多分言い過ぎだけど!


 ゆっくり、ゆっくりだ!

 初対面なんだ、でも緊張せず、でもあれえっとはわあのなんだ何を言えば……ああもう!!


「ゆ……ゆ、ゆ……!」

「ゆ?」

「えっあっ……その……!」

「……?」


 ……落ち着け。

 マジで落ち着け。

 大丈夫、そもそもいくら人と話すのが久しぶりだからって恐れることはない。


 ゆっくり一言一句、そうだ『お友達になりませんか』とかそういう無難な一言から……!


「百合営業、しませんか……!?」

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