エキストラにすらなれない僕らへ送る賛歌

男が、ややうつろな目をしてヨレヨレのスウェット姿で身体を引きずっている。夢とは不思議なもので、自分がどういうシチュエーションの中にいるのかを瞬時に把握できることがある。おそらく彼は漫画家になった俺だ、と思った時、視線に気づいたのか、もう一人の俺、(仮に俺Bとしておこう)がこちらを向いた。




「ああ」



スーツを着た俺を見て、相手もまたすべてを悟った顔で息を吐いた。







真っ白な空間の中で、同じ顔をした男がふたり、片方は体育座り、片方はあぐらをかいて座る。先に声を発したのは、あぐらをかいている俺Bだ。



「調子はどうだ」





「…そうだな、俺は、まあ、なんとか仕事を続けているよ。入社してから毎日辞めたいと思いながら15年たってしまった。自慢できるような経歴も転職できるスキルもない、空っぽな人間だよ。漫画は…イラストとかをネットにあげるくらいかな。そっちは、大丈夫か、生活苦しいのか?」




喋りながらなんとなくスーツの内ポケットに手を入れると、セブンスターが入っていた。禁煙する前、よく吸っていた銘柄だ。煙草を取り出す動作をみていた俺Bは、箱をそのまま床に置いた俺に向かってこう言った。




「吸わないなら俺にくれないか」



「お前は煙草辞めてないのか」



金もかかるだろう、と言おうとしたとき、



「辞められないんだ。ヘビースモーカーだよ」



と先に言われ箱ごと持っていかれた。




慣れた手つきでどこからともなくライターを取り出し、火をつける。



一息けむりを吐き、つぶやいた。



「ユキコと別れたか?」



「いつの話をしてる。地元に戻るタイミングで別れたよ。まさか、お前はまだ付き合って、いや結婚したとか」



「まさか。愛想つかされて出ていかれたよ。漫画家のアシスタントとコンビニバイト、ウェブライターもかじってるから、お金がないわけじゃないんだ。でも、ただ、まあ、言わなくてもわかるだろう」



俺Bは遠い目をした。




「漫画の応募は続けているんだろう」



俺も遠くを見ながら、尋ねた。




「それはずっと続けているよ。それこそ、親と縁を切られた日も、彼女と別れた日も、初めて抗うつ剤を処方してもらった日も、ペンを握ることは辞めなかった。俺にはそれしかないっていう覚悟はもって生きてるから」




俺Bの目に、やや光が灯った気がした。



隣に座る彼をまっすぐに見ることが出来なくなった。俺自身は、どんな覚悟を持って生きているといえるだろう。惰性のような人生を過ごしている自分が恥ずかしい。




「そういえば、去年、あ、一昨年だったかな。雑誌で連載させてもらったことがあるんだ。そのとき描いていた漫画家の人が病気になってしまって、編集者の人が、一緒に仕事をしたことがある俺に声をかけてくれたんだ。わりと好評だったよ、ファンになってくれた読者もいた」



「本当か、すごいじゃないか!」




へへ、と照れたような笑みを浮かべた俺Bを見て、昔のことがフラッシュバックした。漫画を描く自分に対する、最初で最後だと思っていた賞賛の言葉を、俺Bは自力で最後のものではなくしたのだ。



心の中に嫉妬と羨望と悲しみがゆっくりと広がっていく。殴られるかもしれないと思ったが、率直に思ったことを口に出した。



「申し訳ないけど、正直、お前が俺より悲惨な人生を送っていればいいと思っていた。金がなくなって水道をとめられるとか、漫画を描くのがいやになって全部中途半端になってるとか、そういうお前を見たかったんだと思う。そうすれば、今の俺が救われるから。夢を目指すこともできずに諦めて、不満や不安を抱えたまま現状を変えようともせず生きている、俺の人生を肯定できる。こんなこと考えてる時点で、ダメな人間なんだよな。自分が一番わかっているんだけど、どうしようもないんだ。本当に情けない」



話している途中で涙が出そうになってぎゅっと目をつぶり、立てた膝に顔を押し付けた。本当に、なんて嫌な奴なんだろう俺は。努力してきた人に対してこんなことを言える資格もないのに。



俺Bは俺が泣きそうになっているのを知ってか知らずか、淡々とした口調で、しかしながら優しさを感じさせる話し方で語り始めた。



「なあ、さっき連載のことすごいって言ってくれたけど、俺は、お前の方が、かっこいいと思ってるよ。実は、今でこそ生活できる収入はあるけど、それでもかなりギリギリの状態だ。水道や電気をとめられたことは何度もある。バイトとかだって、色々クビになってるし、煙草もやめられない意志の弱い人間だ。スーツを着て、年相応の社会人をやっているお前に少しでも見栄を張りたくて、いい部分だけを言ったんだよ。世の中、なりたかったものになれなかった人の方が多いだろう。自分の本当にやりたいこと、好きなことを仕事にできる人なんて一握りもいない。皆心のどこかでお前みたいな後悔に近い正当化を抱えて生きている、いやそうしていかないと過酷な社会で生き残ることはできない。俺も一時期、会社員として働いたことがあるけれど、耐えられなくてすぐにやめた。お前が仕事を続けているの、本当にすごいと思う。社会というものは、夢をおえなかった人たちが、悔しさや惨めさを受け入れて歯を食いしばってくれて戦ってくれているからこそ、成り立っている。一定数の成功した、日のあたる世界で輝く人以上に、そういう人たちの方が何倍も強くて尊いと、俺は思うよ。まあ俺自身はどっちにも属せていない、中途半端な人間だけどね」




乾いた笑みを浮かべて自虐的なオチをつけた俺Bは、呆然と涙を流す俺を一瞥すると、煙草を握りしめたままゆっくりと立ち上がった。




「そろそろ行くよ」




俺も慌てて立ち上がり、手を差し出した。



「ありがとう。会えてよかった」



俺はもう、この世界線の自分と会うことは、会う必要性がくることは、きっとないだろう。そういうふうに生きていきたい。握手をしながらそう思った。



「今日のこと、漫画にしたら売れるかな?」



俺Bはふっと笑うと、背を向けて歩き出した。




その背中を見送っていると、突然、目を開けていられないくらい視界が眩しくなった。



どのくらい時間が経っただろうか。目を開けると、見知った天井が広がっている。スマートフォンを見ると、午前7時。日曜にしては、健全な時間だ。手に、耳に、まだ感覚が残っているような感じがする。そのくらいリアルな夢だった。



無意識のままイラストをあげているSNSにログインすると、結構前にアップロードした、自分の好きなアーティストのイラストに通知がきていた。




「フォローさせていただきました。私もこのアーティスト好きです。どのイラストもとても素敵ですね。」




自分の作品についた、久しぶりのコメントだった。純粋に嬉しかった。酒や煙草よりも、ずっとずっと心地が良い。なあ、俺B、見てるか。俺もまだ、頑張れるかな。



お礼のメッセージを返しながら、枕元の遺書をゴミ箱に捨てた。











このコメントを送ってくれた人と結婚する未来を、俺はまだ知らない。

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あの日見た夢の続きを のと @wo_ai_chocolate

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