不愍

おきゃん

不愍


 いやいや、酷い目に遭いました。


 さて、何からお話しするべきかと筆を迷わせてもみたのですけれど、矢張り、こういうものは導入というのが大事だと思われますので、ある読み物から入らせていただくことにしましょう。

 江戸川乱歩という、ミステリの巨匠といいますか、かの有名作家が居りましたことにはみなさんご存知かと思われます。彼の作品には面白いことに様々な変態色情者が登場しますけれども、その中でも特に、目暗の血みどろ芸術譚「盲獣」や、偶然が恐ろしい楽園を生み出したあの「パノラマ島奇談」などが此度遭遇しました恐ろしい怪事件を彷彿とさせてしまうのであります。


 と言いますのも、その怪事件というのが、芸術と恋愛と殺人が複雑に絡み合ったもので、常人には理解し難い、あまりに残酷な狂気の芸術作品だったのでございます。


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 事の起こりは、まだ梅雨の明けぬ6月下旬。わたくしは少しの暇を貰って、S市に1週間ほど旅行をしていました。S市にはわたくしの大学来の友人である佐野という男が居ましたので、それを訪ねたところでした。

「やあやあ、キミ、よく来たね、電話はよく貰っていたけれどこうして顔を合わせるのは何時ぶりかね、キミも僕も大人になったものだ」

「もう3年…いや5年は会っていなかったかな?はは、これから1週間世話になるね」

「もちろんもちろん、今日キミがやってくるのを楽しみにしていたんだ、どうぞ上がって上がって、あまりに普通で申し訳ないのだけど、見せたいものやらキミも好きそうな本はね、よく集めておいたから、好きに読んで構わないから」

 いつになく饒舌な佐野は、気の弱そうな太めの下がり眉を殊更に下げて笑った。彼は大学生の時分から優しい男で、自分も芸術やら小説に漫画なども嗜んでいましたが、私や他の友ためにも貸し本をしたり、油画を描いてやったりして……。


 「キミは今芸術家をやってるんだってね、個展のサイトをみたよ」

 「恥しいな、いやいや、本当に小さなもんで……近場のギャラリーを少しばっかり借りただけでね、個展というほどじゃないさ、はは、いやいや……」

 好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、佐野は本当に良く出来た芸術家でした。彼に一寸無理を通してもらって、彼のアトリエを拝見したところ、縦幅が180センチはあろうかというほど大きな油絵のキャンバスや、迫力のある猛禽類の剥製、石膏像に、びいどろ……その他様々なものが散乱した少し埃っぽいコンクリートの床や壁が冷たい印象を与える一室に面を喰らっていると、佐野はバツの悪そうな、悪戯がバレた子どものような顔をして、「散らかっていてすまないね、えへ、えへ」と頭を掻いたのでした。


 「モチーフを色々集めていたらこんなになってしまって……ウンウン、端くれ芸術家の密かな趣味だとでも思っておくれ」

「なぁに隠すことじゃあないさ、熱心なことで何よりだろう、キミは素晴らしい才能を持っているのだ。……ところで、あの石膏たちはキミが?」


 わたくしが指をさしたのは、幾つかの石膏の中でも特に目を引く3つ……丁度、アンティオキアのアレキサンドロスの『ミロのヴィーナス』や作者は不明ですがあの『サモトラケのニケ』のように、五体の何処かに大きな欠損のある肉々しい裸婦像でした。

「そうさ、そうだとも。あれらは僕が造ったのさ、とても時間がかかったけれど、いい出来だろう?」

 ひとつめの石膏像は首から上がなく、ふたつめは両腕、みっつめは腰から下だけという、奇妙な石膏像。どれも裸婦で、柔らかそうな肉の質感が艶めかしく、石膏の白さだけが血が通わぬことを示しており、あゝ若し、在るべきものが在るところにあったのならどんな美しい女性であったのかと想像を掻き立てられるほどです。たしかにこれは素晴らしいのですが、わたくしは鳥肌が立っておりました。見てはいけないものではなかったのか、いや何、これは芸術作品で何も疚しいものなどは……。


 そんなことを考えている間に、彼は防犯なんかに使われるカラーボールを、その白い石膏像に投げつけたのです。


「ウフフ、ウフフ、これでもっと美しくなった気さえするね」


 想像のために欠損された石膏像を、カラーボールで汚された石膏像を、彼は恍惚と眺めて薄ら笑みさえ浮かべております。わたくしは何となしにゾッとしたものを感じて、短くそうだねと返すほかありませんでした。


 ──然し何たることでありましょうか。


 この時のわたくしの悪寒は的中してしまうこととなるのです。わたくしは何と恐ろしいものを……。愚かにも、わたくしはなんの警戒もしておりませんでした。ただ、芸術家というのは、作品なんかが関わると人が変わったようになるもんなのかねぇと、おっとりしたことを考えていただけなのでした。


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 世話になっているばかりにも居るまいと、泊めてもらう間の食費と料理はわたくしがすることにして、白米に鯖の味噌煮に味噌汁、それから浅漬や野菜の炒め物なんかを出して、彼と食事をしているときに、テレビはあまり嬉しくない放送を滞りなく流していきます。

「おやおや、こいつは悲しい事件だね」

「家出少女と非行少年はいつの時代もなくならないもんさ。殺人やら交通事故、野生動物の食い荒らしもね、よく飽きないもんだよ。もっと可愛らしいニュースなんてやってないもんかね」

 チャンネルを何回かもいじっていると、動物園で何某の赤子が産まれたというニュースになったので、満足したわたしくしたちはそれを聞くことにして、焦りもしない朝の時間を贅沢に過ごすのでした。


 昼になればわたくしは佐野に連れられてS市内を散策し、時には何にも珍しくないデパートや公園を訪れてはその辺の人間を観察したり、また、わたくしの地元には見られない時計塔に行ってみたりして観光を楽しみました。本数の多いバスや電車に手を叩いて喜び、人が転んでも無闇に手を出さぬ都会ならではの冷たさに苦笑し、偉人の像と同じポーズで写真を撮ったり……。


 夜はふたりでささやかな晩酌をします。昼間に買ったつまみをつつき、足りなければ台所に立ってホタテを煮付けたり菓子の袋を開けたりしながら夜を明かすことのなんと楽しいのとか。わたくしも彼も酔っ払ってキャッキャと騒ぎくだらないお喋りをしていつの間にか潰れ、そして朝に酒焼けしてがらがらになった声に可笑しくなって笑い合うのでした。


そんな穏やかな日々が、明日で終わろうというとき、わたくしは身の毛もよだつ事実に気がついてしまったのです……。真逆とは思いましたが、然し、わたくしがそれに気がついたことを、佐野もよく知っていたのでした。


 そうです、はじめの方に書いたあのニュース。家出少女のあの顔を、最近何処かで見たことがあったのでした。そしてそれは、その場所とは──。


 アッと思ったときにはもう遅かったのです。わたくしは恐ろしい残虐非道な殺人鬼に捕えられてしまったのでした。


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 一服盛られたのでしょう、目を覚ましたときにはあのコンクリートの埃っぽいアトリエに転がっておりました。そしてやけに右の足が熱いのです。ジンジンするどころではなく熱いのです……。


「はは、はは、起きたかい、驚いたかい……いやいや頭のいいキミのことだから驚いたことはないだろうね。然しキミはまだ薬でぼんやりしているね、はは、ゆっくり、いいかい、ゆっくり自分の足を御覧。キミは火傷でも負った顔をしているがね、ははは」

 殺人鬼──ここまで来て言葉を濁すのもおかしなことでしょう、ええ、そうです、佐野が、佐野が床に転がるわたくしを笑っていたのであります。わたくしは彼の言う通り、ゆっくり視線を自分の足に向けました。


「アァッ!!」


  わたくしはあまりの恐怖に震え上がって、危うく気絶してしまうところでした。なんてこと……わたくしの足のところにあるべき足が……詳しくは膝から下がなくなっていたのです!!熱い熱いと思っていたのは、想像を絶する痛みのためにわたくしの身体が悲鳴を上げていたからなのでした。切り口はボロボロで、鋸か何かで無理矢理落としたのでしょう……そんなところからまだ血がとろとろと流れていて、足元をぴちゃぴちゃと濡らしておりました。


 アトリエで見たあの3体の石膏像の中には、おそらく、いえ、確かに、本物の人間の肉が入っていたのです。家出などではなく、佐野が拐かした少女の柔らかい肉が、無惨にも切り刻まれ、あんな姿で死後も悪魔に良いようにされているのです。カラーボールを投げたのは、きっとわたくしが突然無理を通したばっかりに、崩した箇所から溢れそうになっていた腐敗した肉の色を慌てて誤魔化すためだったのでしょう。

「あの、誰にも言いませんから、失くなった足もあんたに差し上げますから、どうか帰して……ウゥ、帰して……」

「そうはいかない、キミは僕の秘密を知ってしまったのだからね、そうでなくともね、ウフフ、僕はキミが泊まるって知ったときにはね、キミを僕の自由にしてやろうと決めていたのさ」


 わたくしが呻いてしおらしく泣いて帰してとか許してとかねだっても、佐野は聞くことをしませんでした。


「僕はね、キミのことをすっかり好きだったのだけど、キミがあんまりにも知らん顔をするものだから耐えきれなくなったのだよ。キミに似た女をあの手この手で口説いて、拐かして、蹂躙してやったらね、少しばかり胸がすいた気がしたのさ。それから3人の女を自由にしてやってね、僕の遣り口がとても上手だったからね、誰にも気取られることなく自分の好き勝手していたのさ。そんな折に、キミが遊びに来ると知って僕は歓喜に震えたものさ。キミは特別僕の好きにしてしまおうと計画を立ててね、キミは僕が慌てて証拠を隠すためにカラーボールを投げたと思っているかもしれないけれども、あれもね、キミに石膏像を意識してもらいたかったからなのだよ。そうそう、安心してくれたまえ、痛みでキミが死んでしまわないようにちょっとばかり盛ったから暫くは大丈夫だろうね、ウフフ、ウフフ、キミの四肢をゆっくり鋸で切り落として、骨をゴリゴリ削る感覚を楽しみたいねぇ、そんで恐怖に歪んだ顔を眺めて、ああ腿辺りの皮を開いて人間ドレスでも仕立ててやろうかね、そんでその目はキャンディみたいに舐め回して……恐ろしいかね、恐ろしいかね、でも泣いたってダメだからね、僕を歪めたのはキミの方なのだからね……」


 口を三日月型に歪めて、鋸をギラリと携えた殺人鬼がわたくしに一歩一歩近づいてきます。わたくしは蜘蛛の巣にかかった虫のようにジタバタと醜く藻掻いたものですが、薬を盛られ、片脚を失い、血が足りぬわたくしが狂気の愛で満ちた殺人鬼を止められる術などあるわけがありませんでした───。


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 物云わない肉塊となった可愛い娘を、しつこいほどに撫で回して、舐めずり、愛玩具にしたあとに、僕は大泣きしたのです。あの声が好きだったのに、あの笑顔が好きだったのに、あの手料理も、観察眼も好きで好きで焦がれていたのにもうそれはただの一度も見られないのであることに絶望したのです。僕は大泣きしながら彼女の肉を貪り喰らいました。生の人肉など、食うものではない、何度もえずきながらぐちゃぐちゃと、他人からは弄んで見えるだろうけれども、彼女を無駄に溢すまいと必死に飲み込んでいたのです。健気でしょう、深い愛情でしょう。


 そしてそれは7晩続き、僕のこの大泣きと、彼女の屍肉の腐った臭いに釣られて近所の人間が通報したらしく、警察がやってきました。殆ど形が崩れた彼女の屍体に縋り付く僕を無理に引き剥がして、僕はお縄となってしまったのであります。貴方にはわかりませんか、僕のこのとてつもない哀しみが!!


 燻ぶらせた片思いのために、愛しのひとを手に掛けた僕の哀しみが!


 そして彼女の瞳に映る最期の瞬間が、彼女にとって愛しいひとでなく、恐ろしい殺人鬼だと認識された僕の哀しみが!!!


 いやいや、酷い目に遭いました。


 最愛のひとは失い、牢獄で気狂い扱いされながら蔑まれ、芸術家としての地位も落ちて、シャバには僕の居場所はもうないのですから……そんな人生に耐えられる者などおりましょうか?


 僕は今日、自ら命を絶ちます。


 アハハハ、アハハハ、アハハハハハハ、アハハハハハハハハハ、アハハハアハハハ、アハハハハハハハハハ…………………。

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不愍 おきゃん @okyan_hel666

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