第40話 エンドロール

4/19 11:20 宮台新 病院廊下


「病室って電話禁止じゃなかったっけ」


 【無色透明の薬剤師】との対決から数日後、戦いの傷が全快した俺はある公立病院の廊下にいた。目の前には、個室の病室。扉の向こうからは時折せき込みながら話すしゃがれ声。


「はい。申し訳ございません。失敗しました。ええ。はい」


 禁止事項を破っているのだから通話中を気遣ってやる必要もないだろう。


 かまわずノックする。


「誰じゃ」


 問う声には答えないで、病室のドアを静かに開ける。ベッドの上に寝ている老人が一瞬目をみはった後、冷静な顔に戻った。


「【黒の薬剤師】。お前か」

「お前が麻薙の対立候補か」

「……ああ。儂を殺すか?」

「いや。別に。お前の敗北を伝えに来ただけだ」


 言いながら俺は、病室に置かれた簡易的な丸椅子に足を組んで座る。


「ふん、意外と甘い男だな。儂はこの国の未来を憂いておるのだ。儂が【緑の薬剤師】にはなれないのとまったく別の感情でな」

「……」

「聞いたぞ。光学のやつを、宇宙から隕石を落として葬ったと。あれは最低の愚策じゃ。あの地域は放棄された場所とはいえ、突然陸地が消えたのだ。社会不安による治安の悪化。海外からの人道支援を盾にした能力者の派遣。近く、日本は戦場になるかもしれん。国際情勢の悪化が儂には見える。お前はな、そのやり方で、海外で自分を守ったかもしれんが。それで守れるのは自分だけ。国が第一じゃ」

「知らねえよ。俺は研究室を守っただけだ」

「まあ意見が合わないのは承知の上じゃが」

「で、お前の目標は、麻薙の失脚と俺の暗殺。そして、それを要に国のさらなる上層部に食い込もうとしていたってとこか」

「ああ、そうじゃ。まあ、光学の恨みを晴らしてやりたい思いもあったがな」


 老人なりの麻薙光学への愛があったのだろう。


「この国としては今後の起きるかもしれない大戦の前に何か大きな力をカードとして手に入れておきたかった。で、【無色透明の薬剤師】と【白の薬剤師】の継承者である麻薙を推すものとに分かれたと。俺は海外にいたが、俺と麻薙が友人関係であることから、【黒の薬剤師】からの報復を恐れて麻薙に直接手出しをすることはできず、俺と無色をぶつけることにしたと」


 俺は続ける。


「まあこれでお前も失敗だ。機構から足切りされるかもな。お前の支援者たちも消える」

「ふん。どうなろうとだ。儂はこの国のために最善を尽くす」

「だったら俺は。どういう不利な立場になろうとも、最後まで仲間のそばに着く。そしてすべてを救ってみせる。その力があるはずだ」

「戯言を。お前のあの能力。たしかにすごいが。……あと何回使えるんじゃ。お前は袋小路にいる。それを忘れないことじゃ」

「さてな」


 敵に言われるまでもない。高い代謝能力で薬剤を分解し、後遺症を残さない。実験室での理論上はそうなのだが、果たしてそれがいつまで続くのか、予期せぬことが起きるのではないか、海外にいる頃からそういうぼんやりとした不安がずっと続いている。魂が引き裂かれる気がすると俺が表現する大技の後のあのスピリチュアルな痛みはその不安を確固たるものにしている。


「儂は消される可能性がある」

「ああ」

「儂はまだまだ下っ端じゃ。麻薙も変わらん。だから機構の深部には全然たどり着けておらん。だが、光学を引き取ったのは儂じゃ。だから奴については知っておることは多い」

「いや、反抗期でボコボコにされてんじゃねえか」

「親とはそういうもんじゃ」

「【無色透明の薬剤師】は、プラセボ代替計画で作られたのは知っているだろうが、最終的には疑似【黒の薬剤師】を目指していたようじゃ。つまり、おぬし用の研究だったということじゃ」

「なに。いや、待て、おかしいだろ。俺の【黒の薬剤師】としての覚醒前からプラセボ代替計画は始まっている。その時点から」

「覚醒を予期していたのか、それとも、光学を【黒の薬剤師】に仕立てようとしたのかは謎じゃが、ただ研究の最初期から念動力の発現は目指しているようじゃ。天変地異をも起こす念動力の力。コントロールするのが目的かそれともその先があるのか。光学の暴走により研究施設は破壊され、資料はほとんど残っていなかったが、おそらく今の状況はある程度想定されていたんじゃろう」


 疑問は深まるばかりだ。途中で考えるのをやめて頭の片隅に追いやる。いつかピースがそろえば謎は解けていくのだろうか。


「礼に俺からも」

「なんじゃ」

「【無色透明の薬剤師】からの伝言だ」

「楽しかった。ありがとう だとよ」


 少しだけ開けられた窓から風が吹き、薄手の白いカーテンを揺らした。老人がふいにまぶしそうな表情をする。


 っくしょん。


「おいおい、風邪か? うつさんでもらえるか、こっちは養生している身じゃ」


 老人はまだまだ生き残る気が満々だった。


「珍しいわね。研究室に自分から顔を出すなんて。屋上でちょっと話しましょ。色々報告もあるし」


 病院で用を済ませた後は手持無沙汰になり、麻薙の研究室に向かった。車でアジトに送ってもらってからはしばらく引きこもって治療に専念していたから、事の顛末などを聞きたかったというのもある。屋上につくなり煙草に火をつけ麻薙は言う。


「都は次の日からもう研究室にきているわ。身体強化能力はすごいわね。治癒力も常識を超えている」

「だろうな。俺は全力出した反動で倦怠感がやばくて引きこもってた」

「まさか隕石を落とせるなんてね。千葉の被害甚大よ。災害派遣の名目で海外から能力者が送り込まれるかもしれない。もしくは、あなたを警戒して日本には手を出さなくなるかもしれない。あなたを呼んだ時、いくつか事件後の予想を建ててはいたわけだけれど。ここまでやってくれるとはね。未来は完全にわからなくなったわ。どうしてくれるのよ」

「お前こそ、機構の承認を受けてない武器の無断開発と独断使用。そしてそれは魔薬の代謝促進の武器。現物は海底に沈んでいるとは思うが絶対バレてる。日本どころか各国が黙っちゃいないぞ」

「「はははははは」」


 大真面目な顔でお互いを批判し合った後、声を合わせて笑った。ひとしきり笑った後、麻薙は状況の報告を始める。


「旧幕張は壊滅し、沈んだわ。もともと人工の島だったから。で、島ごと砕けてしまったから、【無色透明の薬剤師】の死体は見つからなかった。ただ、あなた達の戦いの顛末を監視していた機構職員が、あなたが【無色透明の薬剤師】をリボルバーで撃つのを確認したと」

「あの場には誰もいなかったと思ったが。そういう能力者がいるんかね」

「ええ。いるみたいね。私も知らなかったわ」


 そして彼女は、聞きたくないことを聞くように、あえて無感情に話を戻ず。


「……彼は」

「……処理した。どうなったかは知らん」


 同じくらい間を空けて、最大限の唯我独尊顔で言い放ってやった。麻薙は驚いたような顔でこちらを見た後ふっと笑った。


「ありがとう。適任は君しかいないと思ったわ。色んな意味でね」


 言いづらいことはたくさんある。別に言わなくても伝わっているかもしれない。でも。言っておこう。


「——あの時。俺は命を投げ出しても。例え自分が消されたとしても白と一緒にいるべきだったんだろう。お前らは俺のために俺を日本から逃がしてくれたが、俺もお前たちのために動くべきだったと。今はそう思う。海外でやっと力を使いこなせるようになって。暴れまわってたけどそれじゃ駄目だったんだ」

「新君。君が、研究室から離れて海外に渡ってくれたから全滅せずに済んだ。あの時も。そして今回も。あの時は負けたけど、私たちは決着をつけた。青春を取り戻したのよ」

「青春、か」


 もう気づけば二十台も半ばを過ぎている。口に出すのも恥ずかしい言葉の味をかき消すため、麻薙が口から離し、指の間に挟んでいた煙草を奪い取って俺も吸う。


「どーせすぐ代謝しちゃうくせに」


 不満そうに麻薙が呟く。しばしの無言。


「クマ。少し薄くなったわね」

「少し眠れるようになったからな」


 くっしゅん。


「また風邪ひいたのね」

「幕張で、外で意識失ってたからな。海風はまだ冷たい」

「プラセボ代替計画はようやくこれで終了したわ」

「今回の功績を鑑みて、正式に新君の処刑処分が撤回になったわ。日本国の利益となる限りと余計な一文が付いてはいるけどね」

「どちらにしろそんなに俺には興味のない話だ。お前の最終目標の方が気になる」


 最終目標。脳裏に白の顔がちらつく。麻薙の顔が白の幻影に重なり、彼女は本当にうれしそうな笑顔を俺に向けて言う。


「えーどうしようかなー、新君が世界をぐちゃぐちゃにしてくれたからなー」

「やめろ」


 幻影は消える。目の前には麻薙。まだ俺はあいつを。


「えーどうしようかなー、毎日生きるだけで精いっぱいだからなーなんて先生が言いそうじゃない?」

「まじめに答えろ」

「どうしたの新君。怖い顔して。私の目標はね、先生と同じよ。副作用のない魔薬の開発により、人類を次のステージに進化させること。でも」

「でも?」

「本当は世界を元に戻したいわ。副作用のない魔薬の開発が不可能だった場合ね」

「真逆じゃねえか。ノープランかよ。しかも穏やかじゃないな。まあ、俺が言うのもなんだが」

「本当に、君に言われるのは何だわ」

「なんにしろ、矛盾してるってことだ」

「そう? じゃあ言い換えるわね。【白の薬剤師】の後継者としては、副作用のない魔薬の開発。私個人としては、世界を魔薬以前の状態に再度戻すこと」


 そういえばこいつは自分のやりたくないこともやりたいことも一緒にできるタイプだった。白のやつに学食で大好きな食パンの上に大嫌いな納豆を乗せられてたが、一緒に食ってるくせに脳では別々に味わってるとか謎の名言を残していたことを思い出す。


「なるほど」

「ねえ、君のPKでさ、時を戻す能力とか使えないの?」

「無理に決まってるだろ。時は進むだけだ」

「意識の拡大。通常の人間とは異なる超感覚。大気圏外まで影響範囲を広げることが可能。それなら時を実体として掴んで巻き戻せても不思議ないわ」

「できたらとっくにやってるわ。絶対無理だね。話を進めろ」


 思い込みだけで俺を何度も圧倒した【無色透明の薬剤師】。あいつが本当の魔薬をオーバードーズしたら? もしくは俺がさらなる量の服薬をしたら? 一瞬疑問が湧いた。でもたらればだ。表情の変化は麻薙には悟られなかったと思う。


「ま、そうね。だから能力者を全員倒し、新君を最後の一人にする」

「その倒す能力者にあいつも入るのか?」


 自分の妹のように、娘のように思っているはずの少女のことは。


「都は、徐放性製剤と脳内物質の多寡で能力を発現している。定期的な投与と戦いをやめればおそらく成長は止まり、時間はかかるけど老化というかたちで徐々に普通の人間に戻ることができるわ。魔薬だけでなく、本人の感情がスイッチになって能力を発現する【第二世代の薬剤師】ってわけ」

「なるほど、白の研究は成功に近いってことか。さすがだな。で、お前自身はどーなるんだ、【白の薬剤師】の継承者」

「今回の件は申し訳なかったわ。私は、きっちり、新君に倒されて退場する。そのとき今までの恨みを全て込めたらいい。白も黒も、ましてや赤や青、緑、そんな色はこの世にはいらないって私は思ってる。君は全員いなくなったあとで、ただの病弱な男として生活したらいいのよ」


 大仰に悩んで見せた後で言う。


「わかった。お前に協力するよ。大筋ではな」

「えっ」

「最後にお前がいなくなるのは反対だ。お前は生きなきゃいけない。汚れた手で、それでも人々の助けになるよう戦わなきゃいけない。そして、負けたとき。その時におとなしくこの世から退場しなければいけない。これは、俺とお前の宿命だ」

「これは白が……いや、先生が始めたことだ。俺たちはそれを引き継いでいかなきゃいけない。それを引き継げる奴に出会うまで」


 麻薙のやつはちょっと驚いたような顔で煙草を吸った。そして。


「投げやりな感じ、なくなったわね。少し、変わった。わかったわ」

「あとな。基本は、俺はフリーランス。この国に柵をつくるつもりはない。俺が協力するのはお前とあと西永だ。必要になったときにまた雇ってくれ」

「ふふ、ありがとう。でもそれも柵の一つだけどね」


 麻薙が携帯灰皿に煙草をねじ込む。


「西永は、あいつは今後強くなるだろうな」

「ええ。史上初、【第二世代の薬剤師】として覚醒したしね」

「【第二世代の薬剤師】。プラセボ代替計画のその先、か」

「都の、特定の感情をスイッチにする第二世代つまり、【感情の薬剤師】としての覚醒は、今後の情勢を考えると必須だったわ。通常ではあり得ないような感情の高ぶりがトリガーとなり、躁臓を刺激し能力を発現する薬剤。戦闘中しか発現しないため、体への影響が少なく、予後も長い。研究は理論上完成していて、薬剤の投与もしていたけど発現できなかった。彼女の能力のトリガーは深い集中だったってことね」

「そのために俺を日本に呼んだのか。あいつ、敵が弱くてずっと舐めプだったもんな。ろくに集中していなかった」

「もともとは新君に鍛えてもらう予定だったけど、君にメールを送ってすぐに弟が私を狙っている情報が入ってきたから、一緒に行動してもらったってわけ。タイミングよかったわ」

「お前がそのタイミングを調整したんだろ。ところでお前の弟も最後覚醒したぞ。凄まじい能力だった。俺の全力に匹敵するかも」

「ええ、そう」


 遠い目をする麻薙。


「お前は自分と研究室、あとは都の命運をオールインしてこの現在を勝ち取った。俺を日本に留まらせ、西永都を覚醒させ、【無色透明の薬剤師】を(日本から)消した。未来が見えてるとしか思えないな。何かを企んでるとか」

「そんなこと、あるわけないじゃない」

「お前は、先生の後を継いだかもしれないが、【白の薬剤師】にはなれんよ。オフホワイトだ」

「何言ってんのよ」


 パンっと俺の背中を平手で叩いた後、麻薙は屋上を去っていった。


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