第32話 私の危険なディープダイブと漆黒の本領

4/15 11:34 西永都 旧市街


 集中。ふーっと。息を吸って吐く。


 全能感を感じる。一瞬のタメの後で隆起し始めた地面を蹴り、跳ぶ。瓦礫、土、ガラスの破片、車の部品。嵐のように敵が操作する障害物のすべてがスローモーションで把握できる。隙が無いように見えはするが、自分が操作した物に自分が当たらないように無風領域というものがあるはず。いわゆる台風の目だ。そこに入り込むことを目指す。


 全能感を感じる。快感を感じる。それに身を委ねきることなく、理性でもって敵へ近づく。無風領域に難なくたどり着き、体に一太刀を浴びせた。


 【無色透明の薬剤師】の驚きの表情。刃先がボロボロのこの刀は、敵に深い傷というのは与えられないが、アスファルトで擦ったような抉れた醜い切り傷を残す。


 【無色透明の薬剤師】が後ろに跳びながら瓦礫を左右から操作し、私を潰そうとする。が、瓦礫の動きは途中で速度が下がる。いや、私の速度が上がっているのか。


 私は彼に追いつく。斬る。私は決められた動作を繰り返していく。


「がっ」


 【無色透明の薬剤師】から出る血のしぶきすらスローに見える。彼は大きく飛び退って言った。


「くっそ。なんだ!? この動き。この前と全然違うじゃないか」


 悔しさを滲ませた表情は残像になった。身体強化。


 私は刀を一旦構え直す。そして跳んだ。血中に入った解毒剤は薬剤を吸着、または水酸化して薬剤の作用を抑える。そして最終的には尿中に排泄されるのだが、もちろん戦闘中にそんなのを待っている余裕はない。躁臓の力を利用して、薬効を高める躁臓刺激薬が合剤として入っており、薬剤吸着→薬効減弱の時間が短縮されるのだ。それでも時間差はある。実際に効いているかどうか、それはまだわからない。だが、信じて傷を負わせ続けるしかない。


 それにしても、この戦闘スタイルは私にとって奥義に近いハマりっぷりだ。パズルのピースが合ったかのような、カードゲームのコンボのような。凄まじい爽快感と気持ちよさがある。これなら宮台さんにだって勝てるかもしれない。全ての相手とこの戦闘スタイルで戦いたい。100%の力を超えた120%、150%。いくらでも深く集中できる。その度に私の速度は上がっていく。


「もっと! もっと深く」

「そろそろだ」


 どこか遠くで声が聞こえた気がする。私を呼ぶ声。でも、関係ない。もっともっともっともっと……。


「おい!!」


 すぐ後ろに来た宮台さんに肩を掴まれ我に返った。


「タイムアップだ馬鹿!!」


 はっと気づいてすぐに太もものホルダーからナイフを取り出して自分の手首を切る。跳び退ってその場から離れて地面に座り込む。次第に冷めていく感覚。押し寄せる疲労感と喪失感の波。冷や汗が止まらない。


「はあはあはあ」

「おいおい、びびったよ。でも向精神魔薬でドーピングしてたってことか。それにその刀。全然僕の薬効下がる気配ないぞ。ははは。欠陥品なんじゃないかそれ」


 【無色透明の薬剤師】の哄笑も、疲労で他人事のように聞こえる。


 宮台さんが話し始める。


「お前の力はプラセボだが、解毒薬の投与で効果が減退する可能性も、そのまま使用できる可能性も両方あった。まあ結果的にお前の能力は減退していないみたいだが、勝ち負けで言ったらお前の負けだ」

「は!? 何言ってんだ」

「勝負は終わった。この女の勝ちでな。こっからはただの潰しあい。で、潰されるのはお前って話だよ。なあ、思い込みの能力者」

「思い込み? 何を言って」

「お前の能力は万能すぎる。おかしいと思ったことはないのか」

「へえ、じゃあそれは僕が他の人間より優れてるってことだ。巷で噂の【第二世代の薬剤師】ってやつだろ」

「それが何かは知らんが違うよ。お前はプロトタイプだろ。第二世代っていうならそれはあの女だ」


 要はさ、と言って宮台さんが続ける。


「お前は俺と同じ国家でさえもコントロールできない社会のごみ。魔界の住人。でさ、お前は俺よりも弱いからその中でも最底辺だ」

「弱い!? はは、君何回僕に負けてるんだよ」

「今から理解(わかる)よ」


 この辺り一帯に悪意と嗜虐心が湧いてでてきたような感覚。背筋が少し冷える。

宮台さんはポケットからリボルバーを取り出した。それをそのままこめかみに突きつけ。何のためらいもなく発砲した。


「直接投与(インジェクション)」


 だらり、と腕が力を失い、がらん、とリボルバーの形をした器具を地面に落とす。そのまま彼は頭から血を流したまま背中から着地して地面に倒れた。


「え? 自殺? 僕に敵わないから? よくわかんないけど馬鹿だね、ははははは」

【無色透明の薬剤師】は目の前で起きたことが理解できないといった感じで半狂乱で笑い出す。もちろん私にも理解はできていない。倒れた宮台さんの顔を見る。

「な、なんですかこれ」


 長い前髪のすぐ下にある口がにたりと歪んだかと思えば、くつくつと笑い声が聞こえる。


 まるで底の見えない洞窟からの悪意を音にしたような笑い声。ゆっくりと開かれた眼が青く染まっている。


「だからさ、直接投与。俺のつくった薬、分子量高過ぎでBBB(ブラッドブレインバリアー)に弾かれるからさ、直接脳に打ち込んだの」


 BBB(ブラッドブレインバリアー)つまり、血液脳関門のことである。人間というのは血液内に侵入した物質から脳を守るために、体と脳の境界に関門を作っており、脳内に侵入するのに適した成分でない限りは弾かれてしまう。薬剤を脳にまで届ける場合、成分の分子量を小さくする、脂溶性を高める等の工夫があるが。


「脳に直接!? そんなの……聞いたことない!」


 起き上がるモーションすらなく倒れた姿勢のまま宙にゆっくりと浮いて宮台さんが空に直立する。笑い声が響く。大量投与したその薬が精神に影響を及ぼしているのは言うまでもないだろう。


「はははっはははああはははは」


 直後。地響きを上げて廃ビルが5棟ほど宙に浮いた。がれきや埃などすら落ちてこないのはなぜだろう。


「向精神魔薬による念動力……だがなんなんだ、その出力……。投与経路変更による初回通過効果の無視!? それとも多重薬剤併用(ポリファーマシー)による代謝遅延!? 理屈に合わない」

「お前が言うか? ははは、確かに初回通過効果は無視してるな」

「でもっ、こんな出力はありえない!! 人間の限界をとうに超えてる。お前は。お前は一体何なんだ!」

「何小難しいこと言ってんだ? お前はもう分かっているのに、理解するのを拒んでいるだけだ。ただのオーバードーズさ。投与量をぶち上げてるだけ。後遺症が残らないよう自分の代謝機能に祈ってるだけさ」


「体内の3賢者。彼を最強たらしめているのは腎臓、肝臓の異常な代謝能力と躁臓の異様なまでの活性よ」


 麻薙さんから聞いた話を思い出す。薬剤を飲めば飲んだだけ応答し、青天井に生命エネルギーを付与してくれる臓器と、体内に入ったすべての薬剤を最終的に排泄してくれる腎と肝。どれか一つだけでもこの魔薬の世界では高みに到達できるに違いない。それが全て揃っているのだ。


 もう勝負は決まっていた。5棟の廃ビルが虚空で傾き建物の頂点部分が【無色透明の薬剤師】に向く。まるで剣の切っ先を突きつけられみたいに、【無色透明の薬剤師】が諦めたような表情をしたのが見えた。だが、意を決したように目を見開きピルケースの中の薬を口にする。一拍置いて廃ビルの大質量がさく裂した。


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