第28話 透明の薬剤師とは

4/15 7:05 宮台新 予備校跡


 俺は自宅の赤錆の屋上に戻っていた。この屋上からは、遮蔽物や周りに高い建物が(ほぼ)ないため360度どの方角でも見渡せる。


 結局、西永は見つからなかった。街にいないならば家に帰ったのだろう。彼女の家の最寄り駅でビジネスホテルを取り、警戒を続けたが、何も起きないまま朝になった。精神状態が気になるところではあったが、鍵を開けて状態を見に行くのはさすがに憚られる。それよりも元凶を断ってしまった方が早い。


「全く。やられっぱなしだな。でも」


 旧幕張で待つと奴は言った。だが、いちいち相手の土俵に立つ必要なんてない。俺にはその力がある。旧幕張ごとあいつを沈めてやればいい。多少のやり手らしいが犠牲を厭わなければ問題なく勝てるし、俺に関係のない人間の犠牲なんてノーリスクとほぼ変わらない。


「反撃開始だ」


 まあ奴にとっては、盤面をひっくり返されたことを理解する間もなく一瞬で事は終わるのだが。薄暗い高揚感は一瞬で過ぎ去って、すぐにくだらないと冷めた気持ちになる。


「ここに来れば何か見つかるかと思っていたが」


 そんなことはなかった。世界中どこにいたって同じなのだ。自分からは逃れられない。だったら、さっさとやってしまおう。こめかみに特注のリボルバーを突きつけたところで強い風が吹いた。


 伽藍(がらん)、と大きな音がして扉が開く。振り返ると、顔を覗かせたのは麻薙だった。銀髪が風でなびいている。


「やはり屋上にいたのね」

「人の家に勝手に入ってくるな」

「新君の家であり、同時に機構の契約した社宅よ。私が実地に調査に来る権利も義務もある」


 俺は吐き捨てるように言ってやったが、すぐさま反論された上、間違いではない。言い返せなくなったので黙った。


「天変地異を起こせるというのは本当のようね、今まで私たちに見せた能力よりさらに上の」

「なんでそんなことわかる」

「国外で噂になっていたからね。【黒の薬剤師】に手を出すと神の裁きに合うと」

「ああ、そう」

「で、今新君はそれを起こそうとしている」

「ああ」

「だからそのリボルバーを手に持っているの」

「要件はなんだ。俺は忙しい。言いたいことがあるならさっさと言え」

「機構からの命令よ。【無色透明の薬剤師】、光学を直接処理すること。消したという確証が欲しいからと。看過できなくなったようね。彼の存在が完全に機構の手から外れてコントロール不能になった、海外への能力流出の危険性もある」

「お前マジで言ってんのか。あいつと直接対峙する必要なんてない」

「負けたままでいいの?」

「お前さえ邪魔しなけりゃ今から勝つ」

「退屈なんじゃないの? 空白を埋めるためにここに来た」

「お前が呼んだから来ただけ」

「嫌だったら断れた」


 自分が何で日本に帰ってきたのか。それは自分でもよくわからなかった。今麻薙が言ったように退屈だから、だろうか。退屈は間違っていないが適切な言葉とは思えない。退屈から少し外れた何かの感情。毎日ぼんやりと過ごしていた俺が、昔の友人からのメールに惹かれたのは確かだった。[日本に来ない? 頼みたい仕事があります]


 そしてイエスと返事をしてしまったわけだ。


「常識を塗りつぶす【黒の薬剤師】。チート級の力を持っているのはわかったけど、やっぱり漫画みたいにはいかないのね」

「俺が勝てるのは、俺自身を過信してないからだ」

「新君、君は小さな戦いの勝ちを数えているだけよ。守る戦いでは全敗してる」

「……っ」


 そうかもしれない。大切なものを守れなかった罪悪感や好きに暴れていた怨念が俺の背中にのしかかっている。


「だから、今度こそ、私たちの一番大切な青春を取り戻すために戦いに勝つ必要がある。それは、【無色透明の薬剤師】、光学と直接対峙することでしか得られない。私と、いや、この研究室と一緒に過去を超えましょう」

「なに言っ……」

「新君。君は力に溺れている。君はたしかに強いけどその実、内面はボロボロ。このまま同じことを続けていたら自分を失ってしまうわよ」

「だから日本に呼び戻したってことか?」

「それもあるわ。白先生の仇を倒して虚しさを感じたでしょ。どこまで行ったって虚無なのよ」

「ふん。お前の言うことは全て俺をコントロールするための言葉だ。白が殺され、その犯人を国外逃亡させたのもお前。その情報を与えたのもお前。そいつを俺に狩らせるために。お前がすべての黒幕か? お前のことは信用できない」

「そうかもね。でも、日本に来て、私や都と接して、君は少しずつ前の自分の側に戻ってきている」


 それは事実だ。過去の記憶がそうさせるのか、どうも海外の時とは違って俺は、こいつらにいらぬおせっかいを焼いてしまう。言ってしまえば心を開いていた。だが、俺は前の自分になんて、力がなかった時になんて戻りたくないのだ。


「力は消えない。だから、君が前のお人よしにちゃんと戻れば、今の自分をさらに超えられるわ。そして、今回の戦いは都の成長にも不可欠よ。私の研究室と、あの子の未来を守ってほしい」

「今更そんな綺麗事で俺が動くかよ。それは俺だけじゃない。俺に殺されていったやつがそれを許さない」

「【黒の薬剤師】、君は過去を超え、それを塗りつぶしに帰国したのよ。復讐は遂げた。その自分すら過去にして塗りつぶしていいの。手段を選ばず突き進んで高みに上った。これからは綺麗事を言って私達を救ってほしい」

「……ヤンキー上がりで昔悪かったくせに成功したとたん慈善事業しだす起業家かよ」

「言うことは変わるわ。時間の経過や立場によってね」

「はあ」


 大きくため息をついた。リボルバーをこめかみに突きつけていたはずの腕は、いつの間にか力が抜けており、だらんと垂れ下がっている。今からいつだって自分の脳天を打ち抜くことができるが、腕を上げるのも少し大儀だ。


「【無色透明の薬剤師】の正体を教えろ」

「存在のしない能力者。そしてあるはずのない能力。だから無色透明。その異質さから、あらゆる機関が彼の存在を認めることができなかった。でもまあ種は簡単。プラセボ代替計画の唯一の成功者」

「もったいぶるな」

「【無色透明の薬剤師】、麻薙光学。彼は。――私の弟よ」

「なに」

「先生が亡くなって。そのあとプラセボ代替計画の研究内容は世間に公開した。当時話題だったその研究は各国で引き継がれた。競争の激化に危機感を感じた機構は、まだ幼かった弟を人質に取ってプラセボ代替計画を成功させるよう私に迫ろうとしていた。投げやりになっていた私は、逆に志願して弟を能力者にするよう機構に交渉した」

「自分の自傷と、弟には一人で自由に生きる力を持ってほしいと思っていたのね。でも白先生殺害の実行犯を新君が倒したという噂を聞いたところで我に返った。とんでもないことをしてしまったと思ったわ」

「私は弟を取り戻すために白先生のデータとプラセボ代替計画のデータを組み合わせた研究をはじめ、都の能力を作り出した。そして機構での立場を確立させていった」

「おそらく弟は止まらない。だからせめて、私たちの手で倒してあげたい」

「これは私自身の戦いでもあり、プラセボ代替計画の始末は、白先生いや、旧(魔)薬物動態研究室の戦いでもある」


 俺は麻薙の長い話を聞き終えた。こいつは真実を言ってるんだろう。過去と未来はわからないが、今この瞬間においては。


 俺の答えは――――。


「ところでさ」

「なあに?」

「お前、そんなに自分出すキャラだったっけ」


 一瞬笑顔のまま無言になり、その後、彼女は言う。


「なんたってターニングポイントだからね」


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