第27話 私の非行、心の逃避行
4/14 13:40 西永都 自宅
家に着いてすぐに鍵を閉めてチェーンをかけた。体がずっと震えている。腕を絡ませて自分の体を抱いてそのまま部屋の隅にしゃがみ込む。カーテンを閉め切った真っ暗な部屋でじっとしていると、鼓動がゆっくりになっていき、走った疲労感を少し感じた。夜までそのまま過ごしてやっと感情が戻ってきた。と、同時に記憶がフラッシュバックする。
「もう戦いたくない。負ける。負けたらいらなくなる。捨てられる」
私のアイデンティティは強いことだった。だから、私はそれを失ったら何も残らない。価値がなくなってしまう。そんなものを誰も必要としないだろう。
「ああああああああああああああ」
テーブルに乗った雑多なものを思いっきり床に払い落とした。ガシャッと大きな音がする。だが、物に当たったところで現実は変わらない。それどころか片付けという手間が増えただけだった。数分自失した後で、情けない顔で散らばったものを拾い集めていると、一緒に床に落ちた銀色のライターが手に当たる。
「おい、誕生日早いんだろ。ほれっ」
先日の宮台さんとの会話を思い出す。
「生きているだけで素晴らしいことだと思うぞ」
「別に、何にならなくてもいい。脅迫的にあいつの力になる必要もない。あの【薬剤師】に勝てなくてもいい」
屋上で彼にそんな話もされた気がする。
「あなただって……力になりたいと思ってたんでしょ。あなたが私にそんなこと言う資格ない」
私のために自己開示をしてくれた彼に反論する。でも、わかっている。自分の失敗を繰り返さないようにそう言ってくれているんだろう。
「何かに逃げてもいい。別に精神が安定するならそれもいいだろ」
ライターと一緒に両手で掴んだ煙草の箱を眼の高さに合わせて私は言う。
「煙草は将来の健康を損ないます」
「将来。長生きできない業界の俺たちが数十年後の心配をする必要なんてあるか? それより今だ、今この時生き抜くことが大事だろ」
彼の幻想は言う。悔しいがその通りかもしれない。というか自暴自棄になると将来の健康なんてどうでもよくなる。煙草を一本口に咥えてライターで火をつけた。
カチッ。
「けほっ」
喉を刺激する煙にせき込むが、すぐ慣れた。そして訪れるお酒ともまた違う少しの酩酊感。窓枠に座って、窓の外を横目で見ると遠くに光るビル街。赤い灯の明滅。
朝、家を出る前に少しだけ開けた窓から生暖かい風が吹いている。紫煙を吹き出すたびに少しの間ができて心が軽くなる。心の安定と等価交換に、体の中に澱がたまっていくのだろう。大人になって、だんだんこうやって、みんな歳を追うごとに汚れていく。遠くで聞こえる喧騒をBGMに、心と煙を交換した。
30分ほど過ぎただろうか。少しセンチメンタルな気分になったものの、思考が落ち着いてくる。私の望みはなんだろう。認められたい、のだろう。でもそれができない。なぜなら弱いから。それはどうにもならない。先ほどのような深い落ち込みはないが、また思考のループに入ってしまう。ぼんやりと自分を罰し傷つけるために思いついた色んな自傷を想像する。
「あ」
宮台さんの代謝能力をふと思い出した。強力な代謝能力で能力の限界を超えて、そして後遺症を残さない。ということは、どんな薬を使用しても代謝されれば薬効は消える?
「麻薙さんが開発したアレなら……」
対能力者戦の切り札として作られた武器。研究室に保管されていたはず。使うための練習はずっとしてきた。そして、同時に閃くもう一つ必要なもの。通常の人間の限界を超えるような集中力。【無色透明の薬剤師】の攻撃をかいくぐるだけの、だ。
見切りさえできれば、私の身体能力なら何とかなるだろう。集中。心当たりはある。新たな魔薬。でも麻薙さんは使用許可を出さないだろう。中枢神経に作用を持ち、精神に影響を及ぼすような魔薬はそれだけ副作用の危険度は高い。
だったら。
「これは危ない思考かも。でも、このままでは終われない」
私は私の存在、そして麻薙さんとの関係性を確かめなきゃいけない。そのためには。強さが必要なんだ。
「準備して、行こう」
鏡を見ると、泣き腫らして瞼が厚ぼったい。なのに目が座っていて、暗い光を放ってて。自分の顔になんだか笑ってしまった。
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