第19話 私の現実逃避と彼の後悔と
4/13 15:55 西永都 千葉県某駅 駅前
私は研究室をそそくさと出た。何か嫌な話をしそうだったから。これ以上聞きたくなくて。そして今はずっとあの戦いを思い出している。【無色透明の薬剤師】から全力で逃げた。圧倒的な力、多彩な能力。もう逃げるしかなかった。そう。私は負けてしまったのだ。宮台さんにも。今回の敵、【無色透明の薬剤師】とやらにも。
私は麻薙さんの一番弟子で、それで日本で最強の能力者のはずで。なのに。
いつの間にか私は、例の駅の広場の円形ベンチに腰かけていた。現場検証などは一通り終わったようで、もうサラリーマンや学生が入り乱れる日常の駅前に戻っている。ベンチからは改札が見える。あの改札で宮台さんと出会わなければ。あの燃える宗教団体の信者達と戦わなければ。私はこんな事件に巻き込まれず、まだ最強でいられたんじゃないか。そんな思いが拭い去れない。思わずため息をつく。
「はあ」
「おい」
はっとして振り返ると。さっき想像の中にいた男が現実に立っていた。
「宮台さんですか」
「ちょっと付き合えよ」
「私、そんな気分じゃ……」
「とりあえずアジトに来い。敵が襲ってきたときに一般人を巻き添えにする気か?」
そんな言葉で例の予備校跡まで連れていかれたのだが、よく考えたら宮台さんは一般人を巻き込むことにためらいがある人とは思えない。騙されたのだろう。でも、もう今日は私は疲れていて怒る気力もない。2回も敗北感を感じ、一番信用している麻薙さんの存在も揺らぎ始めている。何でもいいような気分になっていた。
エレベーターを降りると彼は何やらPCを操作し始める。セキュリティのためにエレベーターがこの階に止まらないようにしているとのことだ。
「今日は泊まっていけ。まだ襲撃の恐れがある。風呂とシャワーもある。着替えも一式麻薙から借りてきた。もちろん中は見てない」
バサッとボストンバッグを放ってきた。私はそれを両手で受け止める。
促された方向に行くとシャワー室があった。明らかに後から増設されたのだろう、向こう側が見えないような加工がされた透明の壁で仕切られている。シャワー自体は円形のカプセルみたいなものの中にある簡易的なものであった。今日シャワーを浴びるのは2回目だったが、長い1日ということもあり、あまり違和感はなかった。それに熱い湯というのはいつだって有難い。体を流して元塾の受付スペースに戻ると、書置きが残されていた。
「コーヒー淹れたぞ。上に来い」
フロアの隅の非常階段を上り、錆びついた赤色の屋上に来た。
夕方になったはずだけど、空はまだ青くて明るい。屋上にはベンチが置いてあり、彼はそこに座り、足を大きく広げて頭を背もたれの向こうへ垂らすという、酷くだらしないいつもの姿勢でいる。ベンチの隣に丸テーブルのようなものが設置されており、プラスチック製のコーヒータンブラーが2つ用意されている。
無言でそれを受け取って、私は、申し訳程度に設置されている柵に腕を組んで体を預けた。大敗を喫したはずなのに宮台さんは堂々とだらだらしている。
「負けたのに、堂々としているんですね」
「生きてりゃ勝ちだ。表面的な、いや、短期的な勝ち負けなんて揺蕩(たゆた)う」
「そうですか……」
「すべてに勝とうとすると、絶対に最後には破滅的な大敗が待ってる。逆に負け方をちゃんと選べば、負けても問題ない。命が残っていればいつかは勝てる。その時そいつにとどめを刺せればいい」
戦場を渡り歩いて生きてきたものの言葉か。
私は、この世界に入り込んでからというもの、ずっと圧倒的な力で敵を倒してきた。そのため自分より戦闘力が高い相手からこうやって何か説教を受けるという経験がなかった。だからだろうか、私はあんなに彼と自分を比べて劣等感を感じていたのに、それでもこの男に慰められて少し心を落ち着かせている。
「気持ち悪い」
顔を背けてそう小さく呟いてみた。自分に対して。できない自分を強く責めることで、その他の痛みが麻痺する。
だが、風にのって言葉が届いてしまったのだろうか。それとも彼の力が発動しているのだろうか。それに答える声が聞こえた。
「ガキだな」
「っ」
「成長の能力。それは人間の限界を超えた運動能力と回復力を生む、か。だが身体の成長と精神の成長がちぐはぐだな。まあガキなんてみんなそうだろうが」
「何をわかったようなことを」
「何もわからんがな。想像してみた。誰にだって、自分の世界観が壊される瞬間がある。限界を感じたり、圧倒的な存在が現れたり。それでも、腐らずにできることをやっていくしかない」
「随分大人なんですね」
「言っておいてなんだが俺もまだ消化しきれていないことだらけだ。お前とそんな変わらんよ」
この人はあまり自分を飾らないような気がする。できないことはできないと言うし、それで落ち込むこともない。私はプライドばかり高くて不完全な人間なんだろう。でも、人間が出来ている人に言われても、私は素直に受け取ることができない。彼には挫折しかけている人の気持ちなんてわからない。
「お前は力が足りなくて悩んでいるみたいだが。俺は力を使いこなせなくて悩んでた」
力が足りない。はっきりとそう言われたのは自分で思うよりショックだったが、もう認めざるを得ない。話を先に進めるために否定はしなかった。
「学生時代は能力を使えなかったと聞きました」
「ああ、能力が出なかった。代謝能力が高いことはわかっていたが、用量の調整がうまくいかなくてな。後から分かったことだが、普通の人間だったら何十回も死んでるくらいの量の薬を飲まないと効果が発現しないんだ」
「今のは少し自慢に聞こえますね」
「お前大分ひねくれてるな。日本では全く発現しなかった能力なんだがな。海外で襲われて死にそうになった時、はじめて発現したんだ。逃げ込んだ場所に保管してあった薬を全て飲んだ時」
「棚にあった薬全てですか?」
「ああ。たまたまそれが全部向精神魔薬だったわけで。念動力が使えるようになったんだ。
皮肉だよな。研究では全く能力は発現しなかったのが、死ぬと思って自棄になった瞬間能力が発現したんだ。研究室で俺の代謝の研究をしながら能力の開発をしていたとき。白と現代が研究室を追われたとき。どちらも力は発現しなかった。俺は自分を悔やんだ。恋人と友人を守れなくてな。だが、俺が本当に大切だったのは恋人でも友人でもなく自分自身だったってことだ」
何も言えないまま時が経つ。何と言おう。考えた結果、言葉尻をとらえて自分が一番気になっていることを聞き、話を逸らすことにした。
「友人。宮台さんにとっても麻薙さんは信用できるのですか」
「信用できないのか? あいつが」
「そういうわけではないですけど。あなたも私も巻き込まれたんでしょうけど、麻薙さんは自ら今回の件に参加しているような気がして」
だから、と言って最後まで続ける。
「麻薙さんは何かを企んで私たち、いや、私を操っているんじゃないかって。宮台さんと麻薙さんの先生に何か関係があるんでしょうか。【白の薬剤師】って一体」
一般的な話と思い出話しかできないが、と前置きして宮台さんは話し始める。
「高みに上った【薬剤師】は色の称号が与えられる。【黒の薬剤師】、つまり俺の登場によりこの慣習は始まったんだが、【白の薬剤師】に関しては非公式の通り名としてはそれより以前に存在していた。白は魔薬の副作用の軽減の研究をしていた。より安全に能力を使うことにより、使用者のこの能力が人類の進化の糧になると。その研究が認知され、本人の名前もあったからRPGとかで出てくる白魔導士になぞらえて【白の薬剤師】と呼ばれるようになったんだ」
「そんな決め方なんですね」
「まあアンダーグラウンドな業界だからな。その後は、知っての通り、【白の薬剤師】亡き後に、弟子である麻薙の研究がそれを引き継いでいる。そこから生まれたのが黒の俺とほぼ同じような能力者なんて、これもまたなかなか皮肉なことだ」
宮台さんは自嘲気味に笑う。
「あいつは【白の薬剤師】と呼ばれるのは嫌がっていたらしい。俺が海外で暴れ始めてから、【黒の薬剤師】と呼ばれて、色の慣習が始まったからな。自分を責めていたらしい。俺を黒く染めたのは私なのになぜ私が【白の薬剤師】なんだってな」
逡巡したような間を取り、更に彼は続けた。
「いや、だけど俺は。おそらく麻薙も。ここ最近は何となく考えるようになったんだ。もしかしてあいつはこれを望んでたんじゃないかと。既存の世界のルールを破壊した魔薬。そのルールすら壊してしまう混乱と混沌の世界。【黒の薬剤師】そして白の後継者から生まれた【無色透明の薬剤師】。色でありながら色を持たない能力者を生んだのはあいつの意思ではないかと。……だから正確に言えばあいつも、麻薙も白の計画に巻き込まれているのかも」
「自分から聞いておいてこんなことを言うのは何ですが」
と、前置きして私は言う。
「未知の部分をいくつか残して人は去っていきます。私たちは、本人が不在になった地点から、過去を何度も行ったり来たりしてその方を再度知ろうとします。次第に、実際に会っていた時の評価とずれてくるときがあるでしょう。でも。その時。その方が生きていた時に実際に私たちが感じていたことが真実なのでは」
別に彼を励ましたいわけではなかったのだが、言いたくなってしまったものは仕方がない。
「知ったような口ぶりだな」
「ご存じの通り、父は製薬会社の社長でした。業績不振により、魔薬の製造に切り替えて会社を持ち直したのですが」
「ああ。数年前に皆保険制度を維持できなくなった日本。それ以前には、国の命により製薬会社の利益を薄くさせることによって延命を図っていた。利益が取れなくなった外資の製薬会社は日本からの撤退を余儀なくされ、日本の会社は倒産が相次いだと聞いている。その後魔薬の発明により、国内製薬企業は生き残ることになったとか」
「魔薬の製造によってさまざまな人の命が奪われることはわかっていたはず。これは父のこの世界への憎しみの産物なのではないかと思うこともあります。でも。あの時期本人はすごく悩んでいた。従業員を守るのに必死だった。その顔を思い出します。すると、私が勝手に故人をゆがめてしまっていることに気付くのです」
驚いたような顔で私を見た後、宮台さんは今までで一番柔らかい笑顔を見せた。
ふいに風が吹いて長い髪がそよいで顔全体がはっきり見える。何かを諦めたような少年の顔。私から見たら天上天下唯我独尊の男だが、その過去には捨ててきたものや、捨てさせられた様々なものがあったのだろう。麻薙さんが言っていた、新君はお人よしという言葉を思い出す。何故だか胸を刺された気分になった。
「俺も、麻薙も白のことは大好きだった。だから、あいつがいなくなったときに何か空白になった気がしたんだ。だから、そうやって変な勘繰りをしていたのかも」
「あなたたちがどのような目的で育てられたかはわかりません。はっきりと断言することはできない。それは、白さんには私は会っていないから。ただ、私と私の家族は助かりました。あなたたち二人は命と、心の恩人です」
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