第11話 わからせられた私の不穏

4/13 11:03 西永都 大学構内 3階廊下


 何度殴っても人間を殴ったような感覚がしない。まるで金属の塊を殴りつけているような徒労感。体の硬質化? こんな能力があったなんて。


 私は、拳を素手で止められたことの驚きを隠しつつ、距離をとって言った。


「私のデータを返しなさい」


 筋肉男は私を無視して言う。


「お前の能力は、成長すること。これが俺の求めていた答えか。素晴らしい。奴の言っていた通りだ、ふふふ」


 彼は私の体を舐めまわすように見て、その後上半身の膨らみのあたりで視線が止まる。


「身体能力や自然回復力の上昇、そしてそれに伴う肉体の成長、へへへ」


 どこを見ているかは明白だ。寒気と悪寒が背中を這う。生理的な嫌悪。こいつ。絶対に殺す。


 後から遅れて来て、私の背後で黙って注射器で自分に薬剤を投与していた宮台さんが口を挟んだ。


「動きにくそうだな」

「宮台さん、あなたも殺しますよセクハラヤロー」


 宮台さんを振り返って返事したのと同時に、筋肉男が叫んだ。


「おれの。俺の能力を馬鹿にするなあああああああああ」


 わ、私の話じゃなかったのか。恥ずかしすぎる。顔が真っ赤になった私を完全に無視して宮台さんは話し始めた。


「皮膚の状態を極度に乾燥し、そして痛みの遮断をする。さらに皮膚硬質化薬剤の定期的な塗布。能力使用中は動きがかなり制限されるため、普段は外用薬の塗布にとどめ、躁臓刺激薬を入れたペンタイプのデバイスを持ち歩いて、それの投与によって能力が解放される。硬質化は普段よりは機動が鈍くなるはず。水の中に沈めれば勝ちだな。虫と一緒だ」

「む、虫って。いやでも宮台さん、池も川もありませんよこの辺りは」

「持ってくるぜ!!」


 ゴバアッ。


 やけにテンション高めで宮台さんが言い放った途端、轟音とともに大学の廊下が割れて崩れ落ち、筋肉男が目の前から消える。あわてて割れた廊下に駆け寄って中を覗き込むと、三階建てのこの校舎の廊下を突き抜け地面にぽっかりと空いた穴のようなものに男が落ちていた。唖然とした表情をしている。


「は?」

「おらああああああああ」


 宮台さんの気合の言葉の、数秒ののち割れた校舎の天井から滝のように水が降り注いだ。


「きゃあああああああああ」


 廊下の裂け目から下を覗いていた私の体に恐ろしいほどの水の圧がかかったのだった。


 硬質化した男は、水の中でゆっくりともがいていたが、やや緩慢なその動作では水から上がることができず、やがて動きを止めて水面に浮いてきた。


「お前の負けだ」


 相手を見もしないで冷たく言い放つ宮台さん。振り返ると前髪の奥で目の色が水色になっている。能力が発現しているということだろうか。


 だが、私はそれどころではなかった。穴に駆け寄って事の顛末を見てしまったがために、そのあとの水の奔流を避けきれず、まるで濡れネズミだ。


「はあはあはあ。うえええ、またビショビショだあ。ひどい。一体この水はどこから」

「……南船橋の辺りから持ってきた」


 気が抜けたかのように宮台さんのテンションが下がっている。何なんだろうこの人は。

「持ってきたって……あの一瞬で。というか、普通よけろとか離れろとかいいませんか?一言あってもいいかと」

「やー、避けてほしいなという気持ちはあったんだが、届かなかったようだ」


 急にへらへらする彼。むかつく。


「まったく。そんなに色々できるならテレパシーみたいなので事前に指示できないんですか」


 もちろん嫌味だ。そんなことできるわけが……。


「やったことない。おそらく同じような能力者にはできるだろうが、お前みたいなパワー系にはできん」


 むかつく!!


 彼を視界に入れるのも苛立つので辺りを見渡すと、私の周りが水たまりのようになっていて、2、3匹の魚がビチビチと跳ねている。


「はあ、全く。廊下に魚やらが散らばっていますが」

「ああ、海の水巻き上げたときに一緒に」


 私は恐る恐る聞く。


「ええ……あの、もしかしてたまーに聞く、世界各地で突然空から魚が降ってきたりするって現象……」

「ああ、水を使わなきゃいけないことがあって海の水をもってきたりするからな。その最中に魚落としたかな。生き物は重いんだよ」

「あの、さっき天井から床にかけて穴開けてましたけど、突然某国のビルや建造物が倒壊したり……」

「ああ。よく行くんだよあの国。自然にビルが倒壊するわけねーだろ。ははは」

「はははって」


 もう私もツッコむことすら疲れてしまった。それにしても、相手の硬質化能力の作用機序を一瞬で分析して敵を溺死させる作戦に……。能力もさることながら、戦闘の経験とセンスが私とは段違いだ。


「こんな勝ち方もあるなんて……」

「半端な打撃じゃ効きそうになかったからな」


 むかっ。


 それに、と言って彼は続ける。

「薬効消失まではまだほんのすこし時間がかかりそうだったしな」

「え、な、なんでそんなことわかるんですか」

「お前、機構職員兼薬学部生なのに魔薬の原則知らんのか。勉強不足だな」

「知ってますよ!

・能力の発現には服薬を伴う。

・薬剤の吸収、血中への移行の後に能力は発現する。

・能力は薬物代謝と共に次第に効果を失う。

・投与経路、もしくは薬剤の剤型変更により、投与後能力発現までの時間は短くなるが、同時に能力の代謝までの時間も短くなる。(逆相関関係がある)

・発現する能力は服薬の量に対して相関関係があるが、ある一定の量を超えると、リスクベネフィットのバランスが崩れる。(能力発現も青天井というわけではない)

・自身が代謝できない量の薬物の服用は、副作用が強く出る恐れがあり、また思わぬ効果のブレが起きる場合がある。

・多種類の薬剤の服薬を同時に行うと能力が混ざる恐れがある。薬剤の種類を増やせば増やすほどその危険は大きくなり、代謝時の臓器の負担も高まる。

ですよね、あ!! 能力は薬物代謝と共に次第に効果を失う。か!!」

「そう、逆に、薬物代謝が終わらなければ能力は解除されない。お前は投与薬剤の徐放性により、常時能力が発現している極めて例外に近い存在だ。だが投与をやめると徐々に能力は消えていくだろう。もちろん後遺症がなければだがな。何のために定期的な薬剤投与を麻薙から受けているんだ。原則くらい勉強しとけ」


 白いボトルから出した薬を内服しながら適当に言い放つ彼。


 ぐ、ぐぬぬ。私はもう何も言い返せなかった。


 宮台さんの背中を睨みつけていると後ろからコツコツと足音が聞こえる。麻薙さんだ。振り返ると、ふっと微笑んで私たちに声をかけた。


「驚きね。通常、向精神薬というやつは、脳内の神経伝達物質の自己取り込みを抑えて脳内の量を増やして精神をコントロールするものだけど、極端に服用を増やして同時に躁臓の刺激をすることで、現実世界にも干渉できるようになるとは……サイコキネシス(PK)というよりテレキネシス(TK)って感じかしらね。でも便宜上はPKとか念動力とか言った方がわかりやすいか……」

「解説どうも」


 またも呼び名に凝りだす麻薙さんに、宮台さんはつまらなそうに返す。


「ありがとう、助かったわ。でも、もしかしたらデータはどこかに送信されているかもしれない。調査してみるわね」

「え、私の身体データどっかに送信されちゃったかもしれないんですか!?」


 思わず叫んだが私はまたも蚊帳の外。


「おい、お前、わざと研究室の情報を流しただろ。俺の能力を見るためか? それとも何かが起きるのを期待しているのか?」

「何のことか全然わからないわ」

「まあいい。今日は帰る」

「都、送ってってあげて」

「え、わかりました……」

「新君、都が髪を乾かすまで待っててくれるかしら。これは業務命令」

「……わかったよ」


 私の能力を圧倒する宮台さんの力。私は見てるだけだった。そして2人は2人だけで会話をし、私に重要なことを教えてくれない。麻薙さんは私じゃ足りないから、彼を呼んだ。確定だ。それに宮台さんはさっき、麻薙さんが私の情報をわざと流したと言っていた。


 一体麻薙さんは。そして私は―—。

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