第9話 昔を思い出すと吐きそうになる
4/13 9:30 宮台新 麻薙研究室
ガチャっ。
目の前の扉を開けると、麻薙がドラフト内で煙草を吸っている。こちらに視線を一瞬向けた後、彼女は煙を吐き出す作業に戻った。煙が研究室内に入らないようわざわざドラフト内に息を吐いている。
「来たぞ」
「うん、ありがとう。助かるわ」
「気のない返事だな」
「都は?」
「授業だと。俺を迎えにきたせいで遅刻しそうだと俺を非難していた」
「そういえば講義だったわね。コーヒーでも入れようか?」
「ああ。頼む」
大学教員なのだから生徒の講義予定くらい把握していてもいいものだが。ぼんやりと考えながらしばらくすると機材や薬品、書籍ばかりで生活感のない研究室に香ばしい匂いが満ちていった。
「機材集めのために色々と見て回ったんだが、千葉も大分様変わりしたな」
「ええ。そりゃそうよ。あなたのせいではないけど、新君が日本を出てから大変だったんだから」
「そこここに没落や貧困の影が見える」
「医療特区の崩壊。国力の低下と世界情勢の変化。あら、旧幕張医療特区の崩壊にはあなたが関わっていたんだっけ。一度文句を言おうと思ってたのよね、あそこに私の研究室もあった」
「忘れた」
「全く。魔薬の存在は秘匿されているけど、この前の津田沼のように異常な事件はたくさん起きている。だからご存じの通りインターネットではまことしやかに囁かれているわ。新人類のカギがどこかにあると。そしてそれを掴んだものが少なからずいると。実際にダークウェブでは取引もあるようね。だから、世間に知れ渡るのも遠くはないはずよ」
「ポッと出の能力者なら問題ありません。こちらには経験がありますから」
休み時間になったのだろう、西永都が部屋に戻ってきた。
「お前な。いくら雑魚でも数が多いとかなり厄介だし、国全体でバトルロイヤル状態にでもなってみろ。生き残りの確率なんて運に過ぎなくなる。俺でさえな」
能力者とは言っても服薬は必須、となると流通が壊れた時点で後は全て運任せになるだろう。
「魔薬の服用による能力発現には、多くの制約が伴っている。何でもできる魔法じゃないから、勝敗は常に揺蕩(たゆた)っているわ」
「―—っ。白衣に着替えてきます」
俺たちに否定されて不満そうな顔をした後、彼女は実験用白衣に着替えるため研究室の奥へ行った。あの態度。自分に自信があり、能力にプライドを持ってるんだろう。早々に打ち砕かれなきゃいいけど。
「若さかねえ」
「あなた、手続き上は留年と休学のまま、うちの大学に転籍になってるわけだけど……本当にそういう人っぽい態度ね」
医療系大学には、いるのだ。すべての学年で留年を重ね、すべての学年の生徒から認知され、歴史の観測者のように、はたまた長老のようになるものが。大抵休み時間になると喫煙所に居てすべての学年の生徒から敬語で話しかけられ、教授と親しく話す、そういう人。俺がそれになってしまったというのはショッキングであった。
「何も言えねえ」
「ふふ」
しばらく無言で黒色の液体を啜ることに集中する。時間の経過は温度に反映されている。温い。
「こうしてみると昔のようね。白先生が新君の家に新君を起こしに行って。あれ? 最後の方は先生の家に入り浸って一緒に来てたんだっけ」
さっき夢で見たばかりの顔を思い出す。「宮台くん」から「新くん」、最後には「新」と俺のことを呼んでいた自分の恋人の姿を。助けられなかった女性を。
口の中でコーヒーとはまた違った苦くて酸っぱい味が広がってくる。
ちっ。
舌打ちで映像を振り払った。
「安い再現するために俺を日本に呼んだのか? 舐めたことしてると殺すぞ。いくらお前に恩があるといってもな」
高めの身長のくせにさらに大きな白衣を羽織る、麻薙のふざけた格好は白の真似事だろう。あいつも背が低いくせになぜかオーバーサイズの白衣を着ていた。あの夢の後でのこの会話は、キャストが全員違うリメイクドラマのようで俺を苛立たせる。一刻も早くこの茶番から抜け出したい。
「そんなつもりないわ」
「そうかい。まあいい。平和そのものだ。いる必要ないだろ、俺は屋上で過ごすわ」
「あはは、新君そういうこと言うのやめてよ。それフラグって言うの……」
ガチャッ。
麻薙の言葉を全て聞く前に俺は部屋を出たのだった。
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