遥かなる血の呼び声

 職員室の応接間前にて、俺は目を閉じて深呼吸していた。

 心を整えるため……即ち、知らない人と話す気構えを作るためだ。


 最初に『あっ』ってつけない。

 変なところでどもらない。

 ハキハキと喋る。


 これを忘れるな――これを忘れた瞬間、俺はただのキモい陰キャになる。

 顔と声とスタイルと強さでごまかせると思っていた時期もあるが、現実は非情だ。生徒三人を見ていれば分かる。大してごまかせないのだ。


「……すみません、お待たせしました」


 仕切り越しに声をかけながら中へと入る。

 ソファーには、先ほどやって来た女性客、つまりエリアルの実父に仕えているという使用人さんが座っていた。


「ひとまずこちらで話をお伺いさせていただければと思いまして……お飲み物は要りますか?」

「いえ、お気遣いなく。それとハルートさんもどうぞ座られてください」

「あっ、あ、あはい。だいじょ……大丈夫です。あっ大丈夫じゃなくて、ありがとうございます」


 音速で全滅してキモい陰キャになった。

 自分でもびっくりした。やらないようにと気を付けたこと、全部やらなかった?


 仕切りの向こう側から複数のため息が聞こえる。心配して様子を見に来たエリンたちが、俺の見事な撃沈に頭を抱えているらしい。

 う、うるせえな! 何喋るかは頭の中に全部できてたの! 予定になかったこと言われてちょっとテンパっちゃっただけなの!


「え、えーと……今回はその、エリアルについての話でしたよね?」

「はい。エリアル様に関してです」


 使用人さんが表情を正す。

 俺は彼女の対面に腰かけてから、一つ息を吐いた。


「まず……申し訳ないんですが、俺はエリアルの家庭事情に関して特に知らないんです。彼女自身が語りたがらなかったので」

「恐らく、そうだろうとは思っておりました。エリアル様の心中はお察しします……」

「把握している限りでは、エリアルはその……魔族の血が流れていることを理由として迫害されていたと」

「それは……事実です」


 俺が知っているのは正直これぐらいだ。

 なにせ前世でやったゲームでさえ、ハルートのパーティに所属している女騎士に関する情報は全然なかった。

 HPゲージを一本割ると魔族の力を使うようになる強敵だったので、混血なんじゃないかという考察はあったが……


「はっきりと聞いておきたいんですが、エリアルの父親はあなたの主人だとして、母親は魔族なんですよね?」

「そうです」


 使用人さんがきっぱりと断言した。


「その辺りについては、ご主人様から事情を聞いております。道ならぬ恋で、最後はお相手とも離別してしまったと」

「だけどエリアルだけは残った……」

「そうなります」


 なるほど、母親の魔族はもういないわけか。

 まあ理由は察するに余りある。


「……ご主人様の親族の皆さんは、エリアル様を一刻も早く殺害すべきだと訴えました。ご主人様は、その時はまだ当主ではなく、彼らの声をすべて跳ね除けるだけの力を持ちませんでした」

「だから家から離れた場所で暮らさせていたと?」

「はい、その通りです。しかしご主人様は数年前、当家の実権を完全に掌握しました。敵対勢力の排除を終え……エリアル様と再会しても誰も文句を言わない環境を作ったのです」


 なるほど筋は通っている。

 流れを整理すると……


『エリアルの父親は魔族との間に子供を作った』

『しかしそのことを家の人間たちは快く思わなかった』

『だから父親はエリアルを遠ざけた』

『エリアルは一人で暮らさざるを得なかった』

『父親は一度遠ざけたエリアルとずっと会いたいと思っていた』

『父親は時間をかけて家の実権を掌握することに成功した』

『誰からも文句を言われなくなったので、父親はエリアルと会えるようになった』


 ……みたいな感じになるのか?

 だとしたら聞くべきことはおのずと絞られる。


「……あいつは自分の親について、語りたがらなかったんです」

「それは……仕打ちを考えれば当然だと思います」

「だからこそ、エリアルの視点に立てば『何故今になって』と思いますよね。それに対しては、何か答えがあるんですか?」

「ありません。ご主人様が実権を掌握するまでの間、エリアル様にはひどい仕打ちをすることになってしまいました。ですがそれは……決して、ご主人様の望むことではありませんでした。彼女を守るための処置だったのです」


 まあ、そういうことになるだろうな。


「ご主人様はがエリアル様を忘れたことなどありません。魔族とはいえ愛した女性との間に生まれた子供です」

「だけどあいつを遠ざけて、いなかったことにした」


 言葉は即座に、意図しないほど迅速に転がり出てしまった。

 使用人さんが微かに息をのむ音が聞こえた。

 自分の声に怒りがにじんでいることに、声を発してから気づいた。


「……仰る通りです。エリアル様からすれば、身勝手にも程がありますよね」

「だけど反対に、あなたからすれば、あいつの父親がそうしたのは仕方なかったって、そう言いたいんでしょう」


 仕方ない――事実や現実はこうだから、お前の感情の優先度は低いぞと。

 言ってることは分かる。社会はそういうものだと大人の顔をして諭したくなる気持ちも分かる。

 だけど、それだけではいけないはずだ。


「エリアルの気持ちは……優先度が低いから受け入れられなかったわけだ。それは、今は状況が変わったから大丈夫なんて一言で片づけられるんですか?」

「本当に、仰る通りです。ですが私は、ご主人様が自分の娘と会えず悲しんでいる姿を毎日見ています」

「…………」


 少し言葉をつぐんだ。

 相手の悲し気な雰囲気にのまれたわけではなく――単純に考えなくてはならないことが増えた。

 エリアルの父親が本気で娘と会いたい、という筋が成立してしまった。可能性の段階ではあるんだけど、もしそうだとしたら俺ができることは……限られてくる。


「会えるかどうかはあいつが……エリアルが、どう思っているのか次第です」

「それは重々承知しております。エリアル様が望まないのであれば、私も引き合わせることはできません」


 ですが、と使用人さんはそこで言葉を切った。


「ハルート様ならば、あなたが望めば……面会の機会を作ることはできるのではないかと、そう思ってお尋ねしたのです」

「だったらこちらから言えるのは、そこまでの強制力は持っていないという残念なお知らせだけです。絶対的な命令権を有しているわけではありませんよ」


 使用人さんは俺の言葉に対して静かに頷いた。

 その返答は想定していた、と言わんばかりの表情だった。

 そして俺の答えは、決まっていた。


「あなたに協力するかどうか、まだ決めかねます」

「……はい」


 明確に数秒間、使用人さんの表情が曇った。

 俺は咳払いを一度挟んでから、改めて彼女と視線を重ねる。


「ですが……俺個人としてエリアルに会って、彼女にお父さんのご意向を伝えることは、できるかもしれません」



 ◇



 深々と頭を下げて使用人の女性が帰ったあと。

 俺は職員室の自席で、深々と息を吐いていた。


「あ~つっかれた」

「お疲れ様、センセ」


 ずっと様子をうかがっていたエリンたちが、俺にねぎらいの言葉をかけてくれる。

 直接顔を出していたわけではないが、仕切りの向こう側に常に気配はあった。


「随分と怪しい内容だったわね。娘さん本人からすれば身勝手なタイミングでしかないわ」

「そうだよね! 今になって急に会いたいなんて……障害がなくなったからとか言ってたけど、ふつーに怪しいし!」


 シャロンとエリンの反応は実に冷ややか……というか、エリアルの実家に嫌悪を隠さないものだった。

 そりゃそうか。二人は自分の家に関して色々とあった人だ。


「んー、でもああいう言い分があるのも自然だよね♡」


 唯一向こうに寄り添った意見を出しているのが、意外にもクユミだった。

 こいつが最も家関連でゴタゴタしてそうなイメージがあったんだが。


「自然っていうと、嘘ついて呼び戻したがってるわけじゃないってことか?」

「うん、嘘はついてなかったよ♡ 洗脳されてる人の身体の動きもないし♡」

「そうか……いや、そこまで分かんの? 怖……」


 忘れそうになるけど、クユミが味方である限りは相手の発言の真偽を見破ってもらえるんだよな。なんだこれ強すぎるだろ。禁止カードかよ。

 やっぱり時代はデイガクユミバードなんだよなあ。


「クユミちゃんがそう言うなら……」

「まあ、向こうにはそれなりの事情があり、当主はその問題を時間をかけてクリアしたと仮定しましょう」


 クラスメイトの能力に全幅の信頼を置く二人は、しぶしぶといった様子ではあったが頷いた。

 それから三人がこちらを見る。

 視線は『どうするのか』と問いかけてきていた。


「ああ、エリアルを実際に探そうとは思う。会うか会わないかはあいつ次第だけどな」

「話を握りつぶしたりはしないんだ♡ バレないと思うけど♡」

「そんなことをする権利は俺にはないよ。それに……」


 俺は机の上に置いた拳を見た。

 エリアルと――女騎士と共に戦っている間、俺はずっと孤独じゃなかった。

 隣で戦ってくれた、その一点だけですら、あいつには相当な借りがある。

 だから素直に、幸せになってほしい。


「一番いい結果は……俺があいつとお父さんが再会するきっかけを作れて……それで、本当に二人が仲直りできることだと思う」


 最善の結果は明白に存在する。

 不幸なすれ違いによって仲たがいしてしまった親子がいて、俺なんかの協力でそれが解決できるのなら、やらないわけがない。

 もしも実態が俺たちの理解と異なっているのなら、それが判明した瞬間に軌道修正すればいい。

 今恐れるべきは、俺の誤った判断によって、最善の結果への道筋が断たれてしまうことだ。


「正直、向こうの家……エリアルの親父さんの気持ちとか、家の都合とか、そういうのはどうでもいい。俺はエリアルに、善く幸せに生きてほしい。それは他人が示した基準じゃなくて、あいつ自身の意思で決めるべきことだ。俺の仕事はあいつの幸福を守ることであって、あいつの人生を勝手に決めることじゃない」


 だってまあ、いざ話をしてみたらエリアルもずっと家が恋しくて、渡りに船の可能性だってあるしな。

 そう考えつつの発言だったのだが。


「……ほんと、センセはさあ」

「これだから……」

「バ~~ッカだよねぇ~~……♡」


 見れば三人とも手で顔を覆っていた。

 フランク・オーシャンのジャケ写みたいになっていた。


「え、何? どしたの?」

「言ってることはご立派だけれど、他人の人生を勝手に決めたりしないという言葉には余りにも多くの、そして深刻な反論があるわ」

「なんで!?」


 シャロンの言葉にはなぜか強い実感が込められていた。

 あんまりな物言いに表情を歪ませる俺だったが、クユミが肩にぽんと手を置いてくる。傾向からして間違いなく慰めではない。


「ま、せんせいには一生分からないかもね~♡」

「ぐっ……学びなおしや挽回の機会すら与えられないのか!?」

「うん♡」


 無慈悲すぎる宣告だった。

 じゃあ俺、今後の人生ずっと詰んでるんじゃねーか。


「と……ともかくだ。ひとまず、エリアルがどこにいるのかを探さないといけなくなった。放課後の自主練はしばらく俺抜きでやってくれ」


 はーい、と三人が気のない返事をする。

 なんとなく察しがつくようになってきたけど、これ多分ついてくるやつだな。

 まあいいけどさあ。


「あ、センセちょっといい?」


 しかしそこで、エリンが悩ましげな表情で挙手する。


「どうした?」

「やる気になったのは別にいいけどさ。センセは、エリアルさんがどこにいるのか分かんないんでしょ?」


 実にまっとうな指摘である。

 エリンの懸念は事実そのものであり、俺は彼女が今どこで何をしているのかなど一切知らない。


「居場所は知らないけど、推測して探し出すことはできる」


 俺はそこで、職員室の片隅に山積みになっている新聞を見やった。


「……? ニュースになるようなら、センセに聞きに来るわけないと思うんだけど」

「そりゃそうだ。だけど俺はあいつの居場所を大まかに計算できる」


 一応だが、大きな戦いがあれば、それはニュースになる。

 俺が教師になる前と比べれば平均的な規模は小さくなり、散発的になったとはいえ……人間と魔族の争いは、小競り合いというレベルに落ちながらも継続している。

 だから――足跡が残るんだ。


「あいつのいる場所には殺戮が起きる。だから魔族が大量に死んだ痕跡を辿っていけば、おおまかな居場所は絞り込めるはずだ」


 俺の言葉に、三人娘は言葉を失いドン引きした。

 バイオレンス版のヘンゼルとグレーテルである。この世界にグリム童話とかないけどな。



 ◇



 そうしてエリアルの捜索を始めて早くも一か月ぐらい経過した後。


『続いては青コーナーの紹介だァァ~~ッ!!』


 観客の熱狂が渦を巻き、物理的な衝撃となって地下の会場を大きく揺らす。


『特に理由はないッ! 救世主が強いのは当たり前! 政府には内緒だ!!』


 雄たけびと共に、客席にひしめく乱暴者たちが手を叩き地面を踏み鳴らす。

 彼らの視線は、密造酒と血の染み込んだ闘技場に佇む俺へと集まっていた。



『勇者の末裔! ハルートが来てくれた――!!』



 ……改めて事態を確認する。

 エリアルを探して一か月。手がかりをもとに彼女の居場所を大まかに掴んだ後。



 なぜか俺は地下の非合法バトルトーナメントで、スター選手として大活躍していた。






◇◇◇



8月25日に書籍版第2巻が出ています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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