試練試練試練試練

 サークル参加者たちの入場・設営が完了して少し。

 無事に壁サークルを割り当てられていた俺たちも、設営を終えて購入開始を今か今かと待っている。


「なあ、俺もうアイアスとっちめに行っちゃだめ?」

「だめだよセンセ、並んでる列が見えないの?」


 礼儀というか倫理として、開場してからしばらくはサークルにいろと三人から厳命されている。

 サイン本が捌けるまではいろとのことだ。それはそうか。


「うん、でもさ、こうしている間にもアイアスは逃げちゃうかもしれないし。目的はそっちだし」

「え? 何言ってるの先生、在庫を捌き切るために来たんでしょ」


 曇りなき眼で完全にオミケに憑りつかれたことを言い放つシャロン。

 どうやら当初の目的を覚えているのは俺だけらしい。


「まあまあせんせい、向こうだって仁義を通してくれるはずだよ♡」

「アイアスが仁義を通す……? ハハハハハハハッ! マジでめちゃくちゃ面白いなそのジョーク」

「せんせいの大笑いをこんな形で見たくなかったかな~……」


 今年一ぐらいの冗談を受けて、流石に爆笑してしまった。

 最も連想できない二単語決定戦で優勝は固い。


 とはいえ、真面目にどうするべきか。

 アイアスのやつだ、俺の性格をかなり完璧に読み切っているはず。

 なら、こっちがしばらく動かないのをいいことに、逃げもせずふらふら遊んでいる可能性は高い。


 あいつはそういうことを平気でする。

 百人いれば九十人は選ぶであろう安全な道があったとしても、あの男は絶対に選ばない。

 なんていうか……生き方が逆張りなんだよな。でもそれは大衆が嫌いだからじゃない、むしろあいつは大衆の愚かさを愛している節すらある。


 考えてみれば、アイアス・ヴァンガードという男について、正確に語ることは極めて難しい。感覚的には理解しているものの、言語化できない。

 意図的に掴ませないようにしているんだろうけど……


『それでは皆様、開場を開始いたします』


 考えに耽っている俺を呼び戻すかのように、一般参加者入場開始を告げるアナウンスが響いた。

 顔を上げれば、既にできていた行列に並んで今か今かと待っていた人たちがこちらを見ている。


「センセ、ちゃんと外面用意できてる?」

「生徒にそれを言われるの、本当に悲しいよ」


 素の俺を出すと駄目なの、普通に嫌すぎるでしょ。




 ◇




 サインを書く。握手する。一言喋る。


「あ、あの、ハルートさんに憧れて冒険者になりまして、本当に今日会えて感激です」

「そうなんですか? ありがとうございます」


 サインを書く。握手する。一言喋る。

 サインを書く。握手する。一言喋る。


「あの、これ子供に読ませようと思って、買いに来ました……」

「本当ですか!? それは嬉しいですね、きっとあと十年ぐらいは役立つと思いますよ、そうなってるといいんですけども、あはは」


 サインを書く。握手する。一言喋る。

 サインを書く。握手する。一言喋る。

 サインを書く。握手する。一言喋る。


「その、これ、受け取ってくれませんか……?」

「……センセ」

「いやエリン大丈夫! ありがとう、受け取るよ。帰ってから確認してもいいかな?」

「は、はい……!」

「ありがとう、良かったら次からは、受付があるから直接じゃなくてそっちで渡してね……エリンこれそっちに、ああ大丈夫呪詛とかは感じないから……」


 終わらん。

 いや本当に終わらん。


 俺は、まあはっきり言えば疲弊しつつあった。

 戦ってる最中なら疲れなんて忘れることが出来るんだけどな。


「センセ、ちょっと水飲む?」

「飲む……」

「すみませんハルートさん少し休憩入ります~!」


 俺に水筒を差し出しながら、エリンが列に並ぶ人々へ声をかけてくれた。

 本当に助かる、喉と腕が今にも割れそうだ。

 ちょうどいい温度の水をこくこくと飲み干す。恵みの水とはこのことだろう。


「お疲れ様、先生。体調は大丈夫?」

「まあ、ほどほどだよ。予想よりはしんどいかな」


 売り子さんに在庫を補充する担当をしてくれているシャロンが、こそっとこちらに近づいてくる。

 俺のマネージャーみたいに客の引きはがしをやっているエリンといい、この子たちの適応力の高さは何なんだろう。


「大変だね……でもみんな、欲しくて買ってるみたいで良かった。もしかしたら、他の国の人がこそっと来てるのかもしれないけど」

「いや、見た感じ専門的に戦い方を習った人は少ないかな」

「え?」


 相当うまく擬態しているという可能性も捨てきれないが、今のところ強い人はあんまり来ていない。これは俺基準とかではなく、軍人レベルに達しているかどうかという意味だ。

 本のコンセプト上、もっといるかもと思っていたが……


「少しはいるんだけど、敵意とかは感じなかった。むしろ尊敬してくれてるなって感じだな」

「ふーん? でも、他の国からも来るって思ってたけど」

「そこなんだよなあ」


 変な感じがすると思っていたけど、多分、想定より楽勝すぎるからなんだろう。


「まあ、しばらくは何もないんじゃないかな♡あれだけの規模の転移魔法を二回も発動したんだから、運営側の魔法使いさんたちも疲れ切ってるでしょ♡」

「……魔法使いたち、か」


 そう呟いている間にも客たちは並んでいく。

 休憩は終わりだとエリンに視線で伝えて、俺は待たせてしまったお客さんに向き直った。


「む」

「あ」


 俺はその人を見た瞬間に固まった。

 サングラスにマスクをした赤髪の女性だった。

 俺たちの同人誌を片手に持ってサイン席まで来てくれている。


「何してんのお前……」

「サインをもらいに来たのだが?」

「直接言えよ!」


 誰がどう見てもカデンタ・オールハイム以外の誰でもない。

 バレてしまっては仕方ないと彼女は変装を解く、いやそれ変装なのか?


「ったく、客として来たからにはルールは守れよな。一人一冊だぞ」

「分かっている。部下たちを紛れ込ませていたから問題ない」

「堂々と言うなそんなこと……って、ああなるほど。さっき来てた戦える人たちはそれか」


 差し出された同人誌の奥付にさらさらとサインを書いていく。

 同じ作業を繰り返しまくっているからか、手が自動で動き始めていた。


「我ら以外にそういった連中が見当たらないのだが、心当たりはないか? もしくは、まさかそちらで排除しているのか?」

「そんなことしてる暇ないよ……あ」


 もしかしてアイアスのやつ、それが狙いで大規模な転移を数回挟んでいたのか?

 根本的な話として、数万人単位の同時転移というのは常軌を逸した規模の魔法だ。

 クユミですら、発動は複数名の魔法使いが力を合わせてやったのだと疑っていない。


 だがその常識を覆してこそのアイアス・ヴァンガード、我が親友。

 やつならやれる。


 そもそも──既存の転移魔法に改良を加えて独自の魔法へと昇華させたのが、あいつが不真面目な態度ながらも留年せず学校を卒業できた理由として大きいのだ。

 卒論も確かそれに関しての発表だったし。


「なるほど……ヤツが要らん気を回したということか、いかにもといったところだな。まあいい、目的は果たした。我々は退散させてもらおう」

「大事にしてくれよな」

「無論だ」


 ぎゅっと本を抱きしめて、カデンタは珍しく柔らかく笑みを浮かべる。


「大事にするさ。同胞はらからからもらったものなんだから」

「……ッ」


 不覚にも可愛いと思ってしまった。

 こいつこういうところズルだな…………




 ◇




 それからしばらく、サインを続けて続けて続けて。


「限定サイン本&握手会用の在庫切れたよ~」

「オッケー、ありがとう」


 見れば俺の前に並ぶ列はすでに消えていた。

 売り子さんたちから本を受け取っているお客さんたちは口惜しそうにこちらを見ているが、我慢してほしい。

 数量限定にしないと俺の腕がねじ切れると三人から言われていたが、よく分かった。このままだと本当にねじ切れていた。


「さて、行くか」


 立ち上がって、ゆっくり肩を回す。

 椅子に座って粛々とサインを書き続けていた体をほぐしていく。

 既にオミケ会場の地図は頭の中に入れている。その辺の戦場よりはるかに複雑かつ難解ではあったものの、やれんことはない。


 装備も持った。

 いよいよ、懐かしき親友のツラを拝みに行こうじゃないか。


「センセ、あたしもついていっていい?」


 振り向くと、エリンが立ち上がってこちらを見ている。


「いいけど、シャロンとクユミは?」

「ちょっと今は手が離せないかな、ごめんねエリン」

「エリンちゃんよろしく♡ちゃんと見張っておいてね♡」

「俺が見張られる側なのか……」


 肩を落としながらも、人々でごった返すオミケの会場を進んでいく。

 すぐ後ろにエリンがついてきているのを確認しつつ、別の棟へと移動。


「うわっ」

「え……?」


 俺の口からはドン引きの、エリンの口からは困惑の声がこぼれた。

 そこは阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 本を買いに来たであろう一般客たちが床にブチ転がされ、あちこちで魔力の火花が散り、魔法発動と炸裂のスパークを繰り返している。


「何……え? 何が起きてるの?」

「踏み込む前に様子を見た方がいいな」


 目を凝らすと、人々は特定のブースへと向かっているように見えた。

 ちらりと確認するが、ブースには顔をひきつらせた売り子さんたちがいるだけで本人がいない。

 記憶が確かなら、アイアスが俺の暴露本を売っている場所のはず。


 人々がブースへと進んだとたん、床に仕掛けられた転移魔法がランダムに居場所を飛ばしている。空中から落とされる人、勢いのまま壁に激突する人、他の参加者と衝突してひっくり返る人。


 冷静にゆっくり動けば対応できない代物じゃない。

 だがそれを許していないのが、ブースの前方に絶えず掃射されている魔力弾丸だ。

 マシンガンというよりはガトリングガンに近い威力と連射スピードで放たれるそれへの対応で動き回らざるをえず、ランダム転移の餌食となっているのだろう。


「ランダムワープに自動迎撃魔力掃射って、戦場かよ……」

「ど、どうするのセンセ」

「俺から離れないように」


 ぎゅっとエリンに服の裾を掴ませて、俺はゆっくりとブースに向かって歩き始める。

 周囲の人々も俺の姿を認め、慌てて動きを止めて静観する。

 足元で発動する転移魔法、先ほど通りに踏み砕いて進む。


「俺にこれは通じない、それぐらい分かってるだろ」


 告げると同時、掃射されていた魔力弾がその狙いを俺へと集約した。

 詠唱をカットして『救世装置(偽)』を発動、即座に試作装備5号とリンク。

 放たれる魔力弾が視界を埋める、同時に俺は剣を振るった。


「フン」


 試作装備5号から展開した鞭を振り回して、魔力の弾丸を弾き飛ばす。

 襲い掛かってきた光の雨を、光の嵐が食い破っているような光景。

 ま、こんなもんだろ。設置型の威力なんてたかが知れている。


 足元の罠と前方からの攻撃をすべて粉砕しながら、エリンを連れてゆっくりと歩く。

 周囲の人々が目を見開きこちらの攻防を凝視した。


『な……なんだよどういう密度で攻撃してて、どういう密度で防いでるんだアレ!?』

『片手間に防げるほどヌルい攻撃じゃなかったはず……!』

『これ災害?』

『多分そう』


 あいつのことだ、俺が来たことを察知しているだろう。

 逃げたか、あるいはどこかで見ているはず。

 性格を考えると……


「はははははははっ! 愉快な光景になってるじゃないか!」


 哄笑が響くと同時に、魔力掃射が止んだ。

 声のした方へと顔を向けると、外へ出ることのできるシャッター口から、見知った影がゆっくりとこちらにやって来ていた。


 見る者を魅了する美貌は変わらず。

 不敵な笑みを湛えながら、両手を広げてこちらを睥睨する偉そうな男。

 まさしく、彼こそが。、




「久しいじゃァないか我が親友! 君とまた会える日をどれほど心待ちにしていたことか! まるで小さなパン屋の看板娘が客へ密かに恋心を育てているかのように、僕は君に焦がれていたよハルート! 忘れたとは言わせない、君の唯一にして無二の親友とはこの僕、アイアス・ヴァンガードのこと──ミ゜ッ」




 アイアスは長セリフの途中で、俺の剣からすっ飛んでいった光に呑み込まれジュッと音を立てた。


「あっやべ」


 シャッターを抜けていった光の柱が、他の建物へとぶつかる前に急カーブを描き空へと吸い上げられていく。

 軌道修正間に合ってよかった。


 しかし……長いしウザいし、自分のやってきたことを棚に上げすぎだし。

 思わずやってしまったな。


「センセ何やってんの!!」

「つい光が出ちゃった……」

「手が出ちゃったみたいに言わないでよ!?」


 てへ。



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