修練の果てに

 エリンは静かに息を吸って、目の前に現れた魔族を見つめた。

 外見はまさしく己のの故郷を焼き払い、家族を奪ったあの個体だ。


「……みんな、大丈夫? 戦えそう?」


 壁の向こう側にいるであろう級友二人に声をかける。

 しかし返事はない。


(ただの壁じゃない、空間ごと区切られちゃった感じかな……)


 声が届いている感触もない。

 この神殿が精霊によって支配されているのなら、見た目以上の分断が起きているのだろう。


(修練の一環として出てきたのは、やっぱり精神的な面での克己を期待してだよね)


 自覚はしていたものの、最も恐れているものを目の前に出されていい気分にはならない。

 仲間たちと共に打倒した仇敵であっても、心の底には嫌悪と恐怖がこびりついているのだ。


「……だったら、ここで、あたしだけの手で乗り越えなきゃね」


 チャキ、と鯉口を切る音。

 瞳に戦いの意思が宿ると同時、エリンは最高速に到達した。


『…………!』


 反応して振り向いた魔族が、大きく身をのけぞらせる。

 置き去りにされた髪が一房断ち切られ、宙に散らばった。


「あたしが怖いのはあなたじゃない、あなた相手に何もできなかったあたしだッ!」


 啖呵を切って、エリンが鋭い視線のまま手首を返して第二の太刀を放つ。

 握った大太刀の刀身が閃いた。


「横一閃ッ!」


 空間そのものを断ち切る斬撃を、魔族がギリギリで避ける。

 最も恐れる存在が脅威として立ち塞がるという試練の特性上、既に一度打倒したエリンからすれば対応しやすい敵。

 回避された先、読んでいた移動先にはもうエリンの刃が迫っている。


「縦一閃ッ!」


 天から地へと降り注ぐような、荘厳な斬撃の線。

 それが魔族の頭頂部へと吸い込まれ、その寸前にクロスした両腕に防がれる。


「縦一閃、縦一閃、縦一閃縦一閃縦一閃ッ!」


 だがエリンは止まらない。

 威力が跳ね上がっていく。

 シャロンが感じていたという成長の実感を、この刹那にエリンもまた享受する。


(今のが、あたしの今までの限界だったってワケね! そしてここからがッ……!!)


 重なるような速度で放たれ続ける斬撃が、相手の防御を上から無理やり砕く。

 血飛沫の代わりに神秘の残滓が飛び散る中で、刃を押し込んでいく。


 直線斬撃の連発であるにもかかわらず、チェーンソーの回転に巻き込まれたようにして攻撃が終わらない。

 エリンはソードエックス家の秘奥にほぼ独力でたどり着いた剣の天才だ。

 彼女の速度帯に至れば、同じ攻撃をほとんど重なるようにして放つことなど造作もない。


「あたしはもう負けない、あなたみたいな存在が、また現れたのなら──」


 全身をバネのように使い、すべての動きを連動させる。

 両腕へと伝達された力が一切のロスなく太刀を動かす。

 その両眼に、決意の焔が吹き荒れた。


「何度でも、叩き斬ってみせるッ!」


 もしもハルートがこの戦いを観戦していれば。

 引きつった顔で『強技押し付けてそのまま勝ちやがった、塩試合オブザイヤーかよ……』と呟いていただろう。


 放たれた最後の一閃が、腕を断ちそのまま魔族の体を真っ二つに切り裂いた。




 ◇




「……一人でなんとかしろってことだよね」


 時はシャロンがエリンたちと引き離されたところまで戻る。

 他二名と違って一対一に向くとは言えない彼女は、つうと頬に冷や汗を垂らした。


(……試練で出てくる相手じゃないんだけど)


 目の前に立っているのは魔王の影。

 そう、ハルートが単独で延々殲滅していたせいで感覚がおかしくなりそうだが、本来は彼のような防波堤がいなければとっくの昔に人類を滅ぼしていたであろう存在だ。


(普通に考えると勝てない。明らかに無理がある)


 自分が望んだ試練ではあるものの、これはいくらなんでもやり過ぎだと嘆きそうになる。

 とはいえ、まったく勝ち目がないとヤケになっているわけではない。


(本当にあの強さだと試練として成立しない。さっきまでの難易度と比べてもおかしい……多分だけど、それなりに、私のレベルに合わせてきているはず)


 その根拠は威圧感にある。

 本物の魔王の影は、そこにいるだけで世界を侵食してくるような、『絶対的な天敵』としての存在感があった。

 しかし目の前の幻影にはそれがない。


「──フゥーッ」


 突撃槍が、鋼の擦れる音を響かせながらスライド。

 機構を展開して主からの伝令を待機する。

 砲口をあらわにする砲撃モードだが、用いるのは砲口ではなく過剰魔力を後方へと排出するノズル代わりの部分。


「あの時よりずっと鋭く、速く──ッ!!」


 炸裂する魔力光が闇を吹き飛ばす。

 刹那で最高速に至ったシャロンにとって、魔王の影が取ろうとする防御など関係ない。


 雷鳴が轟いたかのような大音量と共にシャロンが駆け抜ける。

 接触したのは微かに一部分、魔王の影は回避に成功したのだ。

 しかし、すんでのところで受け流したが故に、その体は左肩から先を抉り飛ばされていた。


「もう一回ッ!」


 まだ終わらない、空間そのものを仕切っている壁の寸前でシャロンが急ターン。

 内臓がひっくり返るようなGに耐えつつ、魔力噴射で体の向きを180度転換する。


 振り向いた魔王の影が眩い輝きを直視してとっさに腕を振るう。

 反射的な一撃ですら、本来ならば抗いようのない絶死の波濤。


「突っ切れ──!!」


 しかし、シャロンはその真っただ中へと自ら飛び込んだ。

 闇の粒子で構成された波動を、聖なる光を宿した突撃槍が片っ端から砕いて押し通る。


 出力差を冷静に見定めたわけではない。

 自分の突破口が、圧倒的出力による速攻にしかないと判断したからだ。


 拮抗する押し合いなど一瞬たりとも成立しないまま、光が闇を駆逐して疾走する。

 単なる眩さではなく、荘厳な神秘を宿す魔力へと変化していくシャロンの力。


 滅亡を願う呪いの集積体が抗うことは許されない。

 駆け抜けた末、穂先が触れた刹那に魔王の影は蒸発させられ──


「──びゃっ!?」


 そのままシャロンは壁に激突して、間抜けな声を上げるのだった。




 ◇




 他の二人が持ち味を生かして敵を撃破した時から──少し、時間がたったタイミング。


「ちょっと、強すぎ、なんだけど♡」


 クユミは肩で息をしながら、折れた得物を捨てて新たなダガーを手に取った。


「…………」


 無言のまま、幻影ハルートが聖剣を振るう。

 莫大な輝きが波濤となって押し寄せ、クユミがいた地点を地層ごと削り取った。


(……っ、詰められたら終わっちゃうなこれ)


 間合いを維持しているからこそ、自分はまだ生きている。

 近接戦闘には絶望しかない。


(とにかく防御に回らないようにしないと、だから攻め続けるしかないのに……ッ!)


 地面を蹴って跳躍し、クユミが仕掛ける。

 同級生には見せたことのない鋭さで、影を置き去りにして稀代の暗殺者が駆ける。


 曲芸じみた動きで跳び回りつつ放たれる彼女の攻撃。

 だが、幻影ハルートは視線すら向けずすべて叩き落とした。


「あーもう、城壁相手に戦ってるみたいな感覚なんだけどぉ~!?」


 悲鳴を上げながら、クユミはワイヤーアンカーを巻き取った。

 ダガーの斬撃を囮にして首を切り裂こうと伸ばしていたのだが、先端の重りごと断ち切られてしまっていた。


「……炸裂しろ、破神の光」


 ぼそりと幻影ハルートが呟く。

 総毛立った。クユミは生存本能に任せてその場から飛びのく。


 直後、欠けたプリズムが光を乱反射するようにして勇者の剣の光が無秩序に放射された。

 閉鎖空間を根こそぎ破壊していくそれを、跳びはね、かいくぐり、全身全霊でクユミが避けていく。


(ぐううううっ! ま、まともに戦うことすら許されないんだけど……!)


 間違いなく出力は本物に遠く及ばない。

 あくまで劣化した幻影として出現しているだけのはずだ。

 なのに、まったくもって対抗できるビジョンが見えない。


(記憶をもとに再現してるんだとしたら、ちょっと正確にせんせいの技巧を記憶し過ぎてたかも……!)


 もちろんこの空間そのものは、間違いなくクユミの味方だ。

 能力が跳ね上がっていくのを先ほどから実感している。

 蓄積されていく経験値は、ついにクユミの現状を底上げするに至っていた。


(──なのに足りないッ! クユミちゃん超強くなってるはずなのに、全然追いつけない!)


 理由は明白だった。

 クユミは敵の攻撃の間隙を縫って着地し、キッと顔を上げる。


(この人、幻影なのに、今この瞬間に強くなってる! どうなってるワケ!? もう本当にあり得ないんだけど~~ッ!!)


 明らかに幻影サイドの出力が少しずつ増している。

 彼は血に濡れた格好のまま、無感情にクユミを処理しつつ、周囲を見渡していた。


「……君を倒すために呼ばれたんだろう?」

「ッ!」


 間合いが刹那で死んだ。

 至近距離の一振り。クユミが魔力を凝固させ防ごうとした。


 だがその防御魔法が飴細工のように砕け散る。

 貫通した威力が彼女の体を貫く。


「かふっ……」


 喉奥からせり上がった血を止める力もない。

 地面に鮮血をぶちまけながら転がっていくクユミの体に、幻影ハルートが聖剣の切っ先を突き付ける。


(あっこれヤバっ)

「──君、は?」


 動きが止まった。

 冷酷にトドメを刺すはずだった勇者が、ピタリと制止した。


「なん、だ。俺は……いや、しかし……」

(……!! 今しかない、けどっ!)


 それは本能的な反撃だった。

 限界をとうに超えている体を無理に動かして、クユミが跳ね起きる。

 砕けたダガーを捨てながら、袖の下からより細い刺突武器を展開して突き込む。


(向こうの反射速度を考えると、良くて相討ち……!)


 研ぎ澄まされた感覚が、世界をスローモーションに捉えている。

 自分が放った刺突が、敬愛する先生と同じ顔をした怪物の喉へと迫る。

 だが今までの速度感を鑑みれば、迎撃されても仕方ない。仮に届いたとしても、返す刀が確実に自分を両断する。


(これが、今の、限界なの……!?)


 事実、相打ちになることを精霊たちも予想した。

 試練に敗れて死ぬのならそれまでだ、と精霊たちは手を出さない。


 クユミが生存する確率はゼロだった。

 憧れた頂との差を理解させられ敗死するのが、本来の宿命だった。


「そうか……そういうことか」


 だが、結果は予想と違った。

 クユミの攻撃は首へと届く寸前で、腕を掴まれ防がれていた。


 神秘の光が弾け飛んだ。

 幻影ハルートの体を構成していた、精霊が用いる神秘が血しぶき代わりに舞った。


「……くだらない要件で呼ばれたらしいな」


 勇者の末裔の体を、勇者の剣が貫いていた。

 自らの心臓を適切に砕き、幻影体である己が確実に機能を停止するように、幻影ハルート本人が剣を逆手に持ち替え突き込んだのだ。


「…………なん……で」


 へたりこむクユミが、勇者の末裔を見上げる。

 昏く輝く彼の碧眼には、先ほどまではなかった感情の色が宿っている。


「俺は戦えない人々の代わりに戦う存在だから、君相手に振るう刃を持たない」


 簡潔な返答をしながら、彼はギロリと宙を睨んだ。

 先ほどまでそこに浮かんでいた精霊たちは、泡を食って既に逃げ出した後だった。


「チッ……反省だな。俺の力を悪用するやつ相手には、こうして召喚された際には即時制限を撤廃して召喚者の殺害、あるいは自害が必要か」


 幻影であるという事実を受け入れながら、平然と幻影ハルートは言葉を紡ぐ。

 それから彼はしゃがみこみ、ぎこちない魔力動作でクユミに回復魔法をかけ始める。


「え……」

「察するに君は俺の関係者なんだろう。今、俺は生存しているか? 遥か未来だったりするのか?」

「う、ううん……せんせいは生きてるよ……」

「先生?」


 クユミの言葉に、幻影ハルートが眉根を寄せる。


「俺が教師に……? いや待て、クソ、知識に制限がかけられているのか、君の顔に見覚えがあるんだが……」

「あーっ! ぜ、全然思い出さなくていいようっ!」


 己の黒歴史を掘り返されるのではと勘違いして、クユミは必死に止めた。

 まさか前世のゲーム知識を必死に思い出そうとしているとは思うはずもない。


「……つまり、未来の俺の生徒を俺が殺しかけたと……いや君たち視点では俺が過去か。笑えない冗談だな」

「あ、あはは……確かに、そうかもね♡」


 既に体の痛みは治まりつつあった。

 それよりクユミはずっと鋭い視線のままのハルートの顔が近くて気が気ではなかった。


「未来の俺が送り込んだということは生存できる確証はあったはずだが、失態だな。未来の俺を殺してやりたいが……いや、君が未来の俺に開示していない情報があるのなら、見込みがズレてもおかしくないか」

「うっ」


 間違いなく、それが原因だとクユミも分かっている。

 最も恐れる存在が現れると言われた際にもしかして……と思い、そして伏せることで、ハルートと戦えるのではないかと期待してしまったのは事実だ。


 しかし蓋を開けてみれば、完全に力量差を見誤り、殺されかけた。

 幻影ハルートが精霊の支配を突破していなければ、今ごろは壁のシミになっているか跡形もなく蒸発させられているのかの二択だろう。


「次からはきちんと、伝えてほしいと言われたことは伝えなさい」

「は、はーい……」


 極度の緊張から解放され、疲労もあいまってクユミは真面目に返事した。

 彼女の目の前で、核を自ら砕いた幻影ハルートは徐々に霧散しつつある。

 そもそも核を砕いた時点で消えていないとおかしいのだが、意志力のみでとどまっていたらしい。


「……ねえ、今のセリフ、すごく先生っぽくなかった?」

「ん? いや、どれだ?」


 真剣な表情のまま首を傾げる幻影ハルートに、思わずクユミは笑った。


「せんせい、やっぱりせんせいに向いてるよ」

「……どうだろうな」


 そこで初めて、幻影ハルートは表情を崩した。

 少し悲しそうな微笑みだった。




 ◇




 神殿の外でキャンプを開始して──三日。

 前回もこれぐらいかかっていたなあと思っていると、エリンとシャロンが出てきた。


 かなり理想的なペースで試練を踏破したらしい。

 最後の敵を倒した後は精霊に案内されて外まで出てきたし、変な加護も押し付けられなかったとか。


「あとはクユミなんだけど、遅いね」


 沈んでいく日を見守った後、シャロンがか細い声でつぶやく。

 二人が出てきたのが三日目で、今はもう五日目だ。


 俺たちは焚火を囲み、折り畳み式の椅子に座って粛々と待機している。

 外と中で時間の流れ方が違うので、クリアに時間差が発生するとこういう現象が起きるのだ。


「そうだね。あたしたちと違って、クユミの恐れるものって本気で強そうではあるんだけど」

「まあ、信じてやるしかないからな……」


 事前に訪ねた際は実家の両親と言っていた。

 すげえ闇深い回答が来たな……と思いはしたが、修行の神殿用にデチューンされているのなら問題ないだろうと判断している。


 実際にシャロンは魔王の影をぶっ飛ばしたわけだしな。

 元の値がめちゃくちゃバグってるワケ分からん存在とかでもない限り、クユミなら瞬殺できるだろう。


「……あ! 出てきたよ!」


 その時、エリンが勢いよく立ち上がった。

 見れば神殿の出入り口から、小さな人影がこちらに歩いていく。


「クユミ、無事に乗り越え……お前なんかすげえボロボロになってない!?」


 なんか服装ボロボロで肩とか出てるしあちこちに血痕のあるクユミが出てきた。

 慌てて上着を着せた後に回復魔法を……あれ内部損傷はないのかこれ?


「何があった? 自分で治したのか?」


 ここまでの傷を負うことがあるのは想定していなかった。

 ゲームシステム上もだし、神殿の在り方としても、デチューンされた存在である以上はここまでやられるはずがない。


「ん~……」


 驚愕にたじろぐ俺をじっと見つめた後。

 クユミはぎゅっと上着を抱きしめるようにして、にかっと笑った。


「せんせいにヤられたんだから、セキニン取ってほしいな~♡」

「えっちょっ何本当に何」


 エリンとシャロンがものすごい顔でこっちを見てきた。

 いやいやいやいやいやいやいや!

 ずっと一緒にいたんだから無理だってわかるだろ!?

 なあ!?



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