証明の一閃
ソードエックス家の訓練場へとたどり着くよりも前。
俺はエリンを連れて、目的地へと向かう街道を歩いていた。
「王都とはまた違う賑やかさだね」
「ああ……そうだな」
楽しそうに周囲を見渡すエリンの姿に、俺は言葉を慎重に選ぶ。
この辺りはソードエックス家が支配する領域だ。
先ほどから視線を感じるのは、俺たちが逃げ出すことなくきちんとやって来るよう監視しているソードエックスの人間だろう。
拾われた子供たちの中には、事実上の領土となっているこの一帯の治世に携わる人間もいるという。
だがエリンは、この街を支配しているのが誰なのかも知らないのだ。
「あっ、何あれ!?」
「あ、ちょっとエリン……」
興味を抑えきれなかったのか、エリンが果実を並べている露店へと駆ける。
慌てて後を追うと、露店の主であるおじさんとおばさんが笑顔で迎えてくれる。
「ねえねえおばさん、これ何?」
「めんこいお嬢ちゃんねえ。でもこれ知らないの……?」
不思議そうな声を上げるおばさん。
確かにエリンが指さしたのは食卓でよく見かける、リンゴに近い果実だった。
「あー、すみません、急にお邪魔しちゃって」
「いえいえそんな。可愛らしい子ですね、妹さんですか?」
俺のことを保護者だと判断したのだろう、おじさんが言葉をかけてくる。
「ううん、この人はあたしのセンセだよ」
「ああ、教師の方でしたか」
「ええまあ、今日は生徒の御家を訪問させていただく予定でして」
おじさんとおばさんは俺を上から下まで見た後、腰に差している剣に留まった。
「剣を教えてもらってるのかい? 嬢ちゃん、頑張って勉強するんだぞ」
「ふえ? なんで?」
「なんでって、おうちはこの辺りなんでしょう? ソードエックスさんのお膝元なんだから当然じゃない」
「……ッ!」
エリンの体がビクと跳ねた。
ああ、やっぱりそうなるよな。
失敗した、彼女のもとへと届く言葉をきちんとコントロールしてあげるべきだった。
「あたしたちも詳しいわけじゃないけど、外から来た人からよく評判を聞くよ」
「偉い軍人さんたくさん出して、国を守ってくださってるんだってね」
「……そうですね」
王国軍と共に作戦を行った際、ソードエックス出身の者はほとんどの場合関わっていた。
俺が会ったことがあるのは作戦立案・指揮レベルを担当する幹部たちが主だが、前線で兵士たちを鼓舞し共に戦う戦闘担当者もいるらしい。
ここ最近俺が接しているソードエックスは、いわば内側へと向けられた、自分たちを鍛え上げるための激しい圧力。
外へと向けられるのは、純粋な護国の剣としてのふるまいだ。
「……そ、そっか。そうだったね、うん」
エリンは露店から一歩引いて、周囲を見渡した。
活気づいた街道。行き交う人々。
ソードエックスが守護するものは、単なる権威ではなく人々の営みそのものなのだという象徴だ。
「……でも、どうして?」
エリンの疑問は、風に吹かれて飛んでいきそうなほど弱弱しいものだった。
人々の幸せを祈ることができるのなら、どうして自分には優しくしてくれないのかという、泣きそうな子供の声だった。
「それを確かめに行こう」
俺は彼女の肩に手を置いた。
震えるその体に、少しでも力を分け与えることができればと。
……まあそういう魔法をかけてやってもいいんだが、バレたら終わる。
「エリン、少し話を聞いてくれ」
「え?」
だったら、力を分け与えるのではなく、単純に彼女の力を伸ばしてやるしかないだろう。
◇
そうして練習場にたどり着けば、アリーナに立つのは(予想通りに)俺ではなくエリンだった。
彼女の前に並ぶのは、ソードエックス家お抱えの教導部隊の面々だ。
制服が悪の組織みたいでかっこいいね。資料集で見た。
「まさかと思いますけど、彼らは……」
「ええ、以前エリンの指導を行っていた者たちです」
大上段から降ってきた声に、思わず舌打ちが漏れそうになる。
「こちらこそ、まさかとは思いますが……厳しい訓練を思い出して動けないようなザマではないですよね?」
暗に、これでエリンの動きが悪ければ、俺は教育者としてふさわしくないと断定すると言っていた。
まあそうするよね。俺もそっちの立場なら同じようにする。
「勇者の末裔ハルートよ、あなたが強いことなど、この国に暮らすものなら誰でも知っています」
「それは光栄なことですね」
「ですが、育て方を知っていますか?」
見上げた先、観客席最上段の席に腰かけた、ソードエックス家当主の奥さん。
エリンの義母さんが、こちらを鋭く見下ろしている。
「素質があるから呼び戻すというのは自然なことです。我らソードエックス家の最大の理念は、埋もれていく才能を拾い上げ、磨き上げ、このテイル王国を守るための武器に変えることなのですから」
もっともな言葉だ。
理屈なら、理屈だけなら、正しいことを言っていると同意できる。
才能あるっぽいからやっぱうちの子返せ、別にお前のものじゃないんだからさ。
そう言っているだけなのだから。
だけど今回は譲れない。
だって『2』のシナリオが根底から崩れるし。
何より、請け負った生徒を、彼女自身が望まない場所へと送り出すわけにはいかない。
「……それでいいと思っている人相手なら、別にいいでしょうね」
「その言い様……あれは、エリンは違うとでも?」
俺は無言で訓練場へと視線を向けた。
直後に開幕の号砲が響き、教導部隊のうち一人が前に進み出る。
『久しぶりですね、エリン様』
『……ッ』
『このような形での再会となったのは残念ですが……ご指導させていただきます』
直後に鋭い踏み込み。
慌てて抜刀したエリンが、構えた防御ごと一撃で地面に転がされる。
「……エリン」
慌てて立ち上がったエリン。もう敵は間合いを詰めてきている。
攻撃に転じられるなら──だが彼女は再び防御を取った。
今度は足を踏ん張って、確かに受け止められた。
まあ、仕方ない。このタイミングで反撃できればベストだったが、高望みというやつだ。
単なる技量の話ではなく、エリンという少女の心の戦いなんだ。
焦る必要はない。
◇
四方八方から飛んでくる刃。
そのすべてが、今のエリンには見えている。
かつては何もできず打ち据えられ、体中に傷を作った。
「防御は上手くなられたようですね……しかし!」
教導部隊の若い男が、フェイントを駆使してこちらのガードを崩そうと仕掛けてくる。
そのすべてに対応して、エリンは大太刀を振るい敵の斬撃を弾き、ねじ伏せる。
(……ッ。分かる、どこに来るのかは、分かる、でも私はいつ攻撃したら!)
冷静に攻撃を捌いているように見える。
しかし内心で、エリンはパニック一歩手前まで追いつめられていた。
相手はずっと、幼いころから勝てない相手として戦わされていた教導部隊。
その制服を見ただけで呼吸が詰まる。体が逃げ出しそうになる。
(怖い、怖いよ……!)
防御が上手くなったというよりは。
ただひたすらに、防御しかできない。守ることに縋るだけしかできていない。
いつも自分はそうだった。
親を殺され故郷を滅ぼされ、なのに復讐者となることもできなかった。
中途半端で、その時為すべきことを突き詰められない根性なし。
(あたしは、いつも、どうして……!)
だんだんと手の感覚が痺れてくる。
このままではやられると、頭では分かっている。
なのに体が怯えて動かない。体も精神も縮こまって、必死に我が身を守ろうとするばかり。
誰かのためなら戦えたけど。
自分のためには、うまく戦えない。
そんな価値があるなんて思えないから。
(どうしたら、いいの……センセ……)
高速の連撃を防ぎながら、エリンはちらりと観客席を見た。
その時ハルートは、確かに視線を重ねて、指を動かした。
ハルートが指を横横縦縦と振った。
脳がスパークした。
それは、この練習所へと向かう道の途中。
露店に立ち寄った直後に、彼が話した内容だった。
『今のエリンは『横一閃』『横一閃』『縦一閃』『縦一閃』の順番で連続攻撃を放つのが一番強いと思う』
『聞いたことないんだけどそんな奥義連打……』
困惑する自分に対して、ハルートは自信の笑みを見せた。
『いやできる。もうエリンは『横一閃』を数十発ぶっ続けて俺に打ち込んでいたんだからな』
『……あ、確かにそうかも』
奥義の連打は体に負荷をかける。
しかしここ最近ずっと行っている訓練は、ハルート相手にムキになって当てようとし続けて、実に効率の良い連続奥義のやり方を自然と実践していた。
『最悪の場合、なんだけど……エリン、君が戦うことがありうる。そしてその相手は、君が恐れている存在になるだろう』
『……ッ。教導部隊の人たち、だよね?』
『ああ。話を聞いている限り、君が最初から全力を出すのは不可能に思える』
そこで言葉を切った後。
ハルートは肩をすくめて、軽い調子で続けた。
『だから最初から頑張らなくていい、守りに入っていい。今なら、と思った時に奥義を叩き込め』
『……できるかな、あたしに』
『大丈夫だ。まぐれでもいい、ブッパでもいい、一人倒してみろ。その時の感覚が、必ずエリンの本当の強さを呼び覚ましてくれるはずだ』
彼の言葉を覚えている。
忘れはしない。
だからまだ、戦える。
「横一閃ッ!」
エリンが振るった斬撃は、しかし敵の予想の範疇。
上体を逸らす形で回避される。
「もう一回、横一閃ッ!」
体勢を立て直されるよりも早く、駒のように回転して再度攻撃。
不安定な姿勢ながらも、教導部隊の男はエリンの刃を受け止める。
「縦一閃ッ!」
「……!?」
ありえざる奥義の連発に、男が目を見開く。
防がれた横一閃を素早く引き戻しての、相手が距離を取り直す暇を与えない連撃。
しかし焦るエリンの放ったそれは完璧な代物には程遠く。
男は冷静に、頭上から振り下ろされた斬撃を受け流した。
(もらった! 悪いが、これで……!)
流石に奥義を三連発した直後だ。
もはやエリンは防御も回避も取れないだろう。
「お覚悟を──え?」
そのはず、だったのに。
目の前で、先ほど渾身の奥義を叩きこんできたはずのエリンが、既に剣を大上段に構えていた。
(本当だ。横一閃二発と縦一閃一発で、敵が動かなくなってる)
スローモーションになった世界の中。
エリンは自分の意思が稲妻のように神経を駆け、体を完璧に動かすのを把握していた。
昨日、最後の一撃。
ハルートの脳天に直撃させることのできた、鋭い垂直の斬撃。
想起する、その時の光景。
まったく同じ動きを、体が取ろうとする。体は覚えている。
(そうだ。あたしはもうあの一撃を、いつだって打てるんだ。だって、センセが教えてくれたんだから……!)
理想そのものである閃光の太刀筋。
ソードエックス家を象徴する、天より落ちる裁きの如きそれを、エリンは全身の力を使って解き放つ。
「剣我術式──縦一閃」
中級魔族に通用した不完全な代物ではなく。
今度こそ、明鏡止水の心に従い放たれた鮮烈な一閃。
それが少女の忌むべき鎖を断ち切って、眼前の敵を地面へと叩きつけた。
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