Case3-9 少女

 ……の、はずだった。

 光は確かに少女を追い詰めていた。だがしかし、その光が逆に少女を救うこととなる。


 行き止まりに届くほどの反射光だ。その明かりは影を生み出し、踊り場全体の輪郭をあらわにしていた。それが幸運に転じた。

 少女は見つけることができたのだ。ようやく姿を見せた、唯一の隠れ場所を。

 咄嗟だった。転がるようにその空間へと逃げ込む。鉄扉から死角となっている階段の裏側、ステップの丁度真下に位置するくぼんだ空間へと。


 そうして少女は、その場所の角端かどはしに吸い付くように身を寄せて、かくれんぼのときなんかよりもずっとずっと堅く身を縮み込ませ、じっと息を潜めた。心臓の音だけが、奴らに聞こえてしまうか心配なほど、少女の胸の中で脈打っていた。その音が少しでも漏れ出さないようにと、口をぎゅっと閉める。


 やがて足音達は踊り場に踏みったのか、その鳴りを潜める。

 行き止まりの壁に、複数の微光びこうが揺らめいて映っているのが、少女の場所からも見えた。


「あ~…。ダメだ。完全に落ちちゃってるわこれ」

「電源すか?」

「なんも反応しないもん」


 と、男声の会話が聞こえてくる。それと一緒に、なにやら物音まで。パネルを触っているのだろうか。

 いずれにせよ、少女は心の中で男達がこちらに来ないことをただひたすらに祈り続けていた。


「やっぱ予備電源機能してないよねこれ。笹間ささまとミツ、」

「「はい!」」

「二人で電気室行け。予備電源盤、確認して。場合によっては復旧。急いで」

「「了解!」」


 くだけた調子で話しかける男声だんせいに、ほぼ同時で規律の整った返事をする二人……彼らの会話の後、二人分の足音がせわしなく聞こえてきたかと思うと、少女の頭上を越えて、やがて消えていった。


「こちらA斑。こちらA斑。B斑応答求む。B斑応答求む。オーバー」くだけた口調の男声が今度は別の誰かに連絡を飛ばしているようだ。


 しばしの沈黙が場にただよう。すると、男声は再び「こちらA斑。こちらA斑――」とつい今しがた発した文言と全く同じ言葉を口にする。

 またしばしの沈黙が漂ったかと思うと、今度は別の男の声が一際けわしい語気で「こないっすね…」と呟いた。どうやら彼らにとってかんばしくない事態が起きていることが少女にもわかった。


 少なくとも男達は、少女がここに隠れているなどとは夢にも思っておらず、更に言えば少女のことを探してすらいない様子だった。

 そのことにぼんやりと気づくと、少女の心臓は少しばかり休まり、体の緊張もかくれんぼ程にはゆるんでいったのだった。


 それも露知つゆしらずと、男達の会話は続いていった。


「嫌な予感すんな。非常灯 予備電源に? 無線もダメって、タイミングできすぎてるよなー」

「……他班には聞こえてたんすかね?」

「よし――」


 そう言うと彼は先ほどと同じく「C、D班。こちらA班、」と、ここにいない者達に連絡を飛ばし始めた。ところが、


「今こちらが飛ばしたB班へ…の……」


 話半はなしなかば、自らそれを断った。


「どうしたん「しっ」


 他の者の問いかけを遮ってまで、沈黙を保とうとする。

 どきりっ…と、休まったはずの少女の心臓が再び跳ね上がる。もしや自分の存在に気がついたのかと、その可能性に焦りを浮かべた。

 だがそうではないということが、まもなくして少女にもわかった。


 が聞こえたのだ。

 小さな音だった。遠い遠い彼方かなたに落ちた雷のような、重く低くも弱々しい音。

 何の音なのかなど、少女には知るよしもなかったが、この粛々しゅくしゅくとした空気のもとで唯一聞こえてきたその音は、確かに彼女の鼓膜を鋭くさせた。いやおそらくは、この場にいる全員がそうであったに違いない。

 そして音は、まるで彼らの警戒きたいに応えるように変化を遂げていった。

 単純な変化だ。一回、二回三回、更に…もう一回……不規則ではあったが、相手に気を抜かせる隙を与えずに幾度いくたびも響く。そして、回数を重ねるごとに、音は段々と大きくなっていき、その得体の知れない圧迫感を強めていった。やがて――

 ――否、突然に

 今までの中で段突だんとつに強大な一発が轟く。


 あまりの驚きに飛び上がる少女。思わず わっ!と声を上げそうになり咄嗟に口元を押さえる。地響じひびいて起こった振動が、冷たい床にくっついていた彼女のお尻を通り、お腹の芯までをずぅん…と振るわせる。その感覚が、小さな頭の中を大いに散らかした。

 とんでもなく大きな音が鳴った、ただその事実を素直に受け止めることで一杯で、次に来るかもしれない更に大きな音をおびえて待つことしかできなかった。


 しかし、男達の方はそうではなかった。


「総員!!」


 我知らず背筋を伸ばされるような、そんな真に迫った号令が響き渡った。

 それが先ほどまでのくだけた口調と同一の人物が発したものであったことに、少女は結局最後まで気がつくことはなかった。


「構えて下がれ! 扉を囲んで距離をとれ!」


 騒がしく人が動き回っている、その気配を感じたと思いきや、今度は全身真っ黒の武装した男達が四、五人、なんと少女の位置からでも確認できてしまうほど後退してきたではないか。

 見つかる!――角端により身を縮こまらせ、顔を膝にうずめ、今できる限りに隠れる少女。

 だがそれはいらぬ心配であった。彼らは全員、鉄扉にライフル銃を向け、意識を集中させており、少女の存在に気づく者など一人もいなかった。


 彼らは既に、について認識を改めていたのだ。

 大きくなっているのではない。近づいてきているのだと。


 だがそのことに果たして意味はあったのか……。


 次の瞬間――全てはほんの数秒の出来事であった――。


 ――大砲だと聞きまがうほどの、強烈な衝撃音――それと同時に吹き飛ばされてきた瓦礫がれき鉄扉てっぴが、少女の視界にいた男達をまとめて圧殺あっさつした。

 ――「撃てえ!!」電撃をともなったライフルの連射音があちこちで騒ぎ出し、フロア内に止めどないフラッシュが飛びい始める。

 ――顔を埋めたまま、すぐさま耳まで塞ぎ、この現実を拒絶する少女。

 ――しかし、塞いでなお、重なる連射音の合間からその『うなり』が耳に届いてきた。


 ――悪臭が漂ってきそうな程に荒々しく、そして沸々ふつふつと、まるでいきどおりを蓄えているかのように禍々まがまがしいそれは、おそらく、通常生きていては出会うはずがないもの。怪物か 化物か 魔獣か 何とでも言える、獣を超えた何かの唸り声。それが聞こえてきたのだ。

 ――だが、それも束の間であった。唸りは不意に、変化を遂げた――。

 ――たけび――超獣ちょうじゅうの、怒りがぜた。

 ――むごたらしいまでの破壊音が、滅多矢鱈めったやたらにまき散らされる。ライフルの音も、男達の悲鳴までも、何もかもが、またたく間に一掃されていった……。


 残ったのは破壊音のみ。それは収まらぬ怒りの音。

 最後にして、超獣はそのぶつける矛先を失った憤りを喉奥に掻き集めると……一発――


 ――絶大なる咆哮ほうこうを解き放った。


 その威力は、まさに凄まじく、少女の全てを、踊り場の全てを揺るがし、よもや押し潰そうとするほどであった。

 もはや「声」の範疇はんちゅうなどではない。この一発には、明確な「力」が備わっていた。

 ――いや…だ…。た…たすけて…たす……

 その圧力に呑まれ、少女は体と思考の自由、そして意識を、いとも容易く失っていったのであった……。

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