Case2-10 ノバレス・バクトロ

 いや正確には違う。

 海じゃない。零階ぜろかいのフロアが完全に水に浸かっていたんだ。全部だよ。余すところなく。

 にもかかわらずそれがこっちには流れ込んでこないんだよ。変な光景だったよ。エレベーターと零階の間に見えないガラスがついてるみたいな…、そうだ! ちょうど水族館の水槽見てるのと似てる! 魚は一匹もいないけど。


 でも……、そんなことが……

 そんなことが全く気にならなくなるほど、それは青かった…。


 すごく深いのに、ずっとどこまでも澄んでいるっていうか、

 光源もないはずなのに、きらめいて見えるっていうか、

 んー…。いやダメだな。言葉じゃ表現できないよ。


 とにかくあれをただ水で満たされてたって言うのは間違ってる。

 それが、海であると直感で感じるっていうか、

 それを海と呼ばなければならないと思わされるっていうか、

 つまりそれほど、あの光景は何よりも――


 ……


 ……


 ……そうだ。


 何よりも、美しかったんだ。




 虫カゴの中で暴れるアイディーにも気がつかず、僕はただ見惚れ続けてた。もう目も離せないし、頭の中もその光景でいっぱいだったよ。

 他の三人もそうだった。

 一人がね、何を考えたのか海に触れようと手を伸ばしたんだ。

 それがいけなかったんだと思う。いや、ていうか絶対それだな。


 さっき言った爪を怪我してた奴だったんだ。そいつの指先が海面に触れて、そのまま手を海に沈めていった。その時、爪の怪我からにじんだそいつの血が、海の中に溶け込んで消えていくのが見えた。

 それからすぐだった。


 声が聞こえたんだ。


『無礼な…お方……』


 女性の声だった。今でも頭の中でしっかりと思い出せる。

 静かで上品なのに、力強くて、存在感がある? ううぅ! これも説明が難しい!

 いや! そうだな、その時とにかく僕はこう感じたんだ。

 この声は、海のものだと。


 気づくと海面がじわじわと震えだしてた。

 手を入れた奴もやばいと思ったんだろうね。すぐ抜いてそこから下がろうとしたんだけど、もう何もかも遅かった。


 海が、物凄い勢いでエレベーターの中に入り込んできたんだ…! 一気にだよ!

 どういうエネルギーが働いてるのか見当もつかない! ほぼ真横だったんじゃないか?

 僕らはあっという間にエレベーターの壁にたたきつけられて、それでも勢いが無くならない海に押さえつけられて、押さえつけられ続けて、

 もうエレベーターの中は完全に海の一部だよ。

 ものすごい水圧だった。深海の底に落とされた気分だ。

 怪我の痛みとかそれどころじゃないよ! 体全部が潰されてったんだ!


 ……

 ……

 ……


 うん……


 ……

 ……

 ……


 まあ…、そんな感じだよ。

 

 そんな感じでさ、

 僕は亡くなったんだ。

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