散―7

 声を掛けたら、琥珀はすぐに起き上がった。寝ていたわけではないらしい。

 追い出されたのはつい昨日のことなのに、もう何か月も会っていなかったかのような気持ちになった。


「琥珀」

「……何しに来た」


 琥珀はあからさまに顔を背けて、突き放すような言い方をした。それが、優しさだと知っているから、愛おしく思える。


「寧々さんに聞いた。私を守るためにしてくれたんだよね」

「黄昏座のためだ」

「それでもいい。ありがとう」

 琥珀は、おそるおそるこちらを振り返った。厳しい顔なんてしていなくて、脱力した諦めの顔だった。


「全く……何のためにやったと」

「寧々さんは責めないで。私が連れてきてって頼んだから。周囲にも芝居小屋にも、怪しい人はいないって確認もしてくれた」

「いつの間に。ははっ、大昔、烏と並んで忍をやってたと言われるだけある」


 琥珀がからからと笑った。それを見て、あさぎはようやくほっとした。笑顔を見るまで、昨日の琥珀の無表情が頭から離れなかったから。


「それにしても、俺と寧々さんが組んで、あさぎを騙そうとしてるとか、思わなかったのか」

「それは考えてなかった」


 琥珀は口端をにやりと上げているから、からかっているのだと分かる。それでも、ほんの少しも、その可能性を考えていなかった。琥珀に言われて、そういうこともあり得るのかと思った。が、どうでも良かった。


「別にいいよ。琥珀になら、いいよ」

「え?」

「琥珀が、私に出て行って欲しい、消えて欲しいって言うなら、そうするよ」

「あさぎ、俺は――」

「でもその前に、聞きたいことがある」

 琥珀は、少し緊張した面持ちで聞き返した。


「何が聞きたい?」

「琥珀のこと。話してくれるまで待ってるって言ったけど、追い出されちゃったから、もう聞けないかなって」

「ああ、分かった」


 琥珀は、舞台の縁に腰かけて、足を遊ばせている。手招きをして、隣に座るように、舞台の床を叩いた。あさぎは、舞台まで駆けていき、舞台に飛び乗った。琥珀の隣に腰かけて、話を聞く態勢をとった。


「俺は、九尾の狐ってことで、小さい頃から色んなやつから羨ましがられた。最初は、誇らしかった。だが、近所の同世代の子どもだけでなく、大人にも妬まれて、嫌がらせをされた。九尾であることが嫌になった」

「……」

「九尾を振りかざして、威張り散らしている大人たちも、気持ち悪いものに見えた。凄いのは、九尾の血であって、自分自身じゃないだろう、ってな」

 琥珀は、自虐にも見える笑顔で続けた。


「そんな子どもは、当然家族から疎まれた。……でも、叔父さんだけは違った」

「魁さん?」

「どうして名前を、って寧々さんに聞いたのか」

「うん」


「叔父さんは、そんなことどうでもいいじゃないか、って言った。威張り散らす大人も、ひねくれる俺のことも、まとめてどうでもいいってさ。俺はその一言でだいぶ気が楽になった。妖の今後のために研究してることを知って、かっこいいと思って、仕事場に通い詰めた。寧々さんと会ったのもその時だ」


 魁のことを話す時の琥珀は、穏やかな表情になった。幼い琥珀にとって心を許せる大切な人だったのだと、分かる。


「今、魁さんは?」

「死んだ。七年前に」


 あさぎは、声を失った。目を見開くだけで、何も言えなかった。魁を初代支配人と呼び、二人の口から語られる魁は全て過去形だったことからも、気が付けたはずだ。いや、薄々気付いていたが、それを認めることが出来なかった。こんなに琥珀にとっても、寧々にとっても大切な人の死を。

 あさぎの頭の中に一つの可能性が浮き上がった。恐ろしい可能性。


「……まさか、本殿に?」

「いや」

 琥珀は首を振ってそれを否定した。あさぎは、恐ろしい予測が外れてほっとして息を長く吐いた。


「流行り病だった。だから、最期には会えなかった」

「そう、なんだ」

「流行り病、無念だったろうし、俺も悔しかったし悲しかった。だが、家族は、本殿に背くような研究をしたから死んだのだと言った」

「なんで、そんな!」


 あさぎは思わず声を荒らげた。病と研究には何の関係もないはずなのに。琥珀は、少し驚いた顔をしたが、あさぎの怒りを自分の中に取り込むように頷いた。


「その年、多くの妖が流行り病に倒れた。本殿は定型文ではあるが、お悔やみの通達を出していた。だが、叔父さんの家には、本殿に従うように、という内容の通達をよこしたんだ」

 琥珀は、憤りを全て拳に集めて、ぐっと握りしめている。固く握られた両手は、細かく震えている。


「……どうして死んでなお、石を投げられなければならない? 俺は、叔父さんのしたことが正しかったと、証明する。そのために、黄昏座を復活させて、芝居を続けた」

「じゃあ、鎌鼬の階級が上がったってことは、証明出来たって、ことだよね」

「ああ」


 だから、通達を聞いた時、琥珀と寧々は、安堵や解放感の表情をしていたのだと、ようやく納得した。魁の正しさを証明するために何年もかけてやってきたことが、報われたのだ。


「良かった、本当に良かったね」

「良かった? 本当に今の状態がいいと思うか? あさぎが狙われて、皆がばらばらになって。復讐のために芝居をして、皆を利用してきた罰なのかもしれないな……」

「復讐のため。だから、芝居を楽しいと思ったことはないって、言ったの?」

「ああ、そうだ」

「本当に?」

 あさぎは、苛立ちよりも失意で項垂れる琥珀の顔を覗きこんだ。


「本当に、一度も楽しくなかった? 例えば琥珀が初めて舞台に立った時とか、楽しくなかった?」

「それは」


 あさぎは自分が初めて舞台に立った時のことを思い出して問いかけた。そして琥珀の答えを静かに待った。琥珀が自分の想いを誤魔化さないよう、その瞳をじっと見つめたまま。


「――あの時は、眩しくてあっという間で」

「うん」

「でも、ああ、そうだな……楽しかった」


 琥珀は懐かしむように目を細めた。その時は、今の黄昏座じゃなかったとしても、それは今に繋がっているはずだ。

 あさぎは、立ち上がって、舞台の中央に立った。今、あさぎが役者だとしたら、伝えるべき観客は、琥珀だ。


「今だって、きっと楽しいと思ってるよ、琥珀は。でも、復讐なんだから楽しかったら駄目だって思ってたんだよ」

「……俺は」

「何が分かるんだって、思ってる? でも、舞台に立つ琥珀が楽しそうに見えたのは、嘘じゃないし、黄昏座と叔父さんが大切だっていうのも嘘じゃないと思う」

 あさぎは、両手を大きく広げて、今ここにあるもの全部を抱きしめるような気持ちで続けた。


「私にとっても、黄昏座は大事な場所だし、琥珀も、皆のことも大事。――だから、私、本殿に行くね」

「待て、どうしてそうなる!?」

 琥珀が、動揺して一瞬舞台から落ちそうになった。すぐに体勢を立て直して、あさぎに詰め寄ってきた。


「駄目だ。絶対に行くな」

「でもこのままじゃ、黄昏座にお客さんは来ないし、皆もばらばらなままだよ」

「それでも駄目だ。居なく、ならないでくれ」


 琥珀の声が、今まで聞いたことのないくらい細く揺らめいた。その視線に絡めとられたように、あさぎは動けない。琥珀の腕が、あさぎを閉じ込めるように回された。が、琥珀の手があさぎに触れることなく、そっと離れていった。


「寧々さん! いるんだろう」

「話は終わったん?」


 琥珀が大声で寧々を呼び、瞬間移動のように寧々は現れた。寧々は見張りのようなことをしてくれていたのだが、琥珀もそれが分かっていたようだ。


「あさぎを連れて戻ってくれ。寧々さんの家の場所は俺以外、座員の誰も知らない。ここにい続けるよりは安全だ。本殿は、俺がどうにかする」

「待って、琥珀」

「寧々さん、頼んだ」


 琥珀は、くるりと背を向けて、黄昏座の奥へと行ってしまった。追いかけようとしたが、寧々に手首を掴まれて、その場に押しとどめられた。


「帰ろう、あさぎちゃん」

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