散―6
*
あさぎを追い出してから、一夜明けた黄昏座。琥珀は一人、昨日のことを思い返していた。
「琥珀、本当にあさぎちゃんが間者やと思うてるん?」
「……他に誰がいる」
あさぎを間者から遠ざけるために、非情を演じることにした。なのに、最後には顔を見ることが出来なくなってしまった。潤んだ目に、縋るような声、遠ざけるよりも傍で守りたいと、決意が揺らいでしまう。それでも、間者が紛れているここにいるよりは、安全なはず。
走り去る寧々を、誰も追いかけることは出来ない。ひとまずはこれでいい。
全員が混乱した表情を浮かべている。間者なら、想定内の状況であるから、混乱はしないかと思い、観察してみた。が、全員が不安と懐疑で慌てていて、誰もそうは見えない。もしかすると、間者にとっても想定外なのか。それとも、ずっと演技をし続けているのか。
誰からともなく、その場は解散となった。
今日、花音と雪音は黄昏座に来ていない。正確には来ることが出来なくなった。昨日も、本殿からの通達で、黄昏座には行くなと言われていたが、学校へ行くと嘘をついて来ていたのだという。
「それが、ご当主様の知るところとなり、お二人は家から出ることを禁じられました」
「そうですか」
花音の侍女だという者が黄昏座まで伝えに来た。侍女は悲しそうな顔をしながら彼女は深々と頭を下げた。厳しい竜胆の家の中にも、花音や雪音の味方になる者がいるようだ。
「わざわざ知らせてくれて、ありがとうございます。二人に、無茶はしないよう伝えてください」
「当然でございます。これ以上、お嬢様方を巻き込まぬよう、お伝えに来たまででございます」
侍女の声が、軽蔑を含むものに変化した。そうか、この侍女は、二人が家に逆らったことを、嘆いているだけなのだ。二人の想いを汲んだ行動ではない。
「そうですか」
琥珀は、無感情に一言だけ返して、侍女に帰宅を促した。二人を巻き込むわけにはいかないし、もしもどちらかが間者だったとしたら、家から出られないのは、あさぎにとっては安全だ。
「琥珀」
「……」
入れ替わりで、表玄関に凪と佐奈がやってきた。裏口から入って来なかったところを見ると、黄昏座の様子を見に来た、というところだろうか。
「凪、佐奈さん。今日は、いや、しばらくはここには来なくていい」
「でも……」
二人は戸惑いながら、顔を見合わせている。この二人が、間者である可能性もあるのだから、黄昏座に近付けさせない方がいい。正直、心の声が聞こえているはずの佐奈が、間者がいる状況を見逃していたのか、疑問が残る。話すことが出来ないから、申告も出来ないのか、もしくは佐奈自身が間者か。一方、凪はこの中では一番本殿に近い、と言える。が、間者を近しい者にさせるほど、本殿も馬鹿ではないと思うのだが。
「ともかく、客は当分来ないだろうから、休みとする」
「……あさぎは、探さなくていいの?」
「!」
凪の発言は、あさぎを引き渡せと言う本殿の意向か、黄昏座の存続のための想いか、あさぎを心配してのものか、咄嗟で判断が付かない。琥珀が余計なことを言う方が危うい。
「今は心配しなくていい」
「そう、分かったわ」
黄昏座の中には入れず、二人を帰した。疲れがどっと来た。
琥珀は、一人で舞台の上に上がり、寝転がった。普段じっと見ることのない、天井をまじまじと見つめる。琥珀がここで、黄昏座で果たすべき目的は果たしたはずなのに。今の状態が最良だとは思えない。
「俺は、どうしたらいい? 叔父さん……」
琥珀は、空中に問いかけた。答えが返ってくるはずもなく、声は霧散した。
目を閉じると、叔父である魁の顔を思い出した。いつも、穏やかな笑みを浮かべている人だった。そうだ、黄昏座の最初の芝居は、猫又の物語だった。
「今思えば、あれは叔父さんなりの、寧々さんへの誠意だったのかもしれないな」
猫又の身体能力を活かして、困っている人々を助ける話。面白いものだったかと聞かれると、正直微妙だった。だが、魁も寧々も一生懸命で、楽しそうだった。
「寧々さんはともかく、叔父さんは演技ひどかったな。棒読みにも程がある。いやまあ、人のことは言えないか」
役者が足りないからと、琥珀も駆り出されたのだった。八歳か九歳の頃。嫌だと言ったが、魁に頼み込まれて、承諾した。そして、変化した状態でいいんだ、おれたちは他の誰かになれるんだからな、とニカっと笑った。今の場所に居続けるには、前に進まなきゃならない、という言葉はあの時はまだ理解出来なかったが、今なら分かる。あれが、初めて舞台に立った時だ。
「――坊ちゃん、風邪をひかれますよ」
「!?」
突然聞こえてきた台詞に、琥珀は跳ね起きた。この台詞は鎌鼬ものがたりのもの。声のした方を見据えると、あさぎが立っていた。
「あさぎ……」
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