散―3


 しかし、三日後、ぱたりと黄昏座は静かになった。誰一人として、黄昏座を訪れる者はいなかった。その理由は、本殿から出された通達。黄昏座に近付く者は謀反とみなす、というものだった。三日間、あれだけいた妖は、蜘蛛の子を散らしたように消えた。妖の頂点にある本殿の影響力は凄まじいものだった。


「おかしい……」

 寧々がそう呟いた。座員は全員、大部屋に集まっていた。


「何がおかしいんですか」

「本殿が、やよ。こんな小さな芝居小屋に露骨に圧力をかけるなんて」

「そうですか? 階級を上げるきっかけを作ったのなら、目の敵にされてもおかしくないと思いますけど」

 雪音が棘を隠そうともしない口調で言った。


「……そうやね。これからは慎重に行動せな」

 全員が神妙な面持ちの中、琥珀は頷いた。


「ああ。今の状況だと芝居をしても誰も見に来ない。今日の芝居は中止とする。いいな」

「ええ、仕方がないわ」

「分かった」


 ここ数日の騒ぎになるほどの人の急増、逆に今日の急減。事情を知らない人間の客からも、敬遠されてしまっている。通常の芝居も出来ないこの状況、非常にまずい状態だ。





 何も対策が出来ないまま翌日の夕方、本来なら開演する時間になってしまった。誰も訪れない黄昏座に、本殿からの使者だという者が訪れた。真っ黒な外套に、頭をすっぽりと覆うフードで全身真っ黒な使者は一言問うた。


「代表者は?」

「あたしや」


 使者は、一通の封書を渡すとすぐに走り去っていった。路地を曲がり、その直後には真っ黒な烏が飛び去って行った。


「今のは……?」

「本殿が使う使者、烏の妖ですわ。伝達を請け負うだけで、本殿の一員ではありませんわ」

 寧々は、受け取った封書を琥珀の前に差し出した。


「あたしが読もうか? それとも琥珀が読む?」

「内容によるが、この状況でいいものとは思えないしな。寧々さんも一緒に見てくれ」

「ええよ」


 琥珀と寧々は、皆を玄関に留めて、裏へ行った。あさぎを含め、他の座員は玄関や客席で手持ち無沙汰に待つことになった。今後どうするかを相談するのだろうから、長くかかると思っていたが、二人は案外早く戻ってきた。そして、厳しい表情をしている。


「通達の内容、早く知らせるべきだと判断した」

 琥珀は、皆に見えるように通達の文面をこちらに向けた。あさぎたちは、集まって文面に目を通した。



 ――そこに本殿と通じている者がいる。こちらに返してもらいたい。名はあさぎ。記憶がないと主張している者だ。



「…………え」


 読み終わると同時に、皆が反射的にあさぎから距離を取った。琥珀も一歩下がってあさぎから離れた。

 あさぎは、混乱して眩暈がした。喉が張り付いて上手く声が出ない。自分が本殿の間者? そんなはずがない。


「間者の話は、嘘じゃなかったんですの!?」

「姉さんの言う通り、嘘のはずです。でも、本殿があさぎを名指しして……」


 双子が戸惑いながらも、疑いの目を向けてくる。信用ならないと嫌悪している本殿が、あさぎの名を上げている。あさぎのことも疑わしく思っているのだろうか。

 息が上手く吸えなかった。あさぎは、必死に声を絞り出した。


「違う、私は、何も!」

「あさぎ」


 琥珀が感情を押し殺した、無表情であさぎに呼びかけた。今まで見た琥珀の中で一番怖かった。今にも涙が込み上げてきそうだったが、ぐっと堪えた。


「琥珀、信じて! 私は間者じゃない、何も知らない!」

「証拠は?」

「証拠って、そんな………」


 本殿と繋がっている証拠ならまだしも、繋がっていないことを示せるはずがない。何も、ないのだから。

 それとも、記憶をなくす前に、本当に本殿と繋がりがあったのだろうか。双子を殺せと言ったり、階級や偏見を容認したりするような組織と繋がっていたと思いたくない。もし、仮に、そうだったとしても、何も覚えていないのだから、今のあさぎにはどうしようもない。


「黄昏座から出て行ってくれ。そうすれば、黄昏座に近付く者は謀反、という通達を取り下げるとも書いてある」

「待って、嫌だ」

 幼い子どもが駄々をこねるような言葉しか出て来ない。でも、他にどうすれば。


「これ以上、迷惑をかけないでくれ」


 琥珀はくるりと背を向けて、あさぎと目も合わせずにそう言った。耳元でガラスが割れた音がした気がした。全て、壊れた。もう戻れない。あさぎは、立ち尽くすだけで、何も言えなかった。


 皆の顔を見回した。目が合うと、視線を外された。佐奈の口が、わずかに動いた。寧々が、あさぎに歩み寄った。そして、背後に庇うようにして立った。


「琥珀、本当にあさぎちゃんが間者やと思うてるん?」

「……他に誰がいる」

「あたしは、そんなん信じへんよ」


 あさぎは、寧々に抱きかかえられた。次の瞬間にはものすごい風が頬に触れた。寧々があさぎを抱えたまま、全速力で黄昏座から離れているようだった。


「ね、寧々さんっ」

「少し我慢しててな」


 これ以上喋ると舌を噛みそうだった。あさぎは抱えられたまま、大人しくしておくことにした。少なくとも寧々

は、あさぎは間者ではない、と言ってくれたのだから。

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