散―2
表玄関には、たくさんの人たちが押し寄せていた。いや、全員が手の甲に紋がある。つまりはここにいるのは、全員が妖。一体何事なのか。
中から出てきたあさぎと凪を見つけると、群衆は、わあっと歓声を上げた。そしてなだれ込むように、二人を囲んだ。
「わあ、一体なんですか!」
「お、落ち着いてください」
それぞれが好き勝手に何かを言っているため、全然状況が分からない。すると、群衆のうちの一人に腕を掴まれ、懇願された。
「頼むよ。階級を上げてくれ。お願いだ」
「こっちが先に来たんだ。抜け駆けはやめてもらえるか」
あちこちで、救ってくれ、階級を上げたい、と聞こえてきた。だんだんと話が掴めてきた。この人たちは、鎌鼬の階級が上がったことを聞いてやってきたのだ。だが、こう一度に詰め寄られては、受け答えすら出来ない。首を動かして隣を見たが、凪も同じような状態のようだ。
「あの、一旦、離れて、落ち着いて……」
あさぎの声は、かき消されてしまう。
その時、よく通る声が群衆の向こう側から聞こえてきた。琥珀の声だ。
「凪! 歌え!」
「えっ、でも――」
「いいから」
一度は躊躇ったが、凪は決意したように頷いた。あさぎにだけ聞こえるように、耳をふさいで、と言った。あさぎは言われるがまま、両手で耳をふさいだ。
凪は、大きく息を吸うと、歌詞のない歌を一節、歌い上げた。耳をふさいでいたあさぎには、少ししか聞こえなかったが、透き通っていて、綺麗な歌声だった。だが、それを聞いた群衆が、一斉に言葉を発するのをやめ、立ちくらみを起こしたり、その場にしゃがみ込んだりしていた。
「もういいわよ」
凪があさぎに、そう言った。群衆はすでに立ちくらみから回復していたが、皆何が起こったのか、理解が追い付いていないようだ。これが、凪の、人魚の第六感。歌で気を乱すという。前に聞いた通り、効果はわずかだったが、もしこれがもっと強力なものだったらと考えると、鳥肌が立つ。
――パンッ
玄関に、手を打ち鳴らした音が響いた。視線はその音を立てた主に集まった。
「うちの役者たちに、詰め寄らないでいただきたい。話は、順に聞きますから」
琥珀が、その場の全員にゆっくりと語りかけるような口調で言い、群衆は落ち着いていった。あさぎと凪は、そのまま、玄関から客席まで、整列するように誘導していった。人数が多いから後日また来るという人も一定数いた。
整列を終えてから、あさぎは客席にいた琥珀に聞きに行った。これがどういうことなのかを。
「琥珀、これって」
「鎌鼬の、吉助だったか、あいつが、階級が上がったのは黄昏座のおかげだと、派手に言いふらしたらしい。それで、こうなったみたいだ」
「じゃあ、やっぱり黄昏座の芝居が、階級を上げたんだ! 凄いね」
「きっかけの一つに過ぎないだろうがな」
「でも、そのきっかけを作ったのは、琥珀たちでしょ」
「ああ、そうだな。これで、やっと……」
琥珀は安堵のような、解放感にも似た表情を見せた。さっき、寧々も同じような顔をしていたような気がする。何が、あるのか。聞きかけて、話してくれるまで、待つと決めたことを思い出す。
「琥珀、依頼したいって人、案内していいかしら?」
凪が客席にひょこっと顔を出した。
「ああ。人数が多いから、概要を聞くだけにして、後日また別に詳しく打ち合わせをする」
「分かったわ」
休みだったはずの、この日の黄昏座には依頼をしたいというたくさんの妖たちで溢れ、座員が総動員して話を聞くこととなった。忙しくて、てんやわんやだったが、これが嬉しい悲鳴というもの、と言いながら皆で働いた。
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