恋雪―8


 迎えた本番。花音の代わりに、水色の着物に身を包んで、あさぎは舞台袖で待機していた。髪飾りを付けていてもいいかと聞いたところ、雪女の雰囲気を壊すものではないから、構わないと許可をもらった。耳元で揺れる音を聞き、安心しようとしたが、満員となっている客席を見て、緊張してきた。


「あさぎ、大丈夫ですの?」

「うわあ」

 普通に声を掛けられただけだったのに、驚いて素っ頓狂な声を上げてしまった。


「だいぶ緊張していますわね」

「あはは……。花音ちゃん、足は?」

「お医者様に診て頂いて、大したことはないそうですわ。二、三日で痛みも引くと言われましたわ」

「そっか、良かった」


 花音の怪我が大したことなくて、一安心だ。だが、緊張はなかなか収まらないどころか、どんどん増幅していく。深呼吸を繰り返しても、酸素が上手く入ってこないような気がする。


「あさぎ」

「私、花音ちゃんの代わりに、頑張るからね。ちゃんと出来るように、頑張る」

「あさぎ!」

 突然、花音に肩を掴まれて揺さぶられた。視界がぐわんぐわんする。


「ちょっと、花音ちゃ……」

「いいですこと? わたくしの代わりだなんて、つまらないことは考えてはいけませんわ。舞台に立つからには、代役だとしてもあさぎの娘役ですの」

「で、でも」

「ですから、楽しむんですのよ。さっきまで、楽しそうに稽古していましたもの。出来ますわね?」


 楽しむ。そう言われて、何だか肩が軽くなった。初めての芝居の稽古、楽しかった。あの時の気持ちのまま、立てばいい。緊張がすっと消えていった。


「うん。出来る」

「いい顔になりましたわね」




 開演時間になった。下りた幕の前を歩くのは、琥珀。

「上演前に、一つお知らせとお詫びがございます。雪女の娘役の竜胆花音が急病のため、代役、黄昏あさぎが務めさせて頂きます」

 客席にわずかにざわめきが広がった。だが、それも琥珀の口上が始まると、静まり返った。


『昼と夜の狭間、黄昏時にだけ語られる物語。あやかしものがたり。さあ、本日も幕があがります。――雪女ものがたり』



幕が上がる。



 冬のある日、若者の屋敷の離れで、二人は逢瀬を重ねていた。

『僕は、君とこの先も共に居たい。婚約してくれないか』

『まあ! ……いえ、お断り致します』


 嬉しい顔を見せるが、娘は婚約を拒否する。ふるふるとあさぎは首を振る。その時に少しだけ客席が見えたが、あまり緊張はしない。大丈夫。

 若者は、どうしても理由を、食い下がる。根負けして、娘は口を開く。


『わたしは、雪女です。冬の間しかここに居られません。ですから……』

『知っている』

『えっ』

 若者の返答に驚く娘。若者は娘の手を取って続ける。


『幼い頃、僕は木登りをしていて、木から落ちたことがあった。足を滑らせた時は、死を覚悟した。でも、落ちたところに雪の山が突然現れて、僕は怪我一つしなかった。あれは、君のおかげだと、知っている』

『それは……』

『お願いだ。僕には君の冷たいその手が愛おしいんだ』


 若者は、娘の手を自分の頬に当ててそっと包み込んだ。雪音は、熱い視線をあさぎに向ける。娘として、顔を背けて走り去るのだが、その視線に、この感情が役としてかあさぎ自身か、一瞬分からなくなった。雪音の演技は、引き込まれる。


『嬉しく思います、でも、わたしは……っ』

 娘は、そのまま走り去り、若者は取り残される。そのまま春になり、雪女である娘は姿を消す。


 次の冬になり、娘は再び若者の元へ行く。すると、そこには別の婚約者の姿があった。同じく名家の婚約者は、琥珀が女学生の姿に変化した状態で演じている。高飛車な態度で娘を見る婚約者。


 娘に気が付いた若者は、婚約者を置いて、娘の方へと駆けてくる。家が無理やり連れて来た婚約者であると説明するが、娘の表情は晴れない。


『もう会うのは、やめましょう』

 この台詞を合図に、舞台袖に待機している花音が、第六感で舞台上に実際に雪を降らせる。客席からは、おお、と声が上がる。二人の間に雪が舞う中、台詞を続ける。


『待ってくれ、家の者は僕がどうにか説得する。だから――』

『あなたは、この降る雪に口付けが出来ますか。降る雪を抱きしめることが出来ますか』

『そ、れは……』

『わたしはこの雪のようなもの。冬の間しか、愛おしい人の傍に居られない。叶わない。ならば、身を引きましょう』

『行かないでくれ、僕は君を、愛している』

『わたしも、愛しています。永遠に……』


 強くなる雪、思わず若者は目を閉じた。その間に娘は姿を消している。若者の手の甲に落ちた雪に、そっと口付けをするが、消えてなくなってしまう。



幕が下りる。

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