恋雪―7


 琥珀は、あさぎの演技に正直驚いた。だが、思い返してみれば、初めて会った時に、初めて見たはずの芝居の台詞を一言一句間違えずに言っていた。稽古で何度も見ているからか、先ほどは、台詞はもちろん、花音独特の言い回しや指先までの細かな表現、舞台上を歩く歩数まで完璧に再現していた。


「まさか、ここまで出来るとはな」

 客席からの見え方を確認するために、琥珀は客席の後方に座っている。そこから、舞台にいる二人に向かって声を張り上げて指示を出す。


「雪音、あさぎ、最後の場面をやってみてくれ」

「分かった」


 若者と娘が、別れる最後の場面。雪の降る中で交わされる言葉。花音の第六感で実際に雪を降らせるのだが、今、花音は念のため病院に行っているため、不在。とりあえず雪なしで稽古をする。ここが一番重要な場面で、ここが上手くいけば、なんとかなる。


『待ってくれ、家の者は僕がどうにか説得する。だから――』

『あなたは、この降る雪に口付けが出来ますか。降る雪を抱きしめることが出来ますか』

『そ、れは……』

『わたしはこの雪のようなもの。冬の間しか、愛おしい人の傍に居られない。叶わない。ならば、身を引きましょう』

『行かないでくれ、僕は君を、愛している』

『わたしも、愛しています。永遠に……』

 娘が捌けて、若者が一人佇む中、幕は下りる。


「そこまで。あさぎ、台詞は完璧で、動きも問題ない。本番は花音が雪を降らせるから、そのつもりでな」

「分かった!」


 問題はない、と言ったが一つ気になる点があった。花音の台詞や動きを完璧に再現出来ているのだが、そこにあさぎ自身の感情までは乗っていないのだ。花音は、相手を愛おしいと思う気持ちがあって、あの表情や動きをしている。先に動きから入ったがために、あさぎの感情が演技に乗っていない。


「だが、初めての芝居で、本番はもうすぐ。余計なことをいって混乱させるよりは、ましか……」

 初めから通しをしようと声を掛けようとして、雪音が身振りで少し待って欲しいと伝えてきた。琥珀は、頷いてそのまま待った。すると、雪音があさぎの耳元に口を寄せて何かを囁いた。ここからでは何を言ったのかは聞こえなかった。


 あさぎの顔が一瞬にして、真っ赤になった。耳まで赤くなって、両手で頬を包み込んで、あわあわしている。


「一体、何を言ったんだ」

 つい零れた独り言が、自分の思っていた以上に苛立った声をしていて、驚いた。舞台上では、雪音が柔らかな笑顔をあさぎに向けている。あさぎはまだ顔を赤くして、雪音に何かを必死に言っている。距離が近すぎるように思えるが。


「もういいか」

「はい。座長、もう一度、最後の場面をさせてください」

「分かった」

 琥珀の了承を得ると、あさぎと雪音はもう一度先ほどの場面を演じ始めた。


「なっ……!」

 あさぎの演技が一変していた。台詞や動きは先ほどまでと同じく完璧。だが、それ以上にその芝居が生き生きとしているのだ。この娘は、目の前の若者に、恋をしている。相手のことが愛おしくて仕方がないという感情が、客席の後ろまで届いてきた。


 芝居として、素晴らしいものになった。それは確かなのに、なぜか素直に喜べなかった。あの声で、あの表情で、別の者に愛していると告げるあさぎを見て、心中穏やかではいられなかった。


「くそっ、何を苛ついているんだ、俺は」

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