つむじ風―8
*
十月二十五日、本番当日。
新作の上演ということで、客席には期待感が満ちていた。あさぎは、舞台の上手袖からそれをひしひしと感じていた。
始まりの口上は、凪が務める。まだ幕の下りた舞台上を静かに歩く。
『昼と夜の狭間、黄昏時にだけ語られる物語。あやかしものがたり。さあ、本日も幕があがります。――鎌鼬ものがたり』
幕が上がる。
一人の幼い男の子が袖から現れる。この男の子は以前見た琥珀の変化の一つで、高級な洋装を身に着けている子息の役だ。
『坊ちゃん、今日はどちらへ』
『海の方へ行く』
子息が女性を従えて歩いていく。袖の改良に間に合い、試作よりもさらにふんわりと可愛らしい印象になった、メイドの衣装。寧々が完璧に着こなしている。
子息は、ずんずん歩いていく。メイドはその後を付いていくが、ある場所まで行くと、慌てて前に出て、通せんぼをした。行く先には、真っ黒な口を開けたかのような洞窟がある。
『坊ちゃん、そちらへ行っては危のうございます』
『お前は心配性だな』
『坊ちゃんをお守りするのが、わたしの務めでございますから。ここは鎌鼬が出ると言われております。戻りましょう』
少々わがままな子息と忠実なメイドが、別荘で静かに暮らす日常が描かれる。しかし、別荘近くの洞窟に財宝が隠されているという噂が流れ、静かな日々は壊れていく。
洞窟に入ろうとした者は、洞窟からの風に押し返され、気が付くと、刃物で斬られたかのような傷が足に出来ているのだ。寧々の素早い動きで、赤い顔料を足に垂らしているのだが、本当に一瞬で斬れたかのように見える。客席もどよめいている。
『何なんだ、この洞窟は!』
『鎌鼬の呪いよ。命が惜しいわ、わたしは降りる!』
洞窟は呪われていると噂が更新されても、だからこそ財宝があると確信を持ってくる者はいた。そして、ある日、子息にあることを申し出た男がいた。フードを深く被った怪しげな男は雪音が演じている。
『わたしは洞窟を見張っていました。すると、このメイドがやってきたのです! 斬られることなく、中に入っていきました。斬って回っているのは、このメイドです』
『なんだと……』
子息は、青い顔をしてメイドを見る。ショックを受けて、今にも倒れそうだ。
『坊ちゃん、違います』
『だが、その服は特注で僕が与えたものだ。お前以外にそれを着るものはここにはいない』
打ちひしがれる子息に、男は耳打ちをした。
『彼女を拘束し、共に洞窟へ参りましょう。これではっきりするでしょう』
『そうだな』
坊ちゃんが頷き、男はメイドを椅子ごとロープで拘束した。坊ちゃんは、未だ信じられないという表情を浮かべているが、背を向けて男と共に出てしまう。
『坊ちゃん!!』
取り残されたメイドは、決意したように顔を上げた。次の瞬間には、巻き付けられていたはずのロープがはらりと床に落ちた。腕からは、ちらりと光る銀色のものが見えた。
このロープは、輪の一か所が仮止めになっていて、力を加えるとすぐに取れる仕掛けになっているのだ。あさぎが凪と一緒に作った小道具だ。上手くいって安心した。
『坊ちゃん……!』
メイドは、洞窟へと駆けていき、中に入ってしまった二人を追う。坊ちゃんと共に歩く男の足を切り裂く。赤い顔料が流れ、男はその場に倒れこむ。
『ひっ』
子息がメイドから逃げようとして、洞窟の奥に走っていく。突如、子息の体がカクンと崩れ落ちる。洞窟の途中、唐突に地面が消え、眼下には海が広がっているのだ。子息の体は海に引き寄せられていく。
『坊ちゃん!!』
メイドが手を伸ばして、子息を引き上げた。入れ替わるようにして、メイドの体が落ちていく。
この場面は、通常の何倍も動きを遅くして、何が起こったのか分かりやすくしている。ゆっくりと動く分、体に負担がかかるが、二人は見事にこなしている。寧々が洞窟の穴に見立てた、せりから落ち、下に用意していた敷物の上に着地した。
「寧々さん、大丈夫ですか」
「問題あらへんよ」
敷物を用意していたあさぎは、寧々に声を掛けた。せりの部分が上手くいってあさぎは安堵した。寧々は、さすがに息が上がっているが、素早く移動をした。
『お前は、これを知っていたから、僕を近づけさせなかったのか……』
子息は、メイドの落ちた穴を見て、項垂れた。何度も呼びかけるが、返事はない。
それから子息は、洞窟の前で、待ち続けた。メイドが帰ってくると信じて。待っている間、時間が流れていくことを表現するため、凪の歌が入る。子息の悲しみと後悔を歌ったそれは、音に乗って感情を揺さぶられる。
歌が終わり、余韻が客席を包み込んでいる。――その時。
『……坊ちゃん、風邪をひかれますよ』
メイドの声がして、子息が勢いよく振り返った。
そこで、幕が下りる。
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