つむじ風―9

 客席は、一瞬静まり返り、そして拍手に包まれた。反応は上々であった。幕の内側で、あさぎたちはここまでの準備の期間を思い返し、笑い合った。



 客席には、依頼をした本人、吉助の姿もあった。客が少なくなってから、琥珀や寧々と一緒に、彼に声を掛けた。

「どうでしたか? 今日の芝居は?」

「本当に素晴らしかったっす! 鎌鼬のことを楽しそうに話しながら帰っていくお客さんがいて、しかも人間の。もう、夢かと思ったっす」


 彼は興奮ぎみに、寧々に想いを伝えていた。初めて芝居を見た時のあさぎもこんな感じだったのかもしれないと思うと、少し照れくさかった。


 ふと、彼が沈んだ表情になり、頭を下げた。


「あの、親父が迷惑かけたみたいで、すんませんでした。反対を押し切って、でも実際の芝居を見たら納得してくれるだろうと、そう思ってたっす。甘かったっすけど……」


 彼はさらに頭を下げた。琥珀が一歩前に出て何かを言おうとしたようだったが、寧々が片手でそれを制した。あさぎに言った通り、本当に文句を言うつもりだったのかもしれない。


「ええよ。こっちは誰も怪我してへんし」

「猫又の方には、敵わないっすね」

「また定期的にこの鎌鼬の物語を上演していこうと思うんやけど、ええやろか」

「こちらこそよろしくお願いするっす。……いつか、親父を説得して、連れて来るっす。必ず」


 彼は、決意を顔に宿して宣言した。琥珀は、少しのため息の後、その時は待っていると答えていた。





 客が皆帰っていった静かな客席に、あさぎは座っていた。琥珀がどうかしたか、と隣に並んで座った。

「成功して良かったなって思って」

「そうだな」

「裏方で、少しだけど力になれて、嬉しかった。楽しかった」

「少しじゃない。充分、座の力になってくれた。――あさぎは、立派な黄昏座の一員だ」


 琥珀のその一言が、あさぎにとってとても重たく、嬉しいものだった。居場所がここにあると、実感した。記憶がなくとも、自分が何者か分からなくても、今は、黄昏座の一員であると自信が持てる。


「ありがとう、琥珀」

「こちらこそ」


 琥珀が右手を差し出した。感謝を表すための握手、あさぎも体をひねって右手を差し出した。だが、琥珀に小さく笑われてしまった。


「違う。いやまあ、間違ってはないが」


 琥珀は、あさぎの左手を掬い取って、右手の中に包み込んだ。横に並んで、手を繋いだまま、動かない。少し冷たい琥珀の手と一瞬にして熱を持った自分の手、徐々に温度差がなくなっていく。あさぎは、何だか恥ずかしくなってきて、手を引き抜こうとするが、琥珀が離してくれない。


「ちょっと、琥珀」

「ん?」

「ん、じゃなくて。芝居で慣れてる琥珀とは違うんだから、恥ずかしい」


「ここは舞台じゃないけどな」

「そういうことじゃなくて!」

「嫌か?」


 わずかに手を緩めて、琥珀はそう聞いてくる。たぶん、これも芝居の延長、からかっているだけだ。でも、ずるい。


「嫌、じゃない、けど」

「ははっ」

 案の定、楽しそうに声を上げて笑われた。でも、嫌な気持ちにはならない。

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