つむじ風―7




 打ち合わせから約三週間後の十月一日。脚本が完成し、稽古に入る。ここからは琥珀の出番である。正直、依頼者の父親が襲撃に来たと聞いて、依頼を受けたことを後悔もした。あさぎが危険な目に合ったと聞いて、血の気が引いた。だが、この芝居が成功すれば、琥珀自身の目的に大きく近づくことが出来るはず。引くことは出来なかった。


「座長、全員集まりました」

 雪音の呼びかけで、琥珀は思考の中から戻ってきた。


 今、舞台上には台本を手に持った役者たちが、円を描いて立っている。これから行うのは、読み合わせ。台本を持ったまま、台詞を読んでいく、芝居を作る最初の工程である。


「じゃあ始めよう」

 脚本に書かれた台詞を、初めに読んだ時の感情を乗せて、発する。相手の感情を受けて変化させることもあるが、ここではまず流れを掴むこと。円の中に入りつつ、少し後ろに下がった位置で、あさぎが、目を輝かせている。その表情を見ても分かるが、だいぶ読み合わせの時点で掛け合いが上手くいっている。


 一通り読み終わったところで、すぐにもう一度最初から読み始める。今度は、動きを付けながら。出来るところは、だいたいの立ち位置も決めていきたいところだ。


「待て。雪音、今のところは出来うる限り低い声で」

「分かりました」

 脚本の意図を読み取りつつ、描いた場面を作り上げていく。


「ここ、せりを使いたいけど、寧々さんいけるか?」

「もちろん」

「せりって何?」

 あさぎが、生徒が質問するように手を上げて聞いてきた。先生の役割を担っているらしい寧々が答える。


「せりっていうのは、舞台上にある四角い穴のことやよ。人力で床ごと上下に動いて、舞台の下、奈落に繋がっとるんよ。今回はせり下げる使い方、やろうか」

「ああ。下げ切るつもりで……いや、この場面、裏に入れる人がいないか」

「一人でも問題あらへんよ」


 今回は人力で下げるのではなく、せりを下げ切って、寧々が敷物の上に着地する方法を取るつもりだが、それでも敷物を押さえたりする人は必要だ。


「誰かは配置した方がいいと思う」

「じゃあ、あさぎちゃんは?」

 寧々の提案に、全員の視線があさぎに向く。本人は、目も口もまん丸にして驚いている。だが、役者ではないあさぎは自由に動けるという点で適任だ。


「そうだな。あさぎ、やってくれるか?」

「うん。分かった」


 一瞬、不安そうな顔をしながらも、一歩前に出て、あさぎは口をぎゅっと結んで頷いた。あさぎは、役に立ちたいと言って黄昏座に入り、まさにそれを行動に移している。


 今回の準備期間、佐奈と会話が出来るということからも、佐奈と組ませるのがいいかとも考えたが、どの裏方が合うかを知るためにも、固定せずに色々なところを手伝う形にした。あちこちの作業を手伝って、終わればすぐに何かすることはないか、出来ることはないか、と聞いてくる。その原動力は一体どこから来ているのか。


「あさぎには、基本的に上手側の袖で待機して、着替えや小道具の手伝いを頼む。せりの時に奈落に移動してくれ。詳しくは、実際に立ち回りをしたら説明する」

「分かった。役に立てるように頑張るね」


 あさぎはそう言うと、また少し下がって円から外れた。まだ、座の一員とは思えていないのかもしれない。充分助けになっているのだが。記憶がないせいか、あさぎは自分自身への認識が曖昧で、目を離せばどこかへ行ってしまうような気がした。


「……じゃあ、続きから」


 あさぎに声をかけようとしたが、結局言葉が出て来ず、稽古を再開した。


 その後、台本なしの稽古を進め、実際の衣装を身に着けての通し。着々と稽古を進めていき、全員が黄昏座の新作の完成に向けて動いていた。

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