つむじ風―6
「くそっ」
「依頼者の吉助さんの兄、と言うたらしいけど、違うな。誰や」
寧々の声は、低く響くようで、怒りが言葉の端々から溢れ出ていた。男性は、床に転がったまま、声を荒げた。
「馬鹿息子たちの間違いを正しに来てやっただけだ! あいつが勝手に依頼なんかしやがった。しかも俺に何も言わずに押し切るつもりだったんだ。腹立たしいったらありゃしねえ」
「息子? じゃあ、吉助さんの父親なんやね」
「はっ、俺たち鎌鼬を見世物にするなんざ、冗談じゃねえ。だいたい、本殿に逆らうなんざ、言語道断だ」
「本殿に逆らう? どういうこと?」
あさぎは、男性に聞き返した。声を荒らげてはいるが、嘘をまき散らしているようには聞こえなかった。
「何も知らねえのか、お前。本殿は、畏怖の減少は心配いらない、本殿に任せれば大丈夫だと、そう言ってんだ。動くことは本殿への謀反だ。この謀反人どもめ」
雪音が、湯呑にわずかに残っていた水滴を男性の口元に垂らし、凍り付かせた。男性は口を開くことが出来なくなった。
「自分で動くことが間違いだとは思いません。本殿なんかに言われたことを鵜呑みにして、思考停止している者よりは、いいと思います」
ここにもっと水があったなら、雪音は男性を丸ごと凍り付かせてしまいそうな、冷たさがあった。目の前の男性へというよりも、本殿という言葉にその感情が向けられているように思えた。
「ともかく、ここでの乱暴狼藉は許されへん。派出所へ行きましょ」
「ん! んんー」
男は塞がれた口で何かを言っているが、寧々は問答無用で引きずり出した。さすがに目立つのでは、と思ったが、寧々が走り出すとあっという間に見えなくなった。さすがの身体能力である。
あさぎは、雪音の持つ衣装に目を向けた。胴の部分やスカートは無事だが、袖がボロボロである。
「……衣装、傷付いちゃったね」
「はい。まさか、いきなり襲って来るとは思わず、油断しました。試作とはいえ、ある程度はこのままを使うと言っていたので、姉さんに何と言ったらいいか……」
雪音もショックを受けている。どうにかならないかと、あさぎは思考を回転させる。花音が一生懸命作った衣装を、あんな人に台無しにされたくない。
「あっ、袖の形を変えるのはどう? こう、肘の辺りから広がるように」
「ラッパのような形でしょうか」
「そう」
「でも、どうしてその形に?」
「さっきの人、肘から下に刃物が現れたように見えたの。だから、鎌鼬の衣装なら、袖が広い方が合ってるのかもって」
雪音の目が見開かれ、固まってしまった。何とか絞り出した案だったが、やはり無理があっただろうか。
その時、表玄関から笑い声が聞こえてきた。
「ははっ、鎌鼬に襲われて、それを参考にするなんて、肝が据わっているというか、なんというか」
琥珀が肩を震わせながらこちらに歩いてきていた。口元は愉快そうに上がったままで。
「琥珀! なんで襲われたって知ってるの。見てたの?」
「まさか。見てたら助けに入る。ついさっき寧々さんに聞いたんだ」
未だ不機嫌な寧々の姿が琥珀の後ろにあった。この短時間で派出所に行って、戻ってきたらしい。ここから近いとはいえ猫又の身体能力、恐るべし。
「雪音、あんなやつの思い通りになってやる必要はない。利用してやれ」
「……! 分かりました」
活路を見つけて、雪音は力強く頷いた。これ以上裂け目を広げないよう、慎重に衣装を抱えて、裏へ駆けていった。寧々も、手伝って来る、と後を追いかけた。
「あさぎ」
琥珀に呼ばれて振り返ると、想像以上に近くに顔があった。真剣な表情で見つめられて、心臓が跳ねた。
「えっ、何」
「怪我はないか。何か嫌なことを言われたりは?」
琥珀は、怒っているようにも聞こえる声音で聞いてきた。心配、してくれているようだ。自分のことを自分以外の人が心配してくれると、胸が温かくてくすぐったいのだと知った。
いきなり刃物が現れた時は驚いたし、怖かったが、怪我はなかった。嫌なこと、には雪音が怒ってくれていた。
「私は大丈夫」
「そうか。念のため、一人にはなるな。それから、今度依頼者のあいつ、吉助に文句言ってやるからな。親を説得してから来い。全く……」
大丈夫だ、と言ったのに、琥珀の心配やら怒りやらは収まらない。でもそれが、嬉しく思えてしまう。
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