つむじ風―3

「色々と変わったんよ、明治になってから。明治三年頃には、苗字を名乗ることが許可されてな。妖もそれに混ざるために、花紋を苗字に使うように言われて。その時は驚いたわ」

「苗字ってずっとあったわけじゃないんすね」


「妖の中では、昔から海沿いの家の誰々、町の家の誰々、とか色んな言い方しとったから、直後は違和感あったわ。そうそう、翌年の四年には身分に関係なく結婚が出来るようになって、喜んどる人間を見たわ。まあ、そこは妖にはあまり影響はして来やんかったけど。明治五年には、暦すら変わったしなあ」

「へえ、そうなんすか」


 鎌鼬の彼が、寧々の話に興味津々で楽しそうなのだが、話が脱線しつつある。琥珀が口を挟んで二人の話を止めた。


「本題に戻すが、鎌鼬の物語、依頼するか?」

「お願いするっす。畏怖……じゃなくて周知っすね、甲族以外は、この状況で階級が下がる可能性があるって兄貴が言ってたっす。そんなこと、嫌っすから」


 丙族である鎌鼬の階級が下がると、丁族となる。だが、階級が下がるとどうなるのか、あさぎは知らない。他の種族の態度が変わるのは、初日に佐奈に絡んでいた男たちを見て容易に想像出来るが。


「”第六感が、弱くなる。丁族がさらに下がると、第六感が消える”」

「え」

「”妖にとって死活問題。だから、下がっちゃ駄目”」


 佐奈が教えてくれたことで、ようやく腑に落ちた。鎌鼬の彼が、黄昏座の芝居が妖を救う、と言った理由が分かった。畏怖に代わり、周知を進める芝居は、まさに救世主と言ったところなのだ。

 鎌鼬の彼の答えを聞いた琥珀は、頼もしく一つ頷いた。


「――このままでいたいと思うなら、前に進まなきゃならない。何もしなくても時代は進んでいく。動かなければ取り残される。今の場所に居続けるには、前に進まなきゃならない――尊敬する人にそう言われたことがある。俺も同意見だ。黄昏座が、物語制作の依頼を請け負わせてもらう」

「よろしくお願いするっす!」



 そこからは、具体的にどういう物語にするかの打ち合わせが始まった。脚本については佐奈が担当するが、依頼の場合は依頼者の要望を取り入れて作られる。


「鎌鼬は、人間の足に傷を残す妖っす。でも、畏怖のために仕方なく傷を付けていただけで、傷付けるのが好きってわけじゃないんす。少なくともおれは」

「ああ。恐怖を煽るならそういう話にしてもいいが、周知するなら人情ものにした方がいい。うちの脚本家の得意分野だ」

 佐奈は恥ずかしそうにしながらも、こくんと頷いた。彼はよろしくお願いするっす、と佐奈に頭を下げた。


「他に何か要望はあるか?」

「あー、えっと、鎌鼬の役に、禿の子をお願いすることは出来るっすか……?」


 彼は、目線をあちこちに泳がせながら自分の要望を口にした。禿の子、というのはこの間の芝居で禿を演じていた、花音のことだろう。


「花音ちゃんか、ええと思うよ。可愛らしい見た目の子と鎌鼬の特性とのギャップがあって」

「いや、俺は寧々さんがいいと思う」


 琥珀が即座に別の案を提示した。寧々本人は、意外そうな顔をしている。琥珀は、ちらりと佐奈を見た。心の声が聞こえているであろう佐奈に確認を取っているようだ。佐奈は琥珀に同意するように頷いた。座長と脚本家の意見が一致している。


「寧々さんを推す理由は、第六感。鎌鼬をより本物らしく演じることが出来る」

「ああ、なるほどなあ」

 寧々は琥珀の説明に納得したらしかったが、あさぎにはピンと来なかった。彼も同様だ。


「猫又の第六感は知っているだろう?」

「身体能力が高い、こと」

「そうだ。寧々さん、見せてもらってもいいか?」

「ええよ」


 寧々はその場に立ち上がると、寧々を中心に風が集まってくる。妖姿になるのかと衝撃に身構えた瞬間、唐突に風が止んだ。


「えっ」

「き、消えた……?」


 目の前にいたはずの寧々の姿が忽然と消えた。あさぎは、慌てて周りを見回した。寧々は一体どこに消えたのか。ふと目の端に長く黒いものが揺れた。視線をそちらに動かすと、舞台上に寧々の姿があった。今あさぎたちがいるのは、客席の一番後ろ。舞台まで一瞬で移動出来るような距離ではないのに、寧々はそこに立っていた。


「驚いてくれて嬉しいわあ」

 次の瞬間には、再びあさぎたちの目の前に立っていた。いつもの小袖からは黒く長い尾が伸びていて、ゆったりと揺れている。髪の間からは小さく黒い耳がぴょこんと生えている。寧々の妖姿は、初めて見た。


「どうやって一瞬であそこまで……猫又って瞬間移動が出来るんですか」

「違う違う。走っていっただけやよ」

「走って?」

「猫又の第六感は、身体能力が高いことや。正確に言うなら、桁違い、なんよ。走っただけやのに、早くて瞬間移動みたいに見える、らしいなあ」


 寧々の口調は、何でもないことを口にしている様子で、本当に走っただけ、なのだと理解した。あさぎは、改めて寧々の凄さを知った。


「凄いです、寧々さん! かっこいいです」

「あら、そんなに褒められて照れるわ」

「見てもらって分かったと思うが、寧々さんなら、いつの間にか斬られているという鎌鼬の特性を表現出来ると思ったんだが、どうだ?」

「あ、舞台上の範囲なら、妖姿にならんでも移動出来るし、止まる直前に妖姿を解けばいいから、その辺は問題あらへんよ」


 琥珀の提案の意味を理解した彼は、口を開けたまま、何度も頷いた。彼もまた猫又の第六感を見たのは初めてだからか、許容量を超えてしまっているようだ。


 その後、少し落ち着きを取り戻した彼は、全面的に任せると言い、帰っていった。





「さて、正式に新作を作ることになった」


 琥珀は皆を大部屋に集めて、打ち合わせの結果を伝えた。大部屋は裏にある部屋で一番大きく、こうして全員が集まることが出来る。皆の顔から楽しそうな表情が見て取れる。


「佐奈さんは、脚本に取り掛かって。あらすじが出来た段階で、一度共有を」

 琥珀からの指示に佐奈が頷く。寧々が鎌鼬の役ということは先ほど決まった。きっと佐奈の頭の中にはそれ以外のことも構築されている最中なのだろう。


「あらすじが出来たら、それを元に衣装と小道具を進めてくれ」

「分かりましたわ」

「分かりました」

 花音と雪音が声を揃えて返事をする。凪はすぐには返事をせずに何やら考えている。


「どうかしたか、凪」

「完全新作なら、小道具だけじゃなくて、大道具もいるんじゃないかと思ったのよ。わたしだけで手が回るかしら」

「宣伝活動が出来るまで、寧々さんには大道具中心で動いてもらおうと思ってる。それでどうだ?」

「問題ないわ」

「あたしも」

 黄昏座の全員が新しい芝居に向けて動き出している。


「琥珀、私にも何かさせてほしい」

 考えるよりも先に言葉が出ていた。黄昏座の新人だが、新人だからこそ、動かなければ何も始まらない。


「もちろんだ。今回どこも大変になることは予想出来る。だから、あさぎは手が足りないところへ手伝いに入ってくれ」

「分かった」

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