つむじ風―2

 打ち合わせは、誰もいない客席にて行われるらしい。この形の客席は平土間と言い、升を作っている低い柵は動かせるらしい。位置を調節し、客席後方に打ち合わせをする場所を確保した。

 佐奈も同席するらしく、よろしくね、と隣に座った。


 表から、若い男がやってきた。琥珀と同じか少し上くらいだろうか。琥珀に案内され、ぺこりと頭を下げながら、客席に入ってきた。茶色の着物を身に纏っていて、背が高い。この若者が打ち合わせの相手。すると、佐奈が眼鏡を外して、じっと若者を見つめた。彼は佐奈の視線に少したじろいだ。


「佐奈さん」

 琥珀に名前を呼ばれ、視線を移した佐奈は、一つ頷いた。眼鏡をかけなおして若者に軽く礼をした。三つ編みの髪も一緒に揺れる。琥珀は、若者を自分たちの向かいに座るよう示した。


「佐奈ちゃん、今のは」

「”怪しい者じゃないか、確認して欲しいって、言われたから”」

「そうだったんだ」

 両者が腰を下ろしたところで、寧々が、代表して話し始める。


「初めまして。ここの支配人代理、椿寧々と言います」

「は、初めまして、おれはたちばな吉助っす。吾妻橋の近くに住んでるっす」

「吾妻橋ってことは、墨田川の向こう側やね」

「そ、そうっす」


 彼は、萎縮しながら名乗ると深々と頭を下げた。だいぶ緊張しているようだ。あさぎは、妖の一覧冊子を思い出す。橘、という名字を名乗るのは、鎌鼬かまいたちだ。つむじ風に乗って現れ、人間の足などに刃物で斬りつけたような傷を残す、妖。階級は丙族だったはずだ。


「黄昏座は妖を救う芝居を作ってるって聞いて、鎌鼬のために依頼に来たっす」


 彼は緊張しながらも、大きな声で寧々に向かって言うと、拝むように手を合わせた。寧々は困ったように笑い、琥珀は乾いた笑い声を上げた。


「ははっ、救うなんて大袈裟だな。ずいぶん噂に尾ひれが付いているようだな」

「へ、じゃあ救うって、嘘なんすか……」

「話を急くな。一瞬で救えるような、そんな魔術みたいなものじゃないって言っただけだ」


 あさぎは、鎌鼬の彼が言う噂が何かを知らない。何の話をしているか、分からない。聞きたいが、話を遮るわけにもいかない。そわそわとしていると、琥珀があさぎの肩をトンと叩き口端を上げて、微笑んだ。その後すぐに彼に向き直った。


「挨拶が遅れたな。俺は山吹琥珀。こっちは、新人のあさぎ、黄昏あさぎだ」

「黄昏?」

 初めて苗字を言われ、あさぎは小声で琥珀に聞き返した。琥珀も彼に聞こえないよう、小声で早口に答えた。


「苗字が必要になってくるだろうからな、黄昏を使うといい」

「分かった。ありがとう」

 琥珀たちと同じように、苗字と名前を名乗ることが出来る。同じになれたような気がしてあさぎは嬉しくなった。


「黄昏あさぎ、です」

 あさぎはぺこりと挨拶をした。彼はお辞儀を返しつつ、苗字が気になっている様子だった。それを遮るように琥珀が口を開いた。


「黄昏座の芝居のこと、一から話すから、ちゃんと聞いた上で依頼するか決めてくれ」

「分かったっす」


 琥珀は、一から説明と言ったところであさぎの方へと目線を送った。新人であるあさぎへの説明も兼ねている、ということだ。彼と一緒に、あさぎは大きく頷いた。


「さて、まずは妖の畏怖とは何だ」

「へ? そんなの誰でも知ってる常識っすよね。そんな馬鹿じゃあないです」

 琥珀の視線があさぎに向いた。馬鹿にされたと思っている彼に代わって、あさぎが答える。


「階級を決めるもので、妖の力の源」

「よう勉強してて、えらいわあ」


 寧々があさぎの頭を撫でてにこにことしている。資料を借りたり、分からないことを聞いたりしているから、先生と生徒のような関係になりつつある。寧々は、ハッとして、照れくさそうに、琥珀に続きをどうぞ、と手で示した。


「――明治になって、人間が怖がる闇、そして妖への畏怖が減り続けている。このままでは妖の存在が危ぶまれる。そう提言した学者がいた」

 琥珀は、まるで台詞を言うように言葉をさらさらと紡ぎ出した。


「畏怖を『周知』と認識を改め、恐れられるのではなく、その名を知られていることこそが重要であると言った。そこで、物語という手段を取った。それが、黄昏座だ」


 彼は、おおっと声を上げた。あさぎにとっても初めて聞く話で、真剣に耳を傾けた。黄昏座が芝居を作る根幹に関わる話なのだから。


「怖がられるより、いい意味で有名にってことっすよね。いいっすね」

「だがまあ、江戸から在る妖たちには、あまり聞き入れられない。提言した学者もずいぶん否定された」

「なんでっすか。この状況で動かないなんて……いや、確かに親父たちは反対していたっすね」


「親御さんは、江戸生まれやな?」

「もちろんっす」


 彼の言うこの状況、というのは、畏怖が減っている状況のことだろう。それを肌で感じているのだとしたら、確かに動かない方が不自然な気にしてくる。自らの階級に関わることなら尚更。


「……明治になって、たった二十年やからなあ。江戸は長かった。妖にとって良い時代が長く続いとった。だからすぐに江戸のような時代に戻る、そう思うとる妖は多いんよ」


 寧々が、少し遠い目をしていた。そうだ、黄昏座の座員は寧々以外、明治になってから生まれたのだ。記憶がないあさぎだけじゃなく、皆、江戸を知らないのだ。良かったと言われる過去を、知らないのだ。だから、減り続ける今の危機に敏感になる。

 ならば、知っている寧々はどうして、そう思うのだろう。


「江戸生まれやのにどうして、って思うた?」

「えっ」

 心を読まれたのかと、あさぎはとっさに佐奈を見る。佐奈は、ぶんぶんと首を横に振る。


「それくらい覚やなくても分かるわ。まあ、あたしもあの人に出会わんかったら、こうはならんかったなあ。その学者、黄昏座の初代支配人なんよ」

「えっ、そうなんですか」

「寧々さん」


 琥珀が、鋭い声で寧々に制止をかけた。琥珀の顔が少し強張っているのが分かる。怖い顔をしている琥珀を見ていたくなくて、あさぎは、琥珀の羽織の端を摘まんで少し引いた。パッとこちらを見た琥珀は、あさぎと目が合うと表情を緩めた。

 寧々は、雰囲気を変えるように明るい声で話し出した。

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