第三幕 つむじ風
つむじ風―1
九月十四日。あさぎが正式に黄昏座の一員になって一週間が経った。空いていた楽屋の一つをもらい、そこを自室として、暮らしている。皆が、家で使わなくなった机や布団を持ってきてくれたおかげで、早々に過ごしやすい部屋が完成した。それぞれに楽屋はあるが、主に芝居のための道具や化粧箱を置いているだけ。皆、それぞれの家からここへ通っているが、琥珀は月の半分以上ここで暮らしているらしい。
あさぎの楽屋の机には、たくさんの冊子や草子が積みあがっている。花音や雪音が幼い頃に使っていたものを借りて、勉強中なのだ。妖のことについて、階級について、花紋について。説明をしてもらったことも含め、改めて草子を読んで学んでいく。どれも基本的なことが書いてあるのは、絵が多くあり、幼い子が読むためのものがほとんどだった。
「小さい頃からこういうのを読んでいるから、知っているのは当たり前ってことかな」
あらかたそれらを読み終えると、学者に伝手があるらしい寧々から借りた資料に目を通した。妖の一覧がまとめられている資料、全部で十五冊。この世に妖は数百種類、細かく言えば千に近い種類が存在するという。その階級の頂点にいるたった五種というのは、確かに別格だ。
「あさぎ、調子はいかがですの?」
楽屋の引き戸を少し開けて、花音が顔を覗かせた。長い黒髪がさらりと揺れる。まだ午後になったばかり。今日は早く学校が終わったらしい。
「だいぶ進んだよ。あのさ、花音ちゃんは、甲族の妖に会ったことはある?」
「凪さん以外の、ってことですわよね。ありませんわ」
「そっか。やっぱり、甲族って雲の上の存在って感じなんだね」
「わたくしたちは、近くに凪さんがいますから、多少身近に思いますわね。それで言いますと、丁族ともあまり遭遇しませんわね、というより気が付かないんですわ」
「気付かない?」
「花紋を見られないよう、隠しているらしいですの。袖を長くしたりして。下級の者だと分かると厄介ですものね。ところで、一覧で何か分かりましたの?」
「何かって?」
花音が、積み上げられた資料を目で示して聞いてくる。
「もし自分のことが書かれていれば、読んでピンと来るかもしれない、と寧々さんが言っていましたでしょう」
「ああ、うん」
それは、あさぎ自身も期待して読み始めた。琥珀が目にまつわる妖かもしれないと言っていたこともあり、一つ目や手の目、
「全部読んだけれど、特に何も感じなかったよ」
「えっ、全部!? これ全部読み終わりましたの?」
「うん」
「一冊読むのに一週間はかかりそうな冊子を、全部……」
「うん」
花音は、なぜか頭を抱えて戸にもたれかかった。具合が悪いのかと思ったが、そうではなく、諦めのようなため息をついていた。
「あさぎは目がいいというよりは、頭がいい、と言った方が合うような気がしますわ……。それが第六感であることを祈りますわ」
「どうして?」
「だって、悔しいじゃないですの。第六感でないなら、わたくしも同じ条件ですもの」
妖を語る上で、重要なことがもう一つ、第六感だ。妖は皆、第六感と呼ばれる能力がある。五感とは全く別の能力であったり、五感の一つが桁外れで機能が高い場合であったり、様々である。佐奈の心の声を聞くことや、琥珀が姿を変えることは、この第六感によるもの。
「私にもあるのかな、第六感」
「妖なら誰でもあるよ」
廊下にちょこんと現れたのは、五、六歳の幼い男の子だった。深緑色の着物に、金魚のようにひらひらとした帯を緩く留めている。丸刈りのおかげもあって、丸い印象の顔を、戸と花音の間から覗かせている。
「あ。あさぎ、この子は」
「琥珀だよね」
この男の子が琥珀であることは、見てすぐに分かった。男の子は、楽しそうにからからと笑うと、一瞬、戸から離れてあさぎの視界から消えると、次の瞬間には、いつもの青年の姿になっていた。
「本当にどんな姿でも、俺だと判別するんだな」
「分かるから。琥珀だ、って」
花音が横で、再びため息をついていた。末恐ろしいですわ、と呟いているのが聞こえた。
「でも、花音ちゃんも琥珀だって分かってたよね」
「わたくしを含め、座員は一度、座長の
「全部?」
花音の言い方からして、変化がいくつもあると取れる。女学生と今の少年以外にもまだあるのか。
廊下から、また新たに声が聞こえてきた。
「座長は特別ですから」
「あら、雪音」
「姉さん、今日は衣装の試作をするって張り切っていたのに、こんなところで油を売っていたんですか」
「少しくらい、いいじゃないですの」
花音は頬をぷくりと膨らませて、雪音に抗議した。小動物のような可愛さに、あさぎは思わず、笑顔になる。雪音の方も、本気で咎めているわけではないようで、仕方ないですね、と肩の力を抜いた。
いつの間にか、あさぎの部屋の前が賑やかになっていた。廊下で立ちっぱなしというのも申し訳ない。
「とりあえず、中へどうぞ」
「お邪魔しますわ」
「お邪魔します」
花音と雪音が声を揃えて入ってきて、腰を下ろした。琥珀は戸の近くにもたれかかるようにして座った。
「それで、琥珀が特別っていうのは?」
「座長が、というか、座長の家系は、と言った方が正しいかもしれませんね」
雪音は、ちらりと琥珀の方を見た。言っていいか、と聞いているようだ。腕を組んだ状態でくつろいでいる琥珀は、口端を少し上げて、どうぞ、と返した。
「狐は狐でも、九尾の狐なんです、座長は。普通の狐の妖の
「言ったところで妬まれるか嫌味言われるだけだから、あんまり言わないんだがな」
琥珀が、手をひらひらとさせて、面倒くさそうに付け足した。黄昏座の皆には言っているのなら、皆のことは信頼しているということなのだろう。
「凄いんだね、琥珀」
「たまたま家がそうだったってだけだ」
「狐の妖は、皆、変化が出来るの?」
「皆ってわけじゃないが、第六感が変化であるやつは多いな」
あさぎは、第六感の話の流れで、先ほど冊子で得た知識を花音と雪音に聞いてみたくなった。
「雪女は、雪に関する第六感だって読んだんだけど、二人とも同じなの?」
「違いますよ。僕は、氷を作り出すことが出来ます。元になる水が必要ですが」
「わたくしは、雪を降らせることが出来ますの。何もないところからでも出来ますわ。ほら」
花音があさぎの頭上に向かって手のひらを向けた。何も変化がなく、首を傾げていると、もうちょっとですわ、と言われた。すると、頭上からはらはらと白い欠片が落ちてきた。手の甲に触れると、すっと溶けて消えてしまった。白く儚い雪があさぎの周りにだけ振り落ちている。
「わあ……」
あさぎは、目を輝かせた。実際に雪を見るのは初めてだ。手に触れると冷たくて、でもその白さがとても綺麗で、夢中になって雪を見上げた。
花音が手のひらを下ろすと、雪もピタリと止んだ。ほんの少しの間だけで、細かな雪だったので、部屋が濡れることもなかった。
「凄い、花音ちゃん」
「これくらいは当然ですわ」
花音が得意げに胸を張った。その動作も可愛くて、あさぎは自然と笑顔になる。せっかくなら雪音の氷も見てみたいのだが、手元に水はない。水を探しているのが分かったのか、雪音が小さく笑って、すみません、と言った。
「また今度、機会があったら見せますね」
「うん。楽しみにしてる」
雪音が、そろそろ衣装部屋に、と花音を立たせようとしたところで、戸がノックされた。あさぎがどうぞ、と答えると、寧々が顔を出した。今日も赤い着物を身に着けている。
「あら、皆ここにおったん。勢揃いやなあ」
「寧々さんもお話していきますか」
「あさぎちゃんからのせっかくのお誘いやし、そうしたいところやけど、これから打ち合わせがあってな、琥珀を探してたんよ」
「分かった、すぐ行く」
琥珀は素早く立ち上がって、部屋を出ようとし、くるりとあさぎを振り返った。
「あさぎも一緒に行くか。黄昏座の仕事、覚えていかなきゃな」
「うん」
琥珀とあさぎは、寧々と共に打ち合わせへ、花音と雪音は今度こそ衣装部屋へ、それぞれ移動していった。
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